国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
義長神社の大祭
ふりがな
:
ぎちょうじんじゃのたいさい
義長神社の大祭
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年11月第二土・日曜日(※選択当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
選択番号
:
選択年月日
:
2008.03.13(平成20.03.13)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
高知県
所在地
:
保護団体名
:
黒見常会
義長神社の大祭
解説文:
詳細解説
この行事は、室戸市羽根町にある義長神社で毎年11月の第二土・日曜日に行われ、トウニン(頭人)と呼ばれる祭りの当番が田芋を材料とした独特の神饌を作って奉納し、無病息災や五穀豊穣などを祈願するものである。神饌に特色がみられる祭りの1つであり、頭人が根菜を素材として独特の神饌を作って奉納するという全国的にも類例の少ないものである。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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義長神社の大祭
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義長神社の大祭
解説文
この行事は、室戸市羽根町にある義長神社で毎年11月の第二土・日曜日に行われ、トウニン(頭人)と呼ばれる祭りの当番が田芋を材料とした独特の神饌を作って奉納し、無病息災や五穀豊穣などを祈願するものである。神饌に特色がみられる祭りの1つであり、頭人が根菜を素材として独特の神饌を作って奉納するという全国的にも類例の少ないものである。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
義長神社の大祭は、室戸市羽根町にある義長神社で毎年11月の第二土・日曜日に行われ、トウニン(頭人)と呼ばれる祭りの当番が田芋を材料とした独特の神饌を作って奉納し、無病息災や五穀豊穣などを祈願するものである。 室戸市羽根町は、高知県の東南部に位置する。この祭が伝承されるのは、羽根町のうちの旧黒見村にあたる北生と黒見の2つの地区で、土佐湾に流れ込む羽根川を10㎞程遡った山間部にあり、農林業を主な生業としてきた地域である。義長神社は、この2つの地区を氏子圏とし、南北朝時代の武将である仁木義長を祭神として祀る。仁木義長は、足利尊氏に仕えて戦功をあげた人物で、三河や伊勢などの守護をつとめたが、後年没落し、天授年間(1375~81)に一族を従えて土佐に落ち延び、羽根川上流のこの地に居を構えたと伝えられている。 田芋の神饌は、この仁木義長に纏わる伝承に由来する。義長は、山中で田芋や雑穀などを作って生活していたが、あるときに田芋が川下に流れていき、それを見つけた者が川上に分け入ったところ、義長一族は追っ手が来たと勘違いし、全員自害して果てたという。この伝承に因んで、祭りには必ず田芋で作った餅を奉納し、また、神饌の数も義長一族の数であった263個を用意している。 この餅は、芋餅あるいは田芋餅と呼ばれ、文化12年(1815)年に編纂された土佐の地誌『南路志』には、義長神社に関する記述として「祭日ニ芋糯備候」とあり、田芋の餅が欠くことのできない神饌であったことが窺われる。また、期日は旧暦11月初めの未申の日であったが、現在は11月の第二土・日曜日に改められている。 神饌作りをはじめ、祭りの準備や執行は、神社総代2名と頭人と呼ばれる当番役を中心に行われる。神社総代は地区の総会で選出され任期はないが、頭人は一年交替の輪番制で、家の並び順に下の方から4軒ずつ各家の男性がつとめる。 大祭前日の宵祭の日は、早朝から頭人とその家の女性たちが神社の通夜堂に参集し、神饌作りに取り掛かる。材料となる田芋は、各戸が5合ずつを事前に頭人の家に届けておく。まず女性たちが境内に山積みされた芋を洗って皮を剥き、頭人が大きな鍋で煮る。材料の芋は、田芋と称されるが、当地では畑で栽培される里芋を指し、アカメやタケノコイモなど複数の種類が用いられる。芋が煮えると臼に移し、餅搗きと称して頭人が杵で芋を潰して餅状にする。これを伸し板に伸ばし、翌朝まで置いて固まらせる。また、田芋餅とは別に、頭人たちが用意した小豆1合と糯米1升で丸餅を1つ作る。頭人は、この日は自宅に帰らず、通夜堂に籠もる。 翌日の大祭当日は、早朝から再び神饌作りが始まる。頭人は、固まった田芋餅を小さく切り分け、定められた方式で三方に盛りつける。盛り方は、古くから「一三重十八枚、七重二枚、五重三枚」とされ、一重ねは、約3㎝四方の田芋餅の上に、約2㎝四方の田芋餅を載せ、さらにその上に約1㎝四方の小豆餅を載せたもので、これを決められた枚数分の三方に載せ、合わせて263個とする。 神饌が完成すると、午前9時頃から大祭が始まる。田芋餅が御神酒とともに頭人によって本殿に奉納され、次いで、神社総代と頭人が拝殿に列座し、祭典が行われる。祭典後、芋餅が本殿から下げられ、参詣者に御札とともに配られる。その後、頭人が榊や弓などを持って舞い、最後に頭渡しの儀礼として、その年の頭人と翌年の頭人が神社の境内で相撲をとる。この相撲は、翌年の頭人が勝つことがしきたりとなっているが、こうした頭人に関する一連の儀礼は近年、簡略化の傾向にある。頭渡しの儀礼が済むと社殿と通夜堂を閉め、「追い込み」と称し、大声を出しながら雨戸を叩き、後ろを振り返らずに急ぎ足で去る。頭人は、最後に地区の境となる4か所に地区の安全と豊作を祈願するセキフダ(関札)を立て、祭りは終了となる。 日本の祭りには、神に献じる供物として米や酒をはじめ様々な神饌がみられるが、生饌ではなく、調理した熟饌を中心に独自の神饌を伝えている例がある。この行事は、このような神饌に特色がみられる祭りの1つであり、頭人が根菜を素材として独特の神饌を作って奉納するという全国的にも類例の少ないものである。また、芋類を神聖視する伝承は、稲作とは異なる畑作系統の文化を考える上で注目され、我が国の民間信仰や生業を考える上で貴重である。しかしながら、過疎化等の影響によって、神饌作りの伝承が危うくなり、また、頭人の儀礼が簡略化される傾向にあるなど時代の推移とともに衰退・変貌の恐れが高くなっていることから、早急に記録を作成する必要がある。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)