国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
氣比神社の絵馬市の習俗
ふりがな
:
けひじんじゃのえまいちのしゅうぞく
氣比神社の絵馬市の習俗
写真一覧▶
解説表示▶
種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年7月第一土曜日・日曜日(※選択当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
記録:『氣比神社の絵馬市の習俗』(企画文化庁・制作TEM研究所・平成26年3月)
選択番号
:
選択年月日
:
2009.03.11(平成21.03.11)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
青森県
所在地
:
保護団体名
:
特定せず
氣比神社の絵馬市の習俗
解説文:
詳細解説
この習俗は、古くから我が国有数の馬産地であった青森県南部地方に鎮座する氣比神社で、毎年7月第一土曜日・日曜日の例大祭に合わせて行われる絵馬市の習俗である。氣比神社は、「木ノ下のお蒼前様」とも呼ばれ、馬の守護神である蒼前神に対する信仰の拠点として古くから知られてきた。
当日は早朝から境内に紙製の絵馬を売る店がでる。参詣者は、絵馬を購入すると、店先で自身が飼育する牛馬の細かい特色などを新たに描き込んでもらってから神社で祈祷してもらう。祈祷後、参詣者は絵馬を自家に持ち帰って馬屋や牛舎などに貼り、牛馬の健康や多産を祈願する。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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氣比神社の絵馬市の習俗
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氣比神社の絵馬市の習俗
解説文
この習俗は、古くから我が国有数の馬産地であった青森県南部地方に鎮座する氣比神社で、毎年7月第一土曜日・日曜日の例大祭に合わせて行われる絵馬市の習俗である。氣比神社は、「木ノ下のお蒼前様」とも呼ばれ、馬の守護神である蒼前神に対する信仰の拠点として古くから知られてきた。 当日は早朝から境内に紙製の絵馬を売る店がでる。参詣者は、絵馬を購入すると、店先で自身が飼育する牛馬の細かい特色などを新たに描き込んでもらってから神社で祈祷してもらう。祈祷後、参詣者は絵馬を自家に持ち帰って馬屋や牛舎などに貼り、牛馬の健康や多産を祈願する。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
氣比神社の絵馬市の習俗は、青森県上北郡おいらせ町上久保字木ノ下に鎮座する氣比神社の境内に絵馬を売る店が出て、参詣者がその絵馬を購入して牛馬の健康や多産を祈願する習俗で、毎年7月第一土曜日・日曜日の氣比神社の例大祭に合わせてみられる。 氣比神社のある青森県南部地方は、気候上、稲作に不向きであったこともあり、古くから馬産と畑作が発達し、我が国有数の馬産地として知られてきた。江戸時代には、盛岡藩(南部藩)が御野と呼ぶ藩営の牧場をいくつか設置して馬の生産にあたっており、なかでも最大の御野であった木崎野は氣比神社のほど近くにあった。 明治時代に入っても現在の上北郡七戸町に明治政府によって奥羽種馬牧場が設置されて産業振興や軍事強化の面から馬産に力が注がれたほか、民間においても農耕用や運搬用などの馬の生産が盛んに行われ、明治17年には青森県が我が国最初の産馬組合法を発令している。 こうしたことから南部地方では古くから馬の守護神である蒼前神に対する信仰も厚く、「蒼前様」「蒼前神社」などと呼ばれる神社が数多く祀られてきた。 氣比神社は、木崎野が設置された際にそこで飼育する馬を守護する神社として建立されたと伝えられているほか、坂上田村麻呂の愛馬を祀った、あるいは木ノ下の農家が小川原湖付近で見つけた馬の神像を祀ったとも伝えられ、かつては「蒼前堂」「馬頭観音堂」などと称し、周辺の人々からも「木ノ下のお蒼前様」と呼ばれ、南部地方における蒼前神信仰の拠点となってきた。 絵馬市の習俗は、かつては氣比神社の例大祭が旧暦6月1日と15日であったため、この日に合わせてみられたが、平成12年からは例大祭の日程変更に合わせて7月第一土曜日・日曜日にみられるようになっている。 当日は早朝から境内に絵馬を売る店が数軒出る。現在出店する絵馬屋は、いずれも十和田市からやってくる絵馬屋で、「馬こ屋」「絵馬描き」などと呼ばれる。売られる絵馬は、紙製で、いくつかの大きさがある。描かれる動物は、かつては馬が多かったが、農耕用や運搬用の馬が激減し、食用の牛や豚の割合が高くなってきたため、牛が増加し、近年では豚も登場している。絵柄は、直立する一頭の牛馬を描いたものから、親子を描いたもの、数十頭の群れを描いたもの、大黒などが乗っているものなどがみられる。いずれもかつてはすべて手描きであったが、現在は印刷した下絵に絵の具や墨などで丁寧に色づけしたもので、絵馬屋は冬期間にこれを描き溜めておく。 参詣者は、青森県南部地方のほか、岩手県北部や秋田県鹿角市・鹿角郡小坂町といった旧盛岡藩領からが多い。参詣者は、絵馬屋にやってくると、自分の飼っている牛馬の特徴や頭数などと類似している絵柄を選び、さらに自分が飼っている牛馬の毛並みなどの細かな身体的特徴をその場で描き込んでもらい、最後に住所、氏名、年月日などを書いてもらって絵馬を購入する。この際、持参した前年の古い絵馬を見せながら同じような絵柄に仕上げてもらうこともある。 次いで、購入した絵馬とお神酒をもって氣比神社に参詣して拝殿で神職に絵馬を祈祷してもらう。参詣者はこうした一連の祈願行為を「木ノ下詣で」ともいっている。 「木ノ下詣で」が済むと、購入した絵馬とお神酒は家に持ち帰る。絵馬は、馬屋や牛舎の入口付近の柱などに貼ったり、神棚に供えたりし、お神酒は神棚に供えた後、家族でいただいて牛馬の健康や多産を祈願する。 なお、明治初期までは木製の絵馬が売り出され、絵柄も馬を描いたものがほとんどであったと伝えられているほか、戦前までは美しく飾り立てた馬と共に参詣し、馬に境内を歩かせると病気にならないとか、境内にある萩の皮を煎じて馬に飲ませると病気が治るなどともいわれていた。 本件は、我が国有数の馬産地である青森県南部地方に鎮座する氣比神社で、その例大祭に合わせて絵馬が売られ、参詣者はそれを購入して牛馬の健康や多産を祈願する習俗である。類似の習俗は、かつては上北郡七戸町榎林の花松神社や三戸郡田子町相米の松峰神社などといった周辺のいくつかの神社の祭礼でもみられたが、現在では氣比神社の例大祭でみられるのみとなっている。また、かつては旧盛岡藩領一帯のほか、津軽地方や北海道などからの参詣者もあったというが、馬だけでなく牛や豚を飼育する家も総体的に減少しており、それに伴い参詣者も絵馬屋も減少してきている。本件は、東日本の代表的な馬の守護神である蒼前神への信仰を背景とする絵馬市の習俗の典型例として注目されるが、その衰退・変貌の恐れが高くなっている。よって記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択しようとするものである。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)