国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
お枡廻しの習俗
ふりがな
:
おますまわしのしゅうぞく
お枡廻しの習俗
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
※所在地が2都県以上にわたる広域な選択です。
選択番号
:
選択年月日
:
2009.03.11(平成21.03.11)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
所在地
:
保護団体名
:
特定せず
お枡廻しの習俗
解説文:
詳細解説
この習俗は、数か村が一組になって枡や籾を入れた枡を神体にして祀り、数年に1度祭祀の当番の村を交代するものである。1つの村は、祭祀当番がまわってくると神体を祀る仮屋を新たに作り、ここで次の当番に引き継ぐまで10数年あるいはもっと長い間隔で祭祀を担当する。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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お枡廻しの習俗
お枡廻しの習俗
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お枡廻しの習俗
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お枡廻しの習俗
解説文
この習俗は、数か村が一組になって枡や籾を入れた枡を神体にして祀り、数年に1度祭祀の当番の村を交代するものである。1つの村は、祭祀当番がまわってくると神体を祀る仮屋を新たに作り、ここで次の当番に引き継ぐまで10数年あるいはもっと長い間隔で祭祀を担当する。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
お枡廻しの習俗は、中世の陸奥国高野郡にあたる現在の福島県南部の東白川郡、石川郡と白河市ならびに茨城県の久慈郡に伝承されている習俗である。 現在の大字にあたる近世の村のいくつかが一組になり、枡そのものや籾を入れた枡を神体としてむらからむらに順にまわしながら祀っていくもので、1つのむらでは数十年に1度の間隔で行事が行われている。 この行事は、古くはそれぞれの地域に鎮座する神社からの神輿の出社を待って行われたもので、神社にとっては毎年行われる祭礼であった。福島県側では棚倉町馬場と八槻に鎮座する2つの都々古別神社、茨城県側では大子町下野宮などに鎮座する近津神社から神輿が氏子のむらに出社した。 都々古別神社は、延喜式神名帳に記された陸奥国白川郡所在の大社で、ともに近世には近津神社と称し陸奥国一宮を名乗った。馬場と八槻、下野宮の近津神社を総称して近世には近津三社とも称された。 馬場都々古別神社は、氏子が49か村、八槻都々古別神社は氏子が65か村、下野宮近津神社は氏子が70か村あった。この村々にそれぞれの神社が毎年1か村ずつ出社してお枡廻しの行事が行われてきた。神社にとっては毎年、村にとっては数十年に1回まわってくる祭りであった。現在の行事はかつての祭りの中の一部の地域だけが残ったものといわれている。 例えば、福島県棚倉町の玉野、福井、一色と浅川町蓑輪の4つの大字で行われているお枡廻しは、3年ごとに旧暦10月27日前後に行われる。この4つの大字で順に神体の1升、5合、1合の3つの枡を廻して祀っていくものである。行事は枡の祭祀を引き継ぐ儀礼で、受け取るむらではヤドがまわってきたといい、行事の行われる日の前に丸太4本などで地上7尺、幅8尺の神体の枡を祀る仮小屋をつくる。行事当日にはそれまで祭祀を担当していたむらの区長が仮小屋から出した枡を背負って、引き渡す相手のむらに向かう。むら境で迎えに出た受け取る側の区長に神体の枡が引き渡されると、受け取った区長はそのまま準備しておいた仮小屋に向かい神体を安置する。これがすむと受け取った側の区長宅で振る舞いが行われて終わる。 また、茨城県大子町の下野宮近津神社では、昭和16年までは氏子の村々を7つの地区に分け毎年地区を変えて近津神社の神輿が出社してお枡廻しの行事が行われてきた。現在は行事を行っているのは下野宮地区と大生瀬地区である。下野宮地区では7年に1度行事が行われている。行事はむらの中にある大頭と呼ばれる世襲の家が中心になり、仮小屋をつくり、次に引き継ぐまでの間祀られる。この地区の神体は籾を入れた3升の枡で、次に引き継ぐ前に籾を入れ替えるとともに納められているお札も変えて新しい薦で包み直す。これを行事当日大頭が近津神社まで運び、神社で引き継ぎの式を行って引き渡す。受けた大頭は神体を自分のむらまで運んで用意した仮小屋に祀って行事が終了する。 以上のように地域によって若干の相違はあるものの、今日では数十か村が関わる行事として行われなくなっており、一部の地区だけで独立して行事が行われるようになっている。また、氏子全域での行事がこの地域で最後まで行われていた下野宮近津神社で、神社から神輿がむらに出社する行事が最後に行われたのは昭和16年であり、その行事を体験した人も数少なくなっている。 この習俗は、米を量る枡や籾を入れた枡を神体として複数のむらが交代でその祭祀を引き継いでいくもので、枡そのものや籾を入れた枡を神体にして行われる特色ある祭祀である。福島県東白川郡、石川郡、白河市、茨城県久慈郡などの都々古別神社や近津神社を祀る複数の集落で五穀豊穣を願って行われ、全国的にも類例が少ない行事である。 日本の祭りの中には籾や米を神体にするものが存在することはよく知られているが、この習俗はそのような祭祀の変遷を理解する上で貴重である。また、以前には数十か村を単位にして祭りが行われていたが、現在では数か村単位で行われるのみになっており、時代の推移に伴う生業の変化、社会構造の変化等によって衰退・変貌のおそれが高くなっていることから、早急に記録を作成する必要がある。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)