国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
西田のヨズクハデ製作技術
ふりがな
:
にしだのよずくはでせいさくぎじゅつ
西田のヨズクハデ製作技術
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種別1
:
民俗技術
種別2
:
生産・生業
その他参考となるべき事項
:
選択番号
:
選択年月日
:
2009.03.11(平成21.03.11)
追加年月日
:
選択基準1
:
(三)地域的特色を示すもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
島根県
所在地
:
保護団体名
:
西田「ヨズクハデ」保存会
西田のヨズクハデ製作技術
解説文:
詳細解説
西田のヨズクハデ製作技術は、島根県大田市温泉津町西田に伝承される、ヨズクハデと呼ばれる稲ハデを作る技術である。 ヨズクハデは、秋の収穫期に作られる。約6mの丸太4本を四角錐型に組んだ形を基本構造とし、高さ・幅ともに約5mに調整し、下の方から稲束を順序よく架けていく。立体的な構造をとるので安定性がよく、また、狭い面積でも効率的に稲を乾燥させることができ、ヨズクハデ1基で米5俵分の稲を架けることができるとされる。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
西田のヨズクハデ製作技術
西田のヨズクハデ製作技術
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西田のヨズクハデ製作技術
解説文
西田のヨズクハデ製作技術は、島根県大田市温泉津町西田に伝承される、ヨズクハデと呼ばれる稲ハデを作る技術である。 ヨズクハデは、秋の収穫期に作られる。約6mの丸太4本を四角錐型に組んだ形を基本構造とし、高さ・幅ともに約5mに調整し、下の方から稲束を順序よく架けていく。立体的な構造をとるので安定性がよく、また、狭い面積でも効率的に稲を乾燥させることができ、ヨズクハデ1基で米5俵分の稲を架けることができるとされる。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
西田のヨズクハデ製作技術は、大田市温泉津町西田に伝承される、ヨズクハデと呼ばれる稲ハデを作る技術である。 ヨズクハデとは、刈り上げた稲を乾燥させるため、四角錐型に木材を組んで稲束を架けていき、この地域特有の形状に仕上げる独特の稲ハデのことである。 ヨズクハデのヨズクとは、この地域でフクロウを意味し、稲束を架け終わり完成した稲ハデの姿が、巨大なフクロウが羽根を休めて蹲っているように見えることから、その呼称がある。また、その構造は四角錐型であるが、全体の形がどの角度からみても三角錐のように見えるため、三叉とも呼ばれてきた。 大田市温泉津町は、島根県の中央部、日本海に面して位置し、なかでもヨズクハデが伝承されている西田地区は、温泉津港から石見銀山へと通じる石見銀山街道を北に遡った農村部にある。ヨズクハデは、かつては、地区の家々が手伝い合って家単位に作られていたが、現在は、西田「ヨズクハデ」保存会が中心となって製作されており、その技術の伝承も図られている。 ヨズクハデの由来は定かではないが、上津綿津美命と上筒男命が温泉津海岸に上陸し、安住の地を求めて西田の里を辿り着き、鎮座したのが当地の氏神の水上神社であるという伝承があり、ヨズクハデを作る技術も、この二柱の神が漁網を干す方法を応用し、当地の農民に伝えたものといわれている。 ヨズクハデは、9~10月にかけての秋の収穫期に作られる。丸太を四角錐に組んだ構造を基本とし、男性を中心に3名から5名程で1つのヨズクハデの製作にあたる。まず稲を刈り取った田の中に、約6㍍の丸太4本を上部から1㍍程のところで交叉させ四角錐に組み、高さ・幅ともに5㍍前後に調整して立てる。丸太を交叉させた部分は、強度のある藤蔓で結束する。対になる2つの面の下方には、竹を1本ずつ渡して縄で縛り付ける。 このような立体的な構造をとるため、ヨズクハデは安定性がよく、海側から吹いてくる強い北西風にも倒れることがないばかりか、狭い面積で効率的に稲を乾燥させることができ、ヨズクハデ1基で約500束、米5俵分の稲を架けることができるという。 こうして基本的な構造が出来上がると、丸太と竹の交叉部分から上に向けて稲の束を順序よく架けていく。稲束を架ける作業は2人1組で行う場合が多く、1人が束を取って渡し、もう1人がそれを受け取って丸太に架ける作業を担当する。稲束は、単に丸太に架けるのではなく、「小手に取る」といって、1束の裾を8対2の割合に分け、この割合が交互になるように架け分けていく。このときに、稲穂の少ない方を下の稲束に差し入れ、巻き付けるような要領で積み重ねていく。この方法によって、稲をしっかりと安定的に架けることができるという。 また、稲束は、隙間を作らないように丸太に沿って手前に詰めて架ける。稲束を十分に詰めて架けないと、乾燥後、稲束がずり落ちて上部に空間が生じ、雨が内側に入ってしまうことになる。これを「首が切れる」といい、これを防ぐように架けなければならない。 こうして四角錐型の斜めの部分が架け終わると、縦一列に並んだ稲束の頂部に、雨除けとして稲束を寝かせ置くように結び付けていく。そして、最後に丸太が交叉する最上部に一人が登り、突き出た四本の丸太部分に稲束を架け、雨除けとなる稲束を同様に頂部につけて完成となる。こうした一連の作業には、約三時間を要する。 ヨズクハデは、かつては温泉津町の飯原や上村、福光など西田地区の周辺地域でも作られていたが、現在は当地に伝承されるのみとなっており、また、西田地区においても、昭和50年代には100基を越えるヨズクハデが作られていたが、農家の減少や農業の機械化等によって近年は20基ほどを数えるのみである。 稲作は、日本人の生活文化を考える上で欠くことのできない生業であり、我が国の農耕文化を代表するものである。この技術は、こうした稲作の作業過程に位置づけられる基盤的な技術であるとともに、稲を効率よく乾燥させるため、ヨズクハデと呼ばれる独特の稲ハデを作り上げる地域的特色の顕著な技術である。ヨズクハデという名称に表されるフクロウに似た形状や四角錐型という立体的な構造に作り上げる技術は、全国的にも類例がなく、我が国の農耕に関わる民俗技術を理解する上で貴重である。 しかしながら、農家の減少など時代の推移に伴う生業の変化によって衰退・変貌のおそれが高くなっている。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)