国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
宮島のタノモサン
ふりがな
:
みやじまのたのもさん
宮島のタノモサン
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
年中行事
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年旧暦8月1日(※選択当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
選択番号
:
選択年月日
:
2009.03.11(平成21.03.11)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
広島県
所在地
:
保護団体名
:
南町総代会
宮島のタノモサン
解説文:
詳細解説
宮島のタノモサンは、広島県廿日市市宮島町に伝承される八朔の行事で、子どものいる家々がタノモ船と呼ばれる小さな船を作り、季節の野菜や家族と同じ数の人形などを乗せて海へ流し出し、子どもの無事な成長や家内安全、五穀豊穣などを祈願する。(※解説は選択当時のものをもとにしています)。
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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宮島のタノモサン
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宮島のタノモサン
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宮島のタノモサン
解説文
宮島のタノモサンは、広島県廿日市市宮島町に伝承される八朔の行事で、子どものいる家々がタノモ船と呼ばれる小さな船を作り、季節の野菜や家族と同じ数の人形などを乗せて海へ流し出し、子どもの無事な成長や家内安全、五穀豊穣などを祈願する。(※解説は選択当時のものをもとにしています)。
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詳細解説
宮島のタノモサンは、広島県廿日市市宮島町に伝承される八朔の行事で、子どものいる家々がタノモ船と呼ばれる小さな船を作り、季節の野菜や家族と同じ数の人形などを乗せて海へ流し出し、子どもの無事な成長や家内安全、五穀豊穣などを祈願する。 宮島町は、広島湾の南西部に位置する通称宮島で知られる瀬戸内海に浮かぶ島であり、厳島神社の門前町として栄えてきたところである。タノモサンは、厳島神社背後の山裾にある四宮神社の旧暦8月1日の例祭に合わせて行われている。 四宮神社は、厳島神社の末社で、加具土神を祭神として祀る。タノモサンは、この四宮神社の氏子である南町を中心に伝承されてきたと伝えられ、行事の準備や執行は、南町総代会と呼ばれる町会組織が担当している。ただし、行事に参加する家々の範囲は、宮島町全体に及んでおり、町域にある子どものいる家々が船を持って参加する形で行われている。 旧暦8月1日をさす八朔は、秋の収穫を前にした季節の変わり目にあたり、豊作祈願の行事などが各地で行われるが、当地では、タノモサンのタノモとは、「田実」や「頼母」などと表記され、農作物の実りへの感謝とともに、子どもの健やかな成長を祈願する意味合いが強調されている。 タノモ船は、板材を使った小型の木製の船で、八朔が近づくと子どものいる家々で作られ始める。船は30㎝ほどの小さなものから、1㍍ほどの大きなものまであり、屋形を設けて帆を張り、色紙などで提灯や幟、旗などを作って飾り付けるのが基本的な型式である。帆には、その家の家紋を描き、子どもの成長を祈願して、子どもの名前や子どもの名前からとった「○○丸」という船の名を大きく書き入れる。船内には、季節の野菜や果物、新米の粉で三角錐型の小さな人形を家族と同じ数だけ作って乗せる。この人形は、災厄をそれに託して流すという意味があるとされる。また、その意味は不詳であるが、人形とともに1匹の犬と胴長の太鼓を新米の粉で作って並べ、その後ろに満月やススキなど秋の景色を描いた半円状の背景画をつける。このようにして完成したタノモ船は、八朔当日まで家々の玄関先などに飾られる。 八朔当日は、夕方になると各家がタノモ船を持って四宮神社の境内に集まる。境内では篝火が焚かれ、その年のタノモ船が並べられると、それを見物にくる町内の人々も訪れ、船の出来具合を批評しながら歓談が続く。 一段落すると、それぞれの家族が子どもを中心にタノモ船とともに並び、四宮神社の神職から御祓いを受ける。 その後、家族は潮の引き始める時刻を待ってタノモ船を担いで海岸へ向かう。船を流す場所は、その年の天候や風向きによって異なるが、厳島神社の火焼前や御笠浜、西松原などで、海岸に着くと船上に取り付けたロウソクに灯りを点し、海の彼方へ流し出す。流した船は、対岸にある大野町に流れつくとされ、かつては農家の人たちや漁師たちが船を拾い上げ、五穀豊穣や豊漁祈願の縁起物として大切にしたという。 農家では田畑の畦などに船を供えたともいわれている。宮島は、厳島神社を祀る清浄な場所であり、島全体も信仰対象であるため、耕地をつくらず農業を営んでこなかった地域である。したがって、農作物の供給は対岸の大野町に依存しており、こうした生業に関する地域性から、五穀豊穣を願ってタノモ船を対岸に向けて流すのであるという伝承もある。なお、船を用いた類似の八朔行事は、広島県内では、広島市安芸区矢野や呉市倉橋町などでも行われていたが、すでに伝承が途絶えている。 八朔は、夏から秋にかけての季節の変わり目にあたり、農作物の豊作祈願をはじめ日本の各地で様々な行事が行われている。そうした中で、本件は、農作物の豊かな実りを祈願するという八朔行事の典型的な性格を伝えているとともに、子どもの成長祈願や人形に災厄を託して流すという祓いの要素もみられるなど、我が国の八朔行事を考える上で貴重である。 また、家々が船を作って海へ流すという船流しの形態をとる八朔行事は、全国的にも類例が少なく、広島県内でも宮島町に伝承が確認されるのみであり、地域的特色も豊かである。 しかしながら、少子化によってタノモ船を製作する家々が減少しており、行事の簡略化もみられるなど、時代の変化に伴って衰退・変貌のおそれが高くなってきている。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)