国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
金津の七夕行事
ふりがな
:
かなづのたなばたぎょうじ
金津の七夕行事
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
年中行事
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年8月第一土曜日(選択当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
選択番号
:
選択年月日
:
2013.03.12(平成25.03.12)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
宮城県
所在地
:
保護団体名
:
金津七夕保存会
金津の七夕行事
解説文:
詳細解説
本件は、角田市東部の大字尾山の金津地区に伝承される、笹飾りを飾った道を子どもたちが作り物をもって2度練り歩き、子どもの無事成長や豊作、虫除けなどを祈願する七夕行事である。
本件は、金津地区を荒町、立町、横町の3つの組に分け、中学生までの子どもたちにより行われる。各組は宿と呼ぶ小屋を拠点に、カラオクリと呼ぶ笹飾りを道沿いに飾ったり、宿の前に七夕の掛け軸をかけて果物などを供えたりといった準備をする。夜になると、竹の棒に提灯を数個つけた作り物を各自が手に持ち、和歌をうたいながら組ごとに地区を練り歩く。2度の練り歩きは、1度目をカラオクリ、2度目をホンオクリと呼ぶ。この行事が終わると、金津地区では盆を迎える準備が本格的に始まる。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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金津の七夕行事
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金津の七夕行事
解説文
本件は、角田市東部の大字尾山の金津地区に伝承される、笹飾りを飾った道を子どもたちが作り物をもって2度練り歩き、子どもの無事成長や豊作、虫除けなどを祈願する七夕行事である。 本件は、金津地区を荒町、立町、横町の3つの組に分け、中学生までの子どもたちにより行われる。各組は宿と呼ぶ小屋を拠点に、カラオクリと呼ぶ笹飾りを道沿いに飾ったり、宿の前に七夕の掛け軸をかけて果物などを供えたりといった準備をする。夜になると、竹の棒に提灯を数個つけた作り物を各自が手に持ち、和歌をうたいながら組ごとに地区を練り歩く。2度の練り歩きは、1度目をカラオクリ、2度目をホンオクリと呼ぶ。この行事が終わると、金津地区では盆を迎える準備が本格的に始まる。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
金津の七夕行事は、角田市の大字尾山の金津地区に伝承されている七夕行事で、子どもたちが主体となって沿道に笹飾りを飾り、夜に提灯を灯した作り物をもって地区内を練り歩き、子どもの無事成長や豊作、虫除けなどを祈願する行事である。現在は、毎年8月第一土曜日に行われているが、かつては毎年旧暦7月6日に行われていた。 角田市は、宮城県の南端部に位置し、尾山は市の東部、阿武隈川の東岸に位置する。金津地区は、尾山の中心地区で、江戸時代には奥州街道とその脇街道であった江戸浜街道を結ぶ道の通る交通の要所で金津宿とも呼ばれ、稲作に養蚕や商売などを組み合わせて生計を立ててきた家が多かった。 金津地区は、横町、荒町、立町の3つの組からなり、それぞれの組ごとに七夕行事が行われている。行事の起源については、江戸時代に寺子屋の師匠の指導によって子どもの行事として始められたなどといわれている。 行事の主体となるのは、組ごとに組織された横町少年団、荒町少年団、立町少年団で、小学生から中学生までの子どもたちによって組織されている。子どもたちは、大将と呼ばれる年長者の指示に従いながら、各組の一角に宿と呼ばれる簡易な小屋を設け、ここを拠点に行事の準備から執行までを行う。まず、当日午前中に金津地区の主要道路添いに高さ5mほどもある笹飾りを約10m間隔で飾る。この笹飾りは、カラオクリと呼ばれ、笹のついた孟宗竹に色紙・短冊・吹流し・ぼんぼりなどの飾りを吊り下げたものである。カラオクリには、約30㎝四方の紙製の着物も必ず吊り下げることになっており、これはキモノ(着物)と呼んで裁縫の上達を祈願して女性が製作することになっている。また、カラオクリの準備と同時並行で長さ2mほどの真竹の棒に約3本の真竹の棒を横に渡して8~10個の提灯をとりつけた作り物も20~30本ほど製作する。 各組で設ける宿は、2階部分が舞台状になっていて子どもたちが演し物などを披露できるようになっている。宿の前には、七夕の日に織女と牽牛が出会っている構図の掛け軸が掛けられ、その前には簡単な祭壇が作られてお神酒のほか、胡瓜、茄子、西瓜などが供えられる。 夜になると、提灯を灯した作り物を一人一人が手に持って組ごとに行列を組んで金津地区全体を練り歩く。練り歩くのは2度で、1度目をカラオクリ、2度目をホンオクリと呼ぶ。練り歩く際には、先頭を歩く大将の打つ拍子木に合わせて、全員で『新古今和歌集』に収められている藤原俊成女の歌である「七夕の 戸渡る舟の梶の葉に 幾秋かきつ 露の玉章」を独特の早い節回しで声高に繰り返し唱和する。かつては、このとき他の組と出会うとサオゲンカ(竿喧嘩)と称して、互いに作り物をぶつけ合って相手の提灯を燃やそうとし、「サオゲンカがないとその年は作が悪い」ともいった。 カラオクリが終わると、それぞれの宿に戻って演し物を披露する。1時間ほど経つと、再び組ごとに地区全体を練り歩くホンオクリを行う。 ホンオクリが終了すると、道路沿いに飾られたカラオクリはすぐに取り外され、翌朝、細かく切って燃やされる。かつて、子どもたちはこの日は宿に泊まり、翌朝早くカラオクリと供物を阿武隈川に流していた。 なお、金津地区では、七夕行事が終了した翌早朝に墓掃除が行われ、お盆を迎える準備がはじめられることになっている。 我が国の七夕行事は、中国の星祭りの影響を受けながらも、盆を前にして災厄を祓うとともに、豊作を祈願する意味合いなどももちながら、全国各地で地域的特色をもって伝承されてきている。 宮城県では、道沿いに笹飾りを飾り、最後にそれを川に流すなどして災厄を祓う七夕行事が広くみられ、行事の主体が子どもとなることも多かった。本件も、道沿いにカラオクリと呼ばれる笹飾りを飾るほか、作り物を持って行う2度の練り歩きをカラオクリ・ホンオクリとそれぞれ呼び、地区の端から端まで練り歩くなど、盆を前にして災厄を祓う意識が濃厚にみられる。加えて、子どもが行事の主体となっているなど、この地域の七夕行事の典型的な事例の1つと考えられるものであり、我が国の七夕行事の変遷を考えるうえで注目されるものである。祭りの歴史的変遷や儀礼の構成などについて詳細な記録を早急に作成する必要がある。(※解説は選択当時のものをもとにしています)