国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
大善寺の藤切り祭
ふりがな
:
だいぜんじのふじきりまつり
大善寺の藤切り祭
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年5月8日(※選択当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
選択番号
:
選択年月日
:
2013.03.12(平成25.03.12)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
山梨県
所在地
:
保護団体名
:
大善寺藤切り祭保存会
大善寺の藤切り祭
解説文:
詳細解説
本件は、山梨県甲州市勝沼町にある大善寺で毎年5月8日に行われる。役行者が金峯山で大蛇を退治したという故事に由来する祭りで、総代と世話人を務める柏尾地区の家々と、大善寺をはじめ近隣の真言宗寺院の僧侶たちが参加して行われる。祭りに登場する修験者は、それらの寺院に属する僧侶たちである。
祭りは、藤蔓で作った大蛇を行者堂で供養して神木に吊す天狗祭をはじめ、山岳修行の所作や入山の儀礼、法力比べなどが修験者たちによって行われ、最後に大蛇退治の藤切りとなる。役行者役の修験者が神木によじ登って藤蔓の大蛇を切り落とすと、それを境内に集まった人たちが競って奪い合う。藤蔓は、除災や病気平癒、開運などをもたらすとされ、家に持ち帰って1年間、家のお守りとする。かつては、藤蔓を引き合い、その勝敗で一年の吉凶を占ったと伝えられている。
(※解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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大善寺の藤切り祭
大善寺の藤切り祭
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大善寺の藤切り祭
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大善寺の藤切り祭
解説文
本件は、山梨県甲州市勝沼町にある大善寺で毎年5月8日に行われる。役行者が金峯山で大蛇を退治したという故事に由来する祭りで、総代と世話人を務める柏尾地区の家々と、大善寺をはじめ近隣の真言宗寺院の僧侶たちが参加して行われる。祭りに登場する修験者は、それらの寺院に属する僧侶たちである。 祭りは、藤蔓で作った大蛇を行者堂で供養して神木に吊す天狗祭をはじめ、山岳修行の所作や入山の儀礼、法力比べなどが修験者たちによって行われ、最後に大蛇退治の藤切りとなる。役行者役の修験者が神木によじ登って藤蔓の大蛇を切り落とすと、それを境内に集まった人たちが競って奪い合う。藤蔓は、除災や病気平癒、開運などをもたらすとされ、家に持ち帰って1年間、家のお守りとする。かつては、藤蔓を引き合い、その勝敗で一年の吉凶を占ったと伝えられている。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
大善寺の藤切り祭は、山梨県甲州市勝沼町の大善寺に伝わる修験道系の祭りで、大蛇に見立て境内の神木に吊した藤蔓を修験者がよじ登って切り落とし、それを境内に集まった人たちが無病息災などを祈願して争奪する行事を中心とする。 甲州市勝沼町は、甲府盆地の東に位置し、古くから甲州葡萄の栽培が行われ、果樹とワインの産地として知られる。大善寺は、養老2(718)年の創建伝承のある真言宗智山派の古刹で、中世の仏教建築様式を伝える本堂の薬師堂は昭和30年に国宝に指定されており、本堂の東には、修験道の開祖とされる役行者の木像を祀る行者堂がある。藤切り祭は、この役行者が金峯山で大蛇を退治した故事に由来するとされ、文化11(1814)年に編纂された『甲斐国志』には、「庭上ニ三丈許ノ柱ヲ建テ藤蔓ヲ縄トシ纒レ之修験者一人柱ノ上ニ攀テ修法シ」などと祭りの様子を伝える記述がみえる。祭りの期日は、かつては旧暦4月14日であったが、現在は5月8日となっている。 祭りの準備と執行は、大善寺麓の柏尾地区の家々から選ばれる総代10名、世話人7名と大善寺のほか甲州市内をはじめ、笛吹市や山梨市など県内の真言宗智山派・醍醐派の寺院の僧侶が参加して行われる。祭りに登場する修験者は、それら寺院に属する僧侶たちで、当地では法印とも呼ばれている。準備は、5月2日に大蛇作り用の藤蔓の採取が近隣の山で行われ、5月6日には境内の行者堂近くに神木が立てられるとともに大蛇が作られる。神木は、6m程の檜の柱に葉のついた樫の枝を巻き付け、その周囲に短い藤蔓を19カ所にわたって梯子状に結び付けたもので、役行者が開いた霊山の数を表しているといわれている。大蛇は、7尋半の長さの藤蔓をとぐろ状に巻いて縛り、先端部を斬り込んで口とし、枝などで角や目、髭を付けて完成となる。 5月8日の祭り当日は、午後から天狗祭と呼ばれる大蛇の魂入れの行事があり、行者堂で開眼作法の儀礼が行われた後、大蛇が神木に吊される。その後、総代2名を先頭に、法螺貝を持った修験者たちの一行が稚児とともに行列を組んで参道を進み、薬師堂で除災安穏や諸願成就などの護摩祈願を行う。護摩祈願が終わると、修験者の一行は、境内にある稚児堂で、「山伏問答」「笈渡しの儀」「修祓」「投げ藤」「宝弓の大事」「宝剣の大事」「斧祓の大事」などの入山の作法を行う。次いで、稚児二人による「日月の舞」などが奉納されると、修験者たちは本堂前にある三つの岩に移動し、これを赤石山脈の白根三山に見立て、「山超え谷超え」と称して岩を飛び渡り、山谷での修行の様子を再現する。そして、一行は大蛇退治に向かうが、大蛇に破れたという物語の設定のもと、3つの岩に戻ってきたところで大善寺の僧侶が扮する役行者と出会い、問答、法力比べとなる。修験者の一行はこの勝負に負けると、役行者に宝剣を譲って大蛇退治を委ね、「山越え」といって薬師堂の裏手から高台に登り、大蛇を燻り出すために柴燈護摩を焚く。一方、役行者は、境内の神木によじ登り、仲間の修験者が金的と呼ばれる大蛇の目を弓矢で射貫いたのを合図に藤蔓を切り落とし、大蛇を退治する。神木の周囲に集まった人々は争って藤蔓を取り合う。藤蔓は、除災や病気平癒、開運などをもたらすとされ、各自が持ち帰って1年間家のお守りとする。かつては、藤蔓を引き合い、勝敗でその年の吉凶を占ったという伝承や近隣の村同士で藤蔓を奪い、勝った方が柏尾山の下草刈りの権利を得るという慣行もあったと伝えられている。 本件は、役行者の故事に由来し、柱状の神木を中心に行われるもので、修験道系の柱松行事の性格を伝えているとともに、藤蔓の争奪にはその年の吉凶を占うなどの伝承もあり、地域社会の生活と結びついた年占の要素もみられる。超自然的な験力で人々を救済する修験道の行事の典型的な性格を伝えているだけでなく、当地の基層的な信仰伝承も窺われ、我が国の民間信仰の変遷を理解するうえで貴重である。また、山梨県内では、甲府市右左口町の円楽寺で同種の祭りが行われていたものの、すでに伝承が途絶えており、本件が希少な伝承例となっており、祭りの歴史的変遷や儀礼の構成などについて詳細な記録を早急に作成する必要がある。(※解説は選択当時のものをもとにしています)