国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
由比北田の天王船流し
ふりがな
:
ゆいきただのてんのうぶねながし
由比北田の天王船流し
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年7月第三土曜日(選択当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
選択番号
:
選択年月日
:
2014.03.10(平成26.03.10)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
静岡県
所在地
:
保護団体名
:
由比北田地区
由比北田の天王船流し
解説文:
詳細解説
本件は、静岡県静岡市清水区由比北田にある津島神社の祭りで、毎年7月第三土曜日に行われる。天王船と呼ばれる大きな麦藁船を担いで地区内を練り歩き、災厄とともに海に送る天王信仰系統の船流しの行事である。
天王船は、麦藁と竹を主材料として作られた長さ4メートルほどの船で、中央に大きな帆を立て、御幣と榊、提灯などをつけて、地区の男性たちが担いで地区内をまわる。船を担いだ一行が来ると、家々では門口に出て迎え、宮総代が御幣で祓って歩き、また、各家が用意し、災厄を託したオスガタと呼ばれる紙製の人形を船につける。
天王船は、地区内をまわり終えると由比川の河口から浜に出て、松明を差してから担ぎ手の男性たちと共に海に入り、沖に向けて流し出される。
(※解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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由比北田の天王船流し
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由比北田の天王船流し
解説文
本件は、静岡県静岡市清水区由比北田にある津島神社の祭りで、毎年7月第三土曜日に行われる。天王船と呼ばれる大きな麦藁船を担いで地区内を練り歩き、災厄とともに海に送る天王信仰系統の船流しの行事である。 天王船は、麦藁と竹を主材料として作られた長さ4メートルほどの船で、中央に大きな帆を立て、御幣と榊、提灯などをつけて、地区の男性たちが担いで地区内をまわる。船を担いだ一行が来ると、家々では門口に出て迎え、宮総代が御幣で祓って歩き、また、各家が用意し、災厄を託したオスガタと呼ばれる紙製の人形を船につける。 天王船は、地区内をまわり終えると由比川の河口から浜に出て、松明を差してから担ぎ手の男性たちと共に海に入り、沖に向けて流し出される。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
由比北田の天王船流しは、静岡県静岡市清水区由比北田にある津島神社の祭りで、天王船と呼ばれる大きな麦藁船を担いで地区内を練り歩き、災厄とともに海に送る船流しの行事である。 由比北田は、静岡県中部、駿河湾に面して位置し、平成20年に静岡市に合併した旧由比町北田である。由比は、サクラエビやシラスの漁業基地として知られ、近世には東海道の宿場町として栄えたところであり、なかでも本行事を伝える由比北田地区は、街道沿いに開けた集落で、農業や漁業、果樹栽培などを生業とする。 当地の津島神社は、東海地方を中心に各地にみられる天王社や津島神社の本社、愛知県津島市の津島神社から勧請されたもので、創建年代は定かではないが、地区内にある北野天神宮の境内に秋葉神社とともに相殿で祀られている。この津島神社の天王祭として行われている行事が天王船流しである。かつては旧暦6月15日に行われていたが、現在は7月第三土曜日が期日となっている。 天王船流しは、この地域の青年たちによって伝えられてきた行事で、船は20歳になった男性が担ぎ、これには通過儀礼としての意味があったが、地区の青年会が平成6年に解散した後は、壮友会と呼ばれる35歳から50歳くらいまでの男性の会を中心に伝承されてきている。こうした壮年層の男性を中心に、神社の宮総代や地区の祭礼関係の役員などが参加して、行事の準備や運営に当たる。 行事に使われる船は、天王船と呼ばれ、長さ4メートルほどの大きさの麦藁船で、行事の1週間前に北野天神宮の境内でつくられる。竹を骨組にし、その周囲に麦藁の束を縄で縛りつけて船体になるよう整え、舳先部分を細長く反らせ、飾りをつけて完成となる。帆と舵も麦藁でつくる。また、戦前までは津島講と呼ばれる講組織があり、本社の津島神社の祭礼に合わせて講仲間2名が代参していたが、現在は、7月初旬に地区の役員と組長が同社に参拝し、天王船につける御幣と各家に配る御札を受けてくる。 行事の当日は、午後、参加者一同が津島神社に参拝した後、天王船を神社脇の小屋から神社前の道まで担ぎ出して組み立てる。舳先と帆の上には榊を差し、提灯を飾り、さらに御幣を帆の上に付ける。船が完成すると、御幣を持った宮総代を先頭に天王船を担いだ一行が地区内を巡行する。沿道の家々は、天王船が来ると門口で出迎え、宮総代が一人一人を御幣で祓う。また、各家では、災厄を託したオスガタと呼ばれる人形を宮総代に手渡し、船につけてもらう。オスガタは、10㎝ほどの紅白の紙を人の形に切り折りしたもので、家族の名前と生年月日が記されている。 天王船は、このようにして地区内を巡り終えると由比川の河口から浜に出る。浜に着くと、担ぎ手の男性たちが松明に火を点け、穢れを祓って回った御幣とともに船に差し立てる。そして、船とともに海に入り、沖に向けて流し出す。かつては、20歳の青年たちが神社の森が遠望できるくらいの沖まで泳ぎながら天王船を流していたが、昭和60年代には、途中から漁船で曳くようになり、現在は、沖まで漁船で曳航した後、由比港に上げている。 なお、同様の天王船流しの行事は、由比北田に隣接する由比町屋原でも行われていたが、すでに伝承が途絶えている。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)