国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
浅草神社のびんざさら
ふりがな
:
あさくさじんじゃのびんざさら
解説表示▶
種別1
:
民俗芸能
種別2
:
神楽
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年5月17日、18日に近い金曜日(選択当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
選択番号
:
選択年月日
:
2014.03.10(平成26.03.10)
追加年月日
:
選択基準1
:
(二)芸能の変遷の過程を示すもの
選択基準2
:
(三)地域的特色を示すもの
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
東京都
所在地
:
保護団体名
:
神事びんざさら会
解説文:
詳細解説
浅草神社のびんざさらは、毎年5月の3日間にわたる浅草神社例大祭(三社祭)の初日に奉納される芸能である。びんざさらは小さな多数の木片を糸でつなぎ、その両端を操作して音を出す楽器で、これを鳴らしつつ舞うびんざさら役3名のほか、摺太鼓役2名、笛役、大太鼓役各1名、獅子6名(うち2名は介添え役)によって演じられる。
内容は獅子舞とびんざさら舞に大別され、前者は「雌獅子舞【めじしまい】」「雄獅子舞【おじしまい】」「雌雄獅子舞【つるみししまい】」の3演目、後者は「種蒔【たねまき】」「肩揃【かたぞろえ】」「鳥馬口【ちょうまぐち】」「蹴合【けあい】」の4演目から成る。獅子舞は、雌雄の獅子が東西南北を清める舞とされる。びんざさら舞は、びんざさら役と摺太鼓役がそれぞれ縦1列に並んだ2列縦隊のかたちを基本とし、演目によって、演奏しつつ円形を組んで回ったり、接近と後退を繰り返したりと隊形を変えながら舞われる。
本件は、雌雄2頭による獅子舞及びびんざさら舞を中心とする田楽から構成される芸能であり、千束地区に居住する浅草神社の氏子によって伝承されてきた。かつて平安時代から鎌倉時代にかけて流行した田楽法師による田楽芸が、神社祭礼のなかで定着したものと考えられ、獅子舞が付随する点や、びんざさら舞で用いられる摺太鼓【すりだいこ】の独特な打ち方にも特色がある。
(※解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
解説文
浅草神社のびんざさらは、毎年5月の3日間にわたる浅草神社例大祭(三社祭)の初日に奉納される芸能である。びんざさらは小さな多数の木片を糸でつなぎ、その両端を操作して音を出す楽器で、これを鳴らしつつ舞うびんざさら役3名のほか、摺太鼓役2名、笛役、大太鼓役各1名、獅子6名(うち2名は介添え役)によって演じられる。 内容は獅子舞とびんざさら舞に大別され、前者は「雌獅子舞【めじしまい】」「雄獅子舞【おじしまい】」「雌雄獅子舞【つるみししまい】」の3演目、後者は「種蒔【たねまき】」「肩揃【かたぞろえ】」「鳥馬口【ちょうまぐち】」「蹴合【けあい】」の4演目から成る。獅子舞は、雌雄の獅子が東西南北を清める舞とされる。びんざさら舞は、びんざさら役と摺太鼓役がそれぞれ縦1列に並んだ2列縦隊のかたちを基本とし、演目によって、演奏しつつ円形を組んで回ったり、接近と後退を繰り返したりと隊形を変えながら舞われる。 本件は、雌雄2頭による獅子舞及びびんざさら舞を中心とする田楽から構成される芸能であり、千束地区に居住する浅草神社の氏子によって伝承されてきた。かつて平安時代から鎌倉時代にかけて流行した田楽法師による田楽芸が、神社祭礼のなかで定着したものと考えられ、獅子舞が付随する点や、びんざさら舞で用いられる摺太鼓【すりだいこ】の独特な打ち方にも特色がある。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
浅草神社のびんざさらは、毎年5月の3日間にわたる浅草神社例大祭(三社祭)の初日に行われている芸能で、びんざさら舞を中心とする田楽に、雌雄二頭による獅子舞が付随している。 浅草神社は、浅草寺の本尊聖観音像を引き上げた漁師檜前浜成(ひのくまのはまなり)、竹成(たけなり)の兄弟、そして土師真中知(はじのまつち)の三人をまつり、江戸時代までは「三社権現(さんじやごんげん)」として親しまれ、明治六年より浅草神社の現名称となっている。浅草神社のびんざさらの発祥は不詳であるが、江戸後期には文化10(1813)年成立と見られる『浅草寺志(せんそうじし)』ほか、『甲子夜話(かつしやわ)』『江戸名所図会(えどめいしょずえ)』『東都歳事記(とうとさいじき)』など複数の文献に見えている。びんざさらは、小さな木片(原則、108枚)を糸でつなぎ、その両端を操作して音を出す素朴な楽器で、これを鳴らしつつ舞う芸は、職能芸能者であった田楽法師の代表的な芸のひとつであり、平安時代から鎌倉時代にかけ流行をみたものであった。 本件は江戸時代には、例大祭のほか、獅子舞を省いたかたちで6月祭礼でも行われ、神社周辺18箇町の氏子域のうち、例大祭、6月祭礼それぞれに所定の町からびんざさら舞の演じ手が出たと伝えられる。のち第二次世界大戦までは千束町八日会会員が担ってきたが、昭和20年3月の東京大空襲で道具一切を焼失したため中断し、同30年、千束地区の各町会から選ばれた者たちが神事びんざさら会を組織して復活させ、現在に至っている。 実演の構成は、びんざさら3名、摺太鼓(すりだいこ)2名、笛1名、大太鼓(鋲留太鼓)1名、獅子6名(うち2名は介添え)から成る。大太鼓役のみ長い赤毛を被り、笛役は円形の綾藺笠(あやいがさ)を被る。びんざさら、摺太鼓の人々も綾藺笠を着用するが、左右両端が半月形に折れ下がった形状を用いるのが特徴である。摺太鼓役は、色彩豊かな鼓面をもつ大ぶりの締太鼓を胸前に下げる。 開催当日、出演者一行は演奏しつつ千束地区の八つの町内を巡り、神社総代らとともに大行列に加わった後、浅草神社拝殿へと到着し、奉納の演舞が始まる。神前に向かって、右側がびんざさら役、左側が摺太鼓役というように二列縦隊で座を占め、左側隅に大太鼓、摺太鼓の後ろに笛役が立つ。内容は獅子舞とびんざさら舞に大別され、前者は「雌獅子舞(めじしまい)」「雄獅子舞(おじしまい)」「雌雄獅子舞(つるみししまい)」の3演目、後者は「種蒔(たねまき)」「肩揃(かたぞろえ)」「鳥馬口(ちょうまぐち)」「蹴合(けあい)」の4演目から成る。獅子舞は、大きな木彫の獅子頭に、金襴と木綿の布を縫い合わせた幔幕(まんまく)を付けた雌雄の獅子が舞うもので、まず雌獅子(頭に宝珠を頂き、白の毛)、次に雄獅子(頭に角を頂き、茶色の毛)、最後に雌雄ともに舞う。一体に2人が入って獅子を操るが、3演目ともに基本的な動きは同じで、ゆっくりとわずかに前進、後退し、四方に向きを変えることで東西南北を清めるものとされる。獅子舞が終わるとびんざさら舞に移り、「種蒔」はびんざさら役の一人が神前に向かって立ち、左手に掲げたびんざさらの中程を扇で叩くと、細かな紅白の紙吹雪(稲種の象徴とされる)が飛び散る所作を見せる。「肩揃」はびんざさら役3名が神前へ縦に並び、片膝をついてびんざさらを軽快に鳴らす。演奏には摺太鼓も加わり、太鼓の縁(上部)を桴で小さく叩くほか、鼓面を上から下へ軽く摺り下ろすようにする独特な打ち方を見せる。「鳥馬口」はびんざさら役と摺太鼓役が円を組み、演奏しつつ左回りに回る。「蹴合」はびんざさら役、摺太鼓役が向かい合い、交互に立ったり座ったりしつつ演奏した後、接近と後退を繰り返す。「種蒔」「肩揃」は田植え、「鳥馬口」はツグミが害虫を捕らえる様子、「蹴合」は豊作を喜ぶ様子を表し、びんざさら舞は稲作作業を示唆する内容と伝えられる。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)