国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
会津の御田植祭
ふりがな
:
あいづのおたうえまつり
会津の御田植祭(高田)
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年7月2日(閏年は7月1日)(喜多方市)、毎年7月12日(会津美里町)
(※選択当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
※本件は平成31年3月28日に重要無形民俗文化財に指定されています。
※記録: 『会津の御田植祭』会津の御田植祭調査委員会(平成30年3月)
選択番号
:
選択年月日
:
2015.03.02(平成27.03.02)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
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選択基準3
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所在都道府県、地域
:
福島県
所在地
:
保護団体名
:
慶徳稲荷神社お田植まつり保存会、御田植祭祭典委員会
会津の御田植祭(高田)
解説文:
詳細解説
本件は、福島県の喜多方市慶徳町の稲荷神社と会津美里町高田の伊佐須美神社に伝承される豊作を祈願する田植行事である。神輿が神社から神田まで渡御する際、早乙女やデコと呼ばれる人形を持つ人、田植歌の歌い手などが付き従い、神田に着くと、デコを畔に立て、田植歌に合わせて早乙女が儀礼的な田植えを行う。(解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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会津の御田植祭(高田)
会津の御田植祭(慶徳町)
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会津の御田植祭(高田)
写真一覧
会津の御田植祭(慶徳町)
解説文
本件は、福島県の喜多方市慶徳町の稲荷神社と会津美里町高田の伊佐須美神社に伝承される豊作を祈願する田植行事である。神輿が神社から神田まで渡御する際、早乙女やデコと呼ばれる人形を持つ人、田植歌の歌い手などが付き従い、神田に着くと、デコを畔に立て、田植歌に合わせて早乙女が儀礼的な田植えを行う。(解説は選択当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
会津の御田植祭は、喜多方市慶徳町と会津美里町高田に伝承される豊作を祈願する行事で、神輿が神社から神田へ渡御した際、神田の畔に人形を立てて早乙女が田植歌に合わせて儀礼的な田植えを行うものである。 慶徳町は、会津盆地北部に位置する農村で、御田植祭は、この地域で田植え終了の節目とされる半夏生の7月2日(閏年は7月1日)に稲荷神社の神田で行われる。稲荷神社は、慶徳町の豊岡、中江、堀出の三地区の氏神で、後三年の役の折に源義家が勧請したとされる。行事は、明応年間(1492~1500)に平田石見守なる人物が神田を寄進して始まったと伝えられ、この日までに田植えを済ますと豊作になるとされ、会津一円のほか新潟県東蒲原郡からの参詣者もある。 行事前日は、神社で神職の祈祷、田植歌の奉納があり、神輿が中江と堀出の二地区を巡行する。 当日は、午前に氏子がデコと呼ばれる人形を境内に立てる。デコは、苗取り爺と早乙女の2種計7体あり、いずれも浴衣を着て笠を被った、高さ約90㎝の上半身のみの人形で、手には苗を持つ。 午後、神社で神職の祈祷、田植歌と早乙女踊りの奉納があり、神輿が豊岡地区を巡行して神田まで渡御する。これにはデコをもつ人、早乙女、歌唱と呼ぶ田植歌の歌い手、笛と太鼓の囃子、白狐などの諸役が従う。白狐は、狐の面をもった白装束の子供たちで、神の使いとされ、農具の模型や苗を入れた籠をもつ。 神輿が神社入口にある神田に着くと、デコが畔に立てられ、神職の祈祷が行われる。そして囃子と田植歌に合わせて白狐が苗を神田に投げ入れ、早乙女が横一列になって前進して田植えをする。田植えが終わると、神輿は還御し、神社で再び神職の祈祷と田植歌の奉納がある。また、稲荷神社境内では虫札が頒布され、これを田の水口に立てると虫除けや豊作になるとされる。 会津美里町高田は、会津盆地南西部に位置する農村で、御田植祭は、この地域で田植え終了の節目とされる毎年7月12日に伊佐須美神社の神田で行われる。伊佐須美神社は、高田の氏神で、会津開拓の祖神を祀った会津総鎮守ともいわれる。行事の起源ははっきりしないが、古くから会津一円に知られており、この日までに田植えを済ますと豊作になるといわれてきた。 行事前日は、上町、中町、下町の三地区から太鼓台と呼ぶ山車が神社まで巡行して神職の祈祷を受けるほか、氏子がデコなどと呼ばれる人形を準備する。デコは、翁、ひょっとこ、早乙女の3種計10体あり、いずれも野良着を着た、高さ約90㎝の上半身のみの人形で、笠を被ったり、鍬や苗を持つこともある。 当日は、早朝、かつて神田があったと伝えられる古御田神社で神職の祈祷がある。次いで伊佐須美神社での祈祷の後、境内に集合した子供たちが神職から獅子頭を受け取る。獅子頭は、獅子2頭、馬3頭、牛2頭、鹿1頭の計8頭で、年長の男子が1頭ずつ受け取り、他の子供たちは獅子頭から延びた紅白の綱をもつ。獅子頭を奉じた子供たちは神田に向かい、途中数軒の家で悪魔祓いと称して裏口から表口に土足のまま通り抜ける。伊佐須美神社から一キロほど離れた御田神社境内にある神田に着くと、神田に入って代を掻く。これは田アラシといい、悪魔祓いとされ、田アラシ後の田に手足を浸すと病気にならないといわれる。子供たちは、田アラシを終えると、伊佐須美神社に戻って獅子頭を返す。なお、この間、伊佐須美神社境内では早乙女踊りが奉納される。 獅子頭が返却されると、再び神職の祈祷があって神輿が神田まで渡御する。これにはデコをもつ人、早乙女、催馬楽と呼ぶ田植歌の歌い手、笛と太鼓の囃子などの諸役が従う。 神輿が神田に着くと、デコをもった人が田アラシをしてからデコを畔に立てる。そして神職の祈祷の後、早乙女が囃子と田植歌に合わせて横一列になって後ろ下がりで田植えをする。次いで早乙女踊りが奉納され、神輿が還御する。また、伊佐須美神社境内では虫札が頒布され、これを田の水口に立てると虫除けになるとされる。 なお、翌日早朝、早苗直しと称し、氏子たちが神田に植えられた苗をすべて取って、改めて苗を植える。 (解説は選択当時のものをもとにしています)