国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
野原八幡宮風流
ふりがな
:
のばらはちまんぐうふうりゅう
菰屋(こもや)地区
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種別1
:
民俗芸能
種別2
:
風流
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年10月15日(選択当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
選択番号
:
選択年月日
:
2015.03.02(平成27.03.02)
追加年月日
:
選択基準1
:
(二)芸能の変遷の過程を示すもの
選択基準2
:
(三)地域的特色を示すもの
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
熊本県
所在地
:
保護団体名
:
風流節頭保存会
菰屋(こもや)地区
解説文:
詳細解説
野原八幡宮風流は、2人の稚児が、獅子頭に見立てた笠をつけ、成人男性による歌や笛に合わせて小太鼓と大太鼓を打ちながらゆっくりとした動作で舞う。稚児の舞振りや、稚児の被る笠などの特色から中世的色彩が濃いとも考えられ、九州北部の同種芸能の伝播【でんぱ】や芸能の変遷の過程を考える上で貴重である。
本件は、熊本県荒尾市の菰屋【こもや】、野原【のばら】、川登(かわのぼり)の3地区にそれぞれ伝わる芸能で、10月15日の野原八幡宮の祭礼に毎年奉納されている。
祭礼当日は、各地区とも打込(うちこみ)と称して一舞(ひとまい)した後、道楽【みちがく】を奏しながら野原八幡宮へ向かう。鳥居前で合流し、菰屋、野原、川登の順に行列を整えて鳥居をくぐり、境内の所定の場所で順番に風流を演じていく。風流は、笛と大小の太鼓、歌と大小の太鼓、笛と大小の太鼓の3部で構成されている。小太鼓役の稚児は締太鼓を胸前につけて両手の桴(ばち)で打つ。大太鼓は太鼓持ち役が担いで移動させるが、風流を演じる時は地面に据え、大太鼓役の稚児が片面を2本の桴で打つ。2人はゆっくりとした動作で太鼓を打ちつつ舞い、時には入れ違ったり、片足で跳ねたりする所作をみせる。
稚児が被る笠は獅子頭に見立てたもので、2枚の扇が獅子の開いた口、その中に稲藁【いなわら】で作ったマクラを入れて舌とするなど特色ある形状である。
(※解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
菰屋(こもや)地区
野原(のばら)地区
川登(かわのぼり)地区
写真一覧
菰屋(こもや)地区
写真一覧
野原(のばら)地区
写真一覧
川登(かわのぼり)地区
解説文
野原八幡宮風流は、2人の稚児が、獅子頭に見立てた笠をつけ、成人男性による歌や笛に合わせて小太鼓と大太鼓を打ちながらゆっくりとした動作で舞う。稚児の舞振りや、稚児の被る笠などの特色から中世的色彩が濃いとも考えられ、九州北部の同種芸能の伝播【でんぱ】や芸能の変遷の過程を考える上で貴重である。 本件は、熊本県荒尾市の菰屋【こもや】、野原【のばら】、川登(かわのぼり)の3地区にそれぞれ伝わる芸能で、10月15日の野原八幡宮の祭礼に毎年奉納されている。 祭礼当日は、各地区とも打込(うちこみ)と称して一舞(ひとまい)した後、道楽【みちがく】を奏しながら野原八幡宮へ向かう。鳥居前で合流し、菰屋、野原、川登の順に行列を整えて鳥居をくぐり、境内の所定の場所で順番に風流を演じていく。風流は、笛と大小の太鼓、歌と大小の太鼓、笛と大小の太鼓の3部で構成されている。小太鼓役の稚児は締太鼓を胸前につけて両手の桴(ばち)で打つ。大太鼓は太鼓持ち役が担いで移動させるが、風流を演じる時は地面に据え、大太鼓役の稚児が片面を2本の桴で打つ。2人はゆっくりとした動作で太鼓を打ちつつ舞い、時には入れ違ったり、片足で跳ねたりする所作をみせる。 稚児が被る笠は獅子頭に見立てたもので、2枚の扇が獅子の開いた口、その中に稲藁【いなわら】で作ったマクラを入れて舌とするなど特色ある形状である。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
野原八幡宮風流は、熊本県荒尾市の菰屋、野原、川登の3地区にそれぞれ伝わる風流で、10月15日の野原八幡宮の祭礼に毎年奉納されている。獅子頭に見立てた笠をつけた2人の稚児が、歌や笛に合わせ小太鼓と大太鼓を打ちつつ舞うもので、地元では「ドンデンヒャー」とも呼ばれている。 荒尾市は熊本県の西北端に位置し、北は福岡県大牟田市、西は有明海を隔てて長崎県、佐賀県に対峙する。風流を伝承する三地区は、市の南部、有明海に注ぐ菜切川(なきりがわ)の流域にあり、野原地区は中世野原庄の一宮であった野原八幡宮の門前町として発展した。『野原八幡宮祭事簿』によれば、野原庄は弘長2年(1262)の下地中分で東郷(宮方)と西郷(国方)に分割され、それに伴い祭事もそれぞれに分かれて行われるようになった。風流の起源は定かではないが、風流は東郷内の3地区が伝え、現在は10月15日の祭礼に西郷の節頭行事とともに奉納されている。祭日は明治35年までは旧暦11月15日であった。 野原八幡宮風流は、菰屋、野原、川登の各地区がそれぞれに行う。各地区とも打手(うちて)と称する2人の稚児が小太鼓と大太鼓を、成人男性が宰領(さいりよう)(1名)、鉾持(ほこもち)(1名)、歌(数名)、笛(数名、川登地区は歌い手が兼ねる)、太鼓持ち(2名)の各役を務める。宰領は全体の指揮統率をし、鉾持は鉾を持って風流の一行を先導する。明治末期までは囃子に小鼓が加わっていたという。稚児は、元は数え年7、8歳の長男から籤で決めたというが、現在は子供の数が減少しているため長男に限らず、小学一、二年生の男子から選ぶようになった。小太鼓と大太鼓は分業制で、一度その役につくと6年間続けなければならず、その後は師匠となり新たな稚児の指導にまわる。 稚児は祭礼当日の早朝に川で禊ぎをし、各地区の公民館で衣裳をつけ、化粧をし、関係者等と祝膳を共にする出立の式を行う。式が終わると稚児は笠をつけ、打込(うちこみ)と称して一舞した後、各地区それぞれに道楽(みちがく)を奏しながら野原八幡宮へ向かう。同社鳥居前で合流した3地区は、菰屋、野原、川登の順に行列を整えて鳥居をくぐり、境内の所定の場所で順番に風流を演じ、最後に三地区揃って奉納し、終了となる。 稚児の出で立ちは地区により若干の相違があるが、いずれも笠をつける。笠は獅子頭に見立てられ、2枚の扇が獅子の開いた口、その中に稲藁で作ったマクラを入れて舌とする。また、マクラには色紙と竹籤(たけひご)で作ったゴシン(御神)、ハチノス(蜂の巣)、ミミ(耳)と称するものを挿し、扇の縁にはスダレまたは前サガリというシデを垂らし、笠の後部にも稚児の背に長く垂れるようにシデを結びつける。これは祭礼の数日前に一日がかりで毎年作る。 本件は、笛と大小の太鼓、歌と大小の太鼓、笛と大小の太鼓という3部で構成されている。小太鼓役の稚児は、枠付き締太鼓を革面を垂直にして胸前につけて両手の桴で打つ。大太鼓は太鼓持ち役が担いで移動させるが、風流を演じる時は地面に据え、大太鼓役の稚児がその片面を2本の桴で打つ。2人はゆっくりとした動作で太鼓を打ちつつ舞い、時には入れ違ったり、片足で跳ねたりする所作をみせる。小太鼓の方が動きが複雑で、地元では重要視されている。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)