国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
長洲の初盆行事
ふりがな
:
ながすのはつぼんぎょうじ
長洲の初盆行事
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
年中行事
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年8月13~15日(※選択定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などへご確認ください)
選択番号
:
選択年月日
:
2016.03.02(平成28.03.02)
追加年月日
:
選択基準1
:
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
大分県
所在地
:
保護団体名
:
長洲地区区長会
長洲の初盆行事
解説文:
詳細解説
本件は,宇佐市北部の長洲地区で,初盆を迎える家が豪華絢爛な燈籠を飾って新仏を供養し,盆の最後に墓地でこれを燃やして送り出す行事である。
初盆を迎える家は8月12日夜までに墓参りを済ませると,翌13日に仏間などに豪華絢爛かつ巨大な燈籠を飾る。この燈籠は,据え燈籠,御殿燈籠などと呼ばれる。
据え燈籠は,新仏の住処(すみか)とされ,紙と木を主材料とした寺社風の建物を中心に,背後に山や滝,左右に松や梅などを配す。
13日から15日午前まで親類縁者は,初盆を迎える家を訪れて素麺などを供えて供養する。
そして,15日昼を過ぎると,再び親類縁者が初盆を迎える家に参集し,据え燈籠を担いで墓地まで運び解体して燃やす。
なお,据え燈籠の脇に西方丸と呼ばれる小型の木製の船を飾ることもあり,これも15日昼過ぎに据え燈籠とともに墓地まで運ばれ,供物を載せて墓地に隣接した海に流される。
(※解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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長洲の初盆行事
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長洲の初盆行事
解説文
本件は,宇佐市北部の長洲地区で,初盆を迎える家が豪華絢爛な燈籠を飾って新仏を供養し,盆の最後に墓地でこれを燃やして送り出す行事である。 初盆を迎える家は8月12日夜までに墓参りを済ませると,翌13日に仏間などに豪華絢爛かつ巨大な燈籠を飾る。この燈籠は,据え燈籠,御殿燈籠などと呼ばれる。 据え燈籠は,新仏の住処(すみか)とされ,紙と木を主材料とした寺社風の建物を中心に,背後に山や滝,左右に松や梅などを配す。 13日から15日午前まで親類縁者は,初盆を迎える家を訪れて素麺などを供えて供養する。 そして,15日昼を過ぎると,再び親類縁者が初盆を迎える家に参集し,据え燈籠を担いで墓地まで運び解体して燃やす。 なお,据え燈籠の脇に西方丸と呼ばれる小型の木製の船を飾ることもあり,これも15日昼過ぎに据え燈籠とともに墓地まで運ばれ,供物を載せて墓地に隣接した海に流される。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
長洲の初盆行事は、大分県宇佐市の長洲地区に伝承される盆行事で、初盆を迎えた家が盆の期間中、「据え燈籠」「御殿燈籠」などと呼ばれる豪華絢爛な燈籠を飾り、盆の最後にこれを墓地にもっていって燃やすことで新仏を供養する行事である。 長洲地区は、宇佐市の北部、駅館川の河口右岸に位置し、北は周防灘に面しており、近海での底引き網や建網などによる漁業を主な生業としてきた地区である。 この行事の起源は定かではないが、寛政11年(1799)に京で刊行された『都林泉名勝図会』に描かれた「本願寺御堂盆燈爐」と据え燈籠が類似しており、長洲地区に浄土真宗の寺院が多いことから関わりがあるともいわれている。 長洲地区の盆行事は、8月初旬の墓掃除から始まる。墓地は地区の北外れにあり、周防灘に面している。初盆を迎える家は、墓掃除を終えると8月12日夕方までに墓参りを済ませ、仏間に据え燈籠を飾り、玄関にはカド提灯と呼ばれる家紋入りの大きな提灯を2張ほど掲げる。据え燈籠の脇には、「西方丸」と墨書された帆を張った長さ1mほどの木造の船も飾られる。この船のことも西方丸と呼ぶ。 据え燈籠は、新仏の住処ともいわれており、紙と木を主材料として作られた寺社風の建物を中心に、前面に新仏の遺影が取り付けられ、背後には山や滝、左右には松や梅などが配される。大きさは、各家の仏間の広さにもよるが、幅約2m、高さ約1.5m、奥行き約1mにもなる巨大なものも多く、かつては自家で作ることもあったが、現在は六月頃までに地区に在住する手先の器用な人に依頼して作ってもらう。 据え燈籠が初盆を迎えた家に飾られているのは8月15日午前中までで、この期間、親類縁者はめいめいに新仏を供養するために初盆を迎えた家を訪れて素麺や酒などを供える。またこの期間、夜には親類縁者が集まって初盆の家の前で盆踊りを行うこともある。 8月15日午後になると、親類縁者が初盆を迎えた家に再び参集し、据え燈籠を墓地までもっていく。これを精霊送りという。据え燈籠の下に担ぎ棒となる竹の棒を何本か入れ、六人から八人ほどの男性が担いで家屋の縁側から出る。墓地までは、カド提灯を吊り下げた竹竿をもった者を先頭に、他の親類縁者も付き従い、盆踊りで歌われる口説きを男性が歌ったり、録音テープで流したりしながらゆっくりと墓地に向かう。 墓地に着くと、自家の墓に花や水を供えて拝してから、据え燈籠を解体してカド提灯と併せて火をつけて燃やす。かつては夜をまって各家の墓前で燃やしたが、現在は墓地内の広場で燃やすことになっており、新仏が精霊船の最も良い席に座れるようにといって墓地に着くとできるだけ早く燃やそうとする家も多い。 なお、据え燈籠の脇に飾られた西方丸も、供物が載せられ、竹の棒が渡されて四人ほどが担いで据え燈籠に付き従い墓地に向かう。そして墓地に着くと、墓地に接した周防灘に流される。西方丸は、沖合に出ていっても不思議と漁網などに引っかかることがないといわれる。 据え燈籠は、古くは、和紙と杉の細木だけで製作した桜、梅、松などの樹木を箱型の燈籠の上に飾り付けた作り物で、燈籠には火袋と呼ぶ空間があって蝋燭の火を灯せるようになっていたといわれている。それが次第に背後に山を配し、石塔や卒塔婆を立てるようになり、さらには豪華な寺社風の建物も付属するようになった。特に戦後になると、背景の滝の水を電動で流れているように見せたり、電灯で月が光っているように見せたりするような演出も進み、大きさも幅2m前後もある巨大なものまで作られるようになった。 先祖の霊を迎えて供養して送る盆の行事は、我が国の重要な年中行事である。なかでも初盆を迎える家は、荒々しく祟りやすい新仏を供養するために通常の盆行事とは異なる形式でより丁寧に供養を行い、西日本を中心とした地域では特別に用意した燈籠を仏間や墓地に飾る地域が多い。本件もそうした燈籠を飾る初盆行事の1つであり、他地域では類例が見られないほど豪華絢爛かつ巨大な燈籠を飾る点で地域的特色が顕著であることから、我が国の初盆の死者供養の地域的展開を考えるうえで注目される。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)