国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
安曇平のお船祭り
ふりがな
:
あずみだいらのおふねまつり
安曇平のお船祭り
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
毎年4月~10月(※選択当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
選択番号
:
選択年月日
:
2017.03.03(平成29.03.03)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
長野県
所在地
:
保護団体名
:
特定せず
安曇平のお船祭り
解説文:
詳細解説
安曇平のお船祭りは,各地区の祭礼としてそれぞれで行われている。お船は,軍記物などを題材とする作り物を配したいわゆる曳山で,宵祭りで完成したお船を披露し,翌日の本祭りで巡行させるといった例が多い。巡行は,各町内より所定の経路を通って神社へと向かい,到着したところで「オフリョウをわたす」と称し,境内を巡回する。オフリョウは,御布令,御布領,御風流などと当て字をされる。また,地区によっては,この周巡の際,2基のお船の前後をぶつけ合うところもある。これは男女和合の意で,子孫繁栄を願うものなどという。こうしてオフリョウが終わると,お船は各町内へと戻って直会となり,祭りは終了する。
(※解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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安曇平のお船祭り
安曇平のお船祭り
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安曇平のお船祭り
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安曇平のお船祭り
解説文
安曇平のお船祭りは,各地区の祭礼としてそれぞれで行われている。お船は,軍記物などを題材とする作り物を配したいわゆる曳山で,宵祭りで完成したお船を披露し,翌日の本祭りで巡行させるといった例が多い。巡行は,各町内より所定の経路を通って神社へと向かい,到着したところで「オフリョウをわたす」と称し,境内を巡回する。オフリョウは,御布令,御布領,御風流などと当て字をされる。また,地区によっては,この周巡の際,2基のお船の前後をぶつけ合うところもある。これは男女和合の意で,子孫繁栄を願うものなどという。こうしてオフリョウが終わると,お船は各町内へと戻って直会となり,祭りは終了する。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
お船祭りは、長野県一円にみられ、信州の祭礼の特色をよく示した祭りである。なかでも安曇平のお船祭りは、穂高型ともいわれる巨大な「お船」を曳き出す祭りである。 安曇平は、長野県の中部、中信地方にある松本盆地の一部をなし、梓川以北から犀川・高瀬川流域を中心とする地であり、水田が多く、県内屈指の稲作地帯でもある。遥か西方には飛騨山脈がそびえ立ち、穂高岳・槍ケ岳を臨む。行政区分としては、安曇野市を中心に、松本市の一部、北安曇郡池田町等を含む。 当地のお船祭りは、廃絶地も含め60例ほどが知られており、各地区の祭礼として、それぞれに行われている。関連する文書記録としては、等々力村(現安曇野市穂高等々力)に伝わる等々力家文書に、松本藩に願い出た元禄2年(1689)の注文があり、これが最も古いとされている。内容は、穂高神社(安曇野市穂高)のお船祭りに係る記録で、用材の伐採について許可を求めたものであり、少なくとも穂高神社に関しては当時すでにお船祭りが行われていたことがわかる。 お船のことは、オフネあるいは単にフネと呼ぶ場合が多いが、地区によってはシバブネ(柴舟)、ダシ(山車)、ブタイ(舞台)などともいう。いわゆる曳山のことで、幅10m、高さ3~4m以上にもなる構造体を作り、中央上部に作り物を載せ、側面を大きな布で被覆する。おおむねその基本構造は、ヤグラ(櫓)と称する台車から立ち上がる中心構造があって、その上に載せて飾るヤマ(山)、その前後に膨らみをもたせたハラ(腹)からなる。特に、ヤグラには、ウデギ(腕木)といって、フネの押し手となる長尺の柱材を付すとともに、ハネギ(刎木)と呼ぶ、V字状の木材を組み込むことで高さを作っている。作り物となるヤマは人形飾りを主体としたもので、ヤグラの上の、ちょうどこのハネギの間に設けられることになる。川中島の合戦や天の岩戸など軍記物や神話を題材とし、数か月ないし半年ほどかけて製作され、これには人形師等をはじめとする製作集団を伴う場合が少なくない。また、ハラは、楢や椚など雑木の枝木を利用したもので、湾曲をもたせつつ、格子状に組み合わせて作られる。地区によっては、ここに多数の着物を下げて飾ることもある。 人形飾りについては、このお船祭りとは別に、古くより穂高神社の式年遷宮の際にも製作され、いわゆる築山として境内を賑わすこととしており、この祭事習俗との関係性も指摘されている。式年遷宮には小遷宮(7年に1度)と大遷宮(20年に1度)があり、いずれも近郷近在の奉仕をもって執行されるが、現在も穂高地区を中心に睦友社、七星会、一真会、健壮団といった旧若連から発展した製作集団があって、従前からの作り物の技術を継承している。そして、彼らは諸所でお船祭りが行われる際には、製作指導に当たるなどしており、それが果たす役割は少なくない。 祭りのあり方としては、宵祭りで完成したお船を披露し、翌日の本祭りで巡行させるという例が多い。おおよそ巡行は、船に囃子方が乗り込み、各町内より所定の経路を通って神社へと向かい、到着したところで、境内を3周ほど廻るということをする。特に、この境内巡回のことは「オフリョウをわたす」といっており、この祭りの特徴のひとつでもある。オフリョウは、御布令、御布領、御風流などと当て字をするが、岩原山神社(安曇野市堀金烏川)などのように、センドイシ(舟渡石)と称する岩の周りを廻るところもある。あるいは、先導者が掲げる杉や榊のひと枝や旗そのものをオフリョウと呼び、同様に周巡する地区もある。また、船の前方のハラ部分を男腹、後方を女腹と称し、この周巡の際、地区によっては二基の前後をぶつけ合うというところもある。これは男女和合の意で、子孫繁栄を願うものなどといっている。こうしてオフリョウが終わると、お船は各町内へと戻って直会となり、祭りは終了する。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)