国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
三熊野神社大祭の祢里行事
ふりがな
:
みくまのじじゃたいさいのねりぎょうじ
三熊野神社大祭の祢里行事
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開期日:毎年4月第1金曜,土曜,日曜(※選択当時:お出かけの際は該当の市町村教育委員会にお問い合わせください)
選択番号
:
618
選択年月日
:
2019.03.28(平成31.03.28)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
静岡県
所在地
:
保護団体名
:
遠州横須賀三熊野神社祭礼保存会
三熊野神社大祭の祢里行事
解説文:
詳細解説
本件は,掛川市横須賀に鎮座する三熊野神社の大祭で,神輿の渡御に合わせて祢里と呼ばれる13基の山車が氏子域を巡行し,神社の境内などで囃子(はやし)を奉納するものである。
祢里は,江戸を中心とした関東では今日ではほとんど巡行の見られなくなった,一本柱万度型と呼ばれる古い形式の江戸型山車と酷似しており,江戸時代に横須賀城主が参勤交代の折に囃子を江戸から持ち帰ったという言い伝えとの関連も示唆される。
祢里の巡行は,各町の年齢階梯的な組織によって行われる。1日目は揃えといい,各町が祢里を準備して自町中心に巡行する。2日目は宵宮で,早朝,祢里が自町を巡行した後,すべての祢里が神社境内に参集して当番町が囃子を奉納する。その後,役廻りと称して各町の祢里が各町の会所を訪問して囃子を披露し,夜は提灯を灯して自町を巡行する。3日目は本楽で,早朝から祢里が自町を巡行し,昼は神輿の渡御に合わせて氏子域を巡行する。神輿が還御すると,境内で地固めの舞や田遊びが奉納され,夜には千秋楽と称してすべての祢里が境内に参集して囃子の競演を行う。
(解説は選択当時のものです)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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三熊野神社大祭の祢里行事
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三熊野神社大祭の祢里行事
解説文
本件は,掛川市横須賀に鎮座する三熊野神社の大祭で,神輿の渡御に合わせて祢里と呼ばれる13基の山車が氏子域を巡行し,神社の境内などで囃子(はやし)を奉納するものである。 祢里は,江戸を中心とした関東では今日ではほとんど巡行の見られなくなった,一本柱万度型と呼ばれる古い形式の江戸型山車と酷似しており,江戸時代に横須賀城主が参勤交代の折に囃子を江戸から持ち帰ったという言い伝えとの関連も示唆される。 祢里の巡行は,各町の年齢階梯的な組織によって行われる。1日目は揃えといい,各町が祢里を準備して自町中心に巡行する。2日目は宵宮で,早朝,祢里が自町を巡行した後,すべての祢里が神社境内に参集して当番町が囃子を奉納する。その後,役廻りと称して各町の祢里が各町の会所を訪問して囃子を披露し,夜は提灯を灯して自町を巡行する。3日目は本楽で,早朝から祢里が自町を巡行し,昼は神輿の渡御に合わせて氏子域を巡行する。神輿が還御すると,境内で地固めの舞や田遊びが奉納され,夜には千秋楽と称してすべての祢里が境内に参集して囃子の競演を行う。 (解説は選択当時のものです)
詳細解説▶
詳細解説
三熊野神社大祭の祢里行事は、静岡県掛川市横須賀に鎮座する三熊野神社の大祭で、神輿の渡御に合わせて祢里と呼ばれる13基の山車が氏子域を巡行し、五穀豊穣や家内安全などを祈願する行事である。 横須賀は、静岡県南西部、西大谷川下流に位置し、太平洋に南面する。江戸時代は、横須賀藩の城下町として横須賀城がおかれると同時に、太平洋を臨む海上交通の要所、風待ち港としても栄えた。横須賀の中心部に鎮座する三熊野神社は、懐妊した文武天皇の皇后が紀州の熊野三山に安産祈願した際、東に3つの神社を勧請すると約束したことに由来すると伝えられ、安産や縁結びの神として広く信仰されてきた。 祢里は、氏子域のうちの13の町がだす。その起源は詳らかでないが、神田祭などの江戸の山車祭礼にでた一本柱万度型という古い江戸型山車と酷似することから、享保年間(1716~36)の参勤交代の折、藩主が江戸から祭り囃子を持ち帰ったという言い伝えとの関連も指摘される。横須賀の惣庄屋が書き継いだ『横須賀惣庄屋覚書』では、正徳4年(1714)に「ねり」の字が初出し、文化8年(1811)には現在の祢里を指すと考えられる記載もみえる。一本柱万度型の祢里は、彫刻を施した豪華な高欄をもつ二輪の台車の中央に心源棒という1本の柱を立て、柱の上部に万度という角灯籠をつけ、さらにその上に彫刻を施した鍋蓋と呼ぶ六角台を載せ、出しと呼ぶ人形や作り物を配する。鍋蓋等には天幕も掛け、花と称する造花も放射状に垂らす。 祢里の曳き手は、30歳程度までの青年で、祢里の前方に突き出した枠と呼ぶ2本の棒を持ち、ゆっくり蛇行しながら「したっ、したっ」という掛け声と囃子に合わせて小刻みに足踏みしながら曳く。曳行の差配は50歳程度までの祢里係が行い、50歳以上の総代や副総代は行事全体を取り仕切る。 囃子は4種あり、大小の太鼓、摺り鉦、篠笛で奏される。通常の曳行ではゆったりした調子の大間、速く曳行する際は屋台下、激しく曳行する際は馬鹿囃子、停止時には役太鼓が奏される。役太鼓は、昇殿、鎌倉、四丁目の3曲が一連で奏され、鎌倉ではおかめに扮した女子が、また昇殿と四丁目ではひょっとこに扮した男子が、それぞれ祢里の前面で手古舞という軽快な踊りを行う。 行事日は、江戸時代は毎年旧暦1月7、8、9日であったが、明治5年の改暦で毎年新暦3月7、8、9日となり、以降数度の変更を経て平成6年より毎年新暦4月第一金、土、日曜日となった。 4月第一金曜日は揃という。各町が祢里を準備し、午後から自町や隣接町を巡行する。夜、西五町と総称される東新町、西新町、東田町、西田町、大工町の5町の祢里は、夜は横須賀の西端付近の水神宮と横須賀城跡まで巡行する。 翌土曜日は宵宮という。早朝から祢里を準備し、朝祭と称して自町を巡行した後、神社に向かう。この間、社殿では籤引きが行われ、翌日の巡行順が決まる。やがて境内に全町の祢里が揃うと、年番による当番町が境内中央に設けられた舞屋で囃子を奉納する。続いて役廻りと称して、各町の祢里が個々に全町の会所をめぐって役太鼓を披露する。役廻りの後は夜祭で、袮里の天幕や花などを外して提灯を灯し、再び神社付近まで巡行する。 翌日曜日は本楽である。宵宮と同様に朝祭を行った後、全町の袮里が横須賀の東端に参集し、籤引きの順に氏子域を巡行する。神社の前を通過する際は屋台下や馬鹿囃子を奏する。一方、神社からは神輿が御旅所に渡御する。袮里は、この神輿とすれ違う際は停止して囃子も止める。御旅所は2か所あり、どちらも神輿が着くと神子抱き神事がある。女性たちがおねんねこ様と呼ぶ赤子の人形を抱いて子授けなどを祈願する。神輿が還御すると、舞屋で地固めの舞や田遊びが行われる。一方、巡行を終えた祢里は、天幕を外して提灯を灯し、夜祭として神社まで巡行する。全町の祢里が境内に揃うと千秋楽と称する囃子の競演を行い、手締めをして行事が終了する。 (解説は選択当時のものです)