国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
灘の酒樽製作技術
ふりがな
:
なだのさかだるせいさくぎじゅつ
灘の酒樽製作技術(側立て)
写真一覧▶
解説表示▶
種別1
:
民俗技術
種別2
:
生産・生業
その他参考となるべき事項
:
選択番号
:
選択年月日
:
2019.03.28(平成31.03.28)
追加年月日
:
選択基準1
:
(三)地域的特色を示すもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
兵庫県
所在地
:
保護団体名
:
灘の酒樽製作技術保存会
灘の酒樽製作技術(側立て)
解説文:
詳細解説
灘の酒樽製作技術は,兵庫県東部の灘五郷と呼ばれてきた地域において江戸時代より大量醸造されてきた日本酒を出荷・運搬するために用いられてきた容器である酒樽を製作する技術である。
日本酒は,中世末に完成されたという澄み酒の醸造技術を経て,江戸時代に灘や伊丹,伏見などで大量醸造されるようになる。特に灘は,良質な水が湧出し,冬期の寒風に恵まれ,出荷にも便利な立地であったため,大量の質の良い日本酒を樽廻船で江戸に出荷・運搬できた。本件は,この運搬に用いた酒樽を製作した技術で,その製作量も醸造量に比例して飛躍した。
製作工程は,大きく竹割り,タガ巻き,側立ての3工程からなり,職人は全行程を1人で行う。竹割りは,酒樽を最後にしめるタガの材料である竹ヒゴを製作する工程で,ワリセンやワリダケなどの用具を用いて真竹を細く縦割りする。タガ巻きは,竹ヒゴ1本を巧みに編み込んで円いタガを製作する工程で,職人は立ったまま素手だけで一定の円のタガを勘で製作する。側立ては,吉野杉を加工した側板を組み合わせて酒樽の形状を作り,タガでしめて酒樽を完成させる工程で,様々な種類の鉋やセンを用いる。特にショウジキと呼ぶ鉋を用いて側板どうしの接合面を整える作業は,酒が漏れないようにする重要な作業で,木の性質や季節,温湿度などを考慮して勘を頼りに行う。
(解説は選択当時のものです)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
灘の酒樽製作技術(側立て)
灘の酒樽製作技術(タガ編み)
灘の酒樽製作技術(側立て)
灘の酒樽製作技術(側立て)
灘の酒樽製作技術(竹割り)
写真一覧
灘の酒樽製作技術(側立て)
写真一覧
灘の酒樽製作技術(タガ編み)
写真一覧
灘の酒樽製作技術(側立て)
写真一覧
灘の酒樽製作技術(側立て)
写真一覧
灘の酒樽製作技術(竹割り)
解説文
灘の酒樽製作技術は,兵庫県東部の灘五郷と呼ばれてきた地域において江戸時代より大量醸造されてきた日本酒を出荷・運搬するために用いられてきた容器である酒樽を製作する技術である。 日本酒は,中世末に完成されたという澄み酒の醸造技術を経て,江戸時代に灘や伊丹,伏見などで大量醸造されるようになる。特に灘は,良質な水が湧出し,冬期の寒風に恵まれ,出荷にも便利な立地であったため,大量の質の良い日本酒を樽廻船で江戸に出荷・運搬できた。本件は,この運搬に用いた酒樽を製作した技術で,その製作量も醸造量に比例して飛躍した。 製作工程は,大きく竹割り,タガ巻き,側立ての3工程からなり,職人は全行程を1人で行う。竹割りは,酒樽を最後にしめるタガの材料である竹ヒゴを製作する工程で,ワリセンやワリダケなどの用具を用いて真竹を細く縦割りする。タガ巻きは,竹ヒゴ1本を巧みに編み込んで円いタガを製作する工程で,職人は立ったまま素手だけで一定の円のタガを勘で製作する。側立ては,吉野杉を加工した側板を組み合わせて酒樽の形状を作り,タガでしめて酒樽を完成させる工程で,様々な種類の鉋やセンを用いる。特にショウジキと呼ぶ鉋を用いて側板どうしの接合面を整える作業は,酒が漏れないようにする重要な作業で,木の性質や季節,温湿度などを考慮して勘を頼りに行う。 (解説は選択当時のものです)
詳細解説▶
詳細解説
灘の酒樽製作技術は、兵庫県東部の灘五郷と呼ばれてきた地域において、江戸時代より盛んに醸造されてきた日本酒を出荷・運搬するために用いられてきた容器である酒樽を製作する技術である。 日本酒は、中世末に奈良で生まれたといわれる「南都諸白」の醸造技術を経て、江戸時代に灘や伊丹、伏見など畿内で主に醸造されるようになった。そして江戸時代中期以降、醸造量の増加に伴って次第に町場を中心に日常飲酒の習慣も広まった。醸造地の中でも灘は、宮水と呼ばれる六甲山の良質な伏流水が湧出し、冬期には六甲おろしと呼ばれる冷たい北風が六甲山から吹きおろすなど、最適な気候条件のもと良質な日本酒を醸造してきた。加えて、瀬戸内海に面して伊丹や伏見などと比べて出荷にも至便であったことから、樽廻船で大量の日本酒を江戸に出荷できた結果、一時は江戸で消費される下り酒の大半を灘の日本酒が占めるほどであった。 この灘の日本酒の出荷・運搬に用いられてきた酒樽を製作する技術が本件である。我が国の桶・樽の製作は、曲げ物に取って代わる形で室町時代中期以降に徐々に広まるといわれるが、特に灘では江戸時代中期以降、日本酒の醸造量の増加に合わせて飛躍的に発展し、醸造用の大桶類を製作する職人とは別に、出荷・運搬用の酒樽を専門に大量製作する職人が活躍した。また、灘の酒樽の製作には、吉野山地で育成・加工された良質の吉野杉を、吉野川と大阪湾を介して灘に簡便かつ大量に搬入できたことも大きな影響を与えた。 酒樽の製作は、大きく、竹割り、タガ巻き、側立ての3つの工程からなり、1人の職人で全ての行程を行うことができる。 竹割りは、酒樽を最後に締めるタガの材料である竹ヒゴを製作する工程である。ワリセン(割銑)やワリダケ(割竹)などの道具を用いて真竹を幅2㎝ほどの竹ヒゴに細く割る。職人は、地べたに座り、真竹にワリセンで切れ込みを入れた後、足で押さえたワリダケを切れ込みにあてて真竹を押すように素早く送り出して縦割りしていく。次いで、ワリセンを用いて竹ヒゴの裏の節もはじくように取り除く。 タガ巻きは、1本の竹ヒゴを巧みに編み込んで円いタガを製作する工程である。職人は立ったまま、特に用具は用いず、素手だけで、また経験と勘を頼りに一定の直径のタガを製作する。 側立ては、吉野杉を加工した側板を接ぎ合せて円筒状に組み立て、タガを嵌め込んで締めて酒樽を完成させる工程である。側板には長方形のクレ(榑)と台形のヤ(矢)の2種があり、組み立てにはクレを15~18本ほど、ヤを6本ほど用いる。その際、ショウジキ(正直)と呼ばれる鉋でクレやヤの側面を微調整する。これはクレやヤが密着して酒が漏れないようにする工程で、「ショウジキを突く」などと称され、木の性質や製作の季節や天候、その日の温湿度などを考慮しつつ勘だけで行う最も難しい作業の1つである。 クレとヤを円筒状に組み立てると、竹製や鉄製のカリワ(仮輪)を嵌めて仮固定し、上下を逆にして口縁部から底部に向かって7つのタガを順に嵌め込んでいく。タガを嵌め込む際は、タガにシメギ(締木)をあててシメギを木製の槌で強く、かつバランスよく叩いていく。最初に口縁部にクチワ(口輪)と呼ぶタガを嵌めてカリワを外し、続いて樽の内側を丸鉋で滑らかに削る。次いで、アリキリと呼ぶ鉋で底部の内側に溝(アリ)をつけ、アリに合わせてソコブタと呼ぶ底板を槌で強く叩いて嵌める。同様にカガミと呼ぶ蓋も嵌めた後、銑で樽の外側を滑らかに削るハラムキ(腹剥き)を行う。次に、カサネ、オナカ(大中)、コナカ(小中)、ソコモチ(三番ともいう)、二番の順にタガを嵌め込み、最後に、底部の凸凹を外銑や内銑などで削って均し、ナキワあるいはトメワと呼ばれるタガを底部に嵌め込むと酒樽が完成する。 (解説は選択当時のものです)