国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
薩摩川内の大綱引き
ふりがな
:
さつませんだいのおおつなひき
薩摩川内の大綱引き
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
娯楽・競技
その他参考となるべき事項
:
公開期日:毎年秋分の日の前日(※選択当時・お出かけの際は該当の市町村教育委員会にご確認ください)
選択番号
:
626
選択年月日
:
2019.03.28(平成31.03.28)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
鹿児島県
所在地
:
保護団体名
:
川内大綱引保存会
薩摩川内の大綱引き
解説文:
詳細解説
薩摩川内の大綱引きは,鹿児島県薩󠄀摩川内市に伝承される若者たちを中心とした綱引きの行事で,毎年9月の秋分の日の前日に行われる。市内はもとより,周辺地域からも多くの参加者や見物客が訪れて賑わいを見せ,九州地方における最大の綱引き行事であるといわれている。
大綱引きは,綱(つな)練(ね)りと本綱(ほんづな)の二つから構成される。綱練りは,大綱を編む作業のことで,早朝より住民総出で藁縄の大綱を綯(な)っていく。それが終わると,ワサ作りといって綱の両端に輪が設けられ,最後に綱出しと称して,市内の国道上に大綱を担ぎ込み,道路中央にダンギと称する支柱を立て,綱の中心部を載せて綱練りが終わる。完成した大綱は,長さ約365メートル,直径約40センチ,重さ約7トンと公称されている。一方,本綱は,実際の綱引きのことで,市街を上方(赤組)と下方(白組)とに二分して行われる。引き方の指令・伝令役となる太鼓隊,引き手となる引き隊,引き手を妨害する押し隊,ダンギにワサを引っ掛けるワサ係などの役割がある。総勢約3,000人にのぼる上半身裸の若者たちが一斉に綱を引き合い,引き手の邪魔をしようと相手陣内に押し入ろうとする押し隊同士のぶつかり合いは勇壮である。本綱はおよそ一時間半にわたって繰り広げられ,膠着状態となった時点で審判が綱を切断し,勝敗が決められる。勝てば運に恵まれるとも伝えられる。
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
薩摩川内の大綱引き
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薩摩川内の大綱引き
解説文
薩摩川内の大綱引きは,鹿児島県薩󠄀摩川内市に伝承される若者たちを中心とした綱引きの行事で,毎年9月の秋分の日の前日に行われる。市内はもとより,周辺地域からも多くの参加者や見物客が訪れて賑わいを見せ,九州地方における最大の綱引き行事であるといわれている。 大綱引きは,綱(つな)練(ね)りと本綱(ほんづな)の二つから構成される。綱練りは,大綱を編む作業のことで,早朝より住民総出で藁縄の大綱を綯(な)っていく。それが終わると,ワサ作りといって綱の両端に輪が設けられ,最後に綱出しと称して,市内の国道上に大綱を担ぎ込み,道路中央にダンギと称する支柱を立て,綱の中心部を載せて綱練りが終わる。完成した大綱は,長さ約365メートル,直径約40センチ,重さ約7トンと公称されている。一方,本綱は,実際の綱引きのことで,市街を上方(赤組)と下方(白組)とに二分して行われる。引き方の指令・伝令役となる太鼓隊,引き手となる引き隊,引き手を妨害する押し隊,ダンギにワサを引っ掛けるワサ係などの役割がある。総勢約3,000人にのぼる上半身裸の若者たちが一斉に綱を引き合い,引き手の邪魔をしようと相手陣内に押し入ろうとする押し隊同士のぶつかり合いは勇壮である。本綱はおよそ一時間半にわたって繰り広げられ,膠着状態となった時点で審判が綱を切断し,勝敗が決められる。勝てば運に恵まれるとも伝えられる。
詳細解説▶
詳細解説
薩摩川内の大綱引きは、鹿児島県薩󠄀摩川内市に伝承される若者たちを中心とした綱引きの行事で、毎年9月の、秋分の日の前日に行われる。早くから競技化傾向にあったとみられ、都市祭礼の一面を持ちつつ、周辺地域からも多数の参加者や見物客が訪れるものとなっており、その規模は九州一円でも最大と目される。 薩󠄀摩川内市は、北薩の中心都市で、鹿児島県の北西部に位置する。川内平野をほぼ取り込んだ市域の面積は県内でもっとも広く、東シナ海に面するとともに、西流して注ぐ大型河川の川内川を有している。その河口は細長い湾状となって内陸の市街地まで達していることから、街は川を挟んで南北に二分される形となっている。中心地の川内は、古代、薩摩国府や国分寺が置かれたところでもあり、古くより国内外の拠点となる河港都市として栄え、さまざまな農産物や物資の集散地であった。近年では、原子力発電所の設置や九州新幹線の開通などの影響もあって、再開発の波が押し寄せつつある。 この行事は、南九州一帯でみられる旧暦8月15日の十五夜綱引きにその淵源が求められる。このことは明治期の新聞記事などでも推し量られるが、商業都市という舞台を背景に、当時は数日間にわたり、いくつかの町内ごとで披露し、川内の綱引きと総称していた。それが昭和初期以降統合されていき、現在では国道三号が通る太平橋を境に、南北に位置する向田地区と大小路地区が主導して実施するようになっている。由来については、慶長の役(慶長2年)の出兵の際、島津義弘が兵士の士気を高めるために行ったのがはじまりとも伝え、もとより競技化傾向にあったことが窺えるが、これは口碑であって、往時のあり方がどこまで現況に則したものなのか、詳しくはわかっていない。ちなみに、言い伝えにある慶長の役が関ヶ原の戦いに取って代わる場合もある。実施日としては、変遷はあったものの、十五夜日と現行日との時季的な近似が認められる。 行事の構成としては、綱練りと本綱とに大別できる。綱練りは、準備段階に相当するもので、早朝より住民総出で所定の路上に集まり、長さ400mの藁縄365本をもって、大綱を練って(綯なって)いく。練り手は1500人ほどになるという。3本に撚った綱をさらに撚り合わせて1本の綱にしていくという人力作業である。最近は、綱にする稲藁が不足してきたこともあって、地元農家と協力して入手を図っている。綱練り自体は昼食を挟んで午後2時頃には終了となるが、こののちはワサ作りといって、綱の両端に輪が設けられる。そして最後には、綱出しと称して国道3号上に大綱を担ぎ込み、道路中央にダンギ(壇木)と称する支柱を立て、そこに綱の中心部を載せて設置完了となる。こうしてできた大綱は、長さ約365m、直径約40㎝、重さ約7tと公称されている。 本綱は、綱引きの意で、開始直前にはダンギ祭りと称して、神主らによる安全祈願がある。そののち、市街を上方(赤組)と下方(白組)とに二分したそれぞれの三役(一番太鼓、大将、押大将)が中央に向かって入場し、いよいよ夜8時過ぎから綱割りといって、綱引きが開始される。役割分担としては、引き方の指令・伝令役となる太鼓隊、実際の引き手となる引き隊、引き手の妨害をする押し隊、ダンギにワサを引っ掛けるワサ係などから構成される。総勢約3000人にのぼる上半身裸の若者たちが、一斉に綱を引き合い、そして引き手の邪魔をすべく相手陣内に押し入ろうとする押し隊同士のぶつかり合いは、勇壮にして圧巻である。こうして、本綱は、およそ1時間半にわたり、9時半過ぎまで延々と繰り広げられる。その見所は、この巨大な綱がいったん動き出すと止めることは不可能に近いため、ワサ掛けすることで綱を止め、止めれば相手陣営の様子を窺いつつ、隙あらば太鼓を轟かせ一気に綱を引き戻す場面である。体力温存の加減もあって、うまく引けることもあれば、まったく動じないこともあり、どのタイミングで勝負を掛けるかが焦点となっている。そして、最終的に膠着状態となった時点で、審判が綱にノコ(鋸)を入れて切断し、勝敗が決せられる。勝てば運に恵まれるなどという。 (解説は選択当時のものです)