国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
岩川の弥五郎どん
ふりがな
:
いわがわのやごろうどん
岩川の弥五郎どん
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解説表示▶
種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開期日:11月3日,4日,5日(※選択当時・お出かけの際は該当の市町村教育委員会にご確認ください)
選択番号
:
625
選択年月日
:
2019.03.28(平成31.03.28)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
鹿児島県
所在地
:
保護団体名
:
弥五郎どん祭り保存会
岩川の弥五郎どん
解説文:
詳細解説
岩川の弥五郎どんは,鹿児島県曽於市大隅町岩川に伝承される,大人形を繰り出す祭事のことで,南九州に顕著な浜下りの一つでもある。鎮守社の岩川八幡神社の秋の例大祭に伴って行われ,その年の山野の収穫を祝って感謝を捧げる祭礼である。
行事の内容は,大人形の組み立てとその巡行から構成される。触れ太鼓といって,深夜に若衆たちが「弥五郎どんが起きっどー」の掛け声とともに太鼓を叩きながら,組み立ての開始を地区中に触れ廻わる。その後,社殿内で組み立てがはじまる。竹籠状に編んだ本体を組み合わせ,衣装を着せ,最後に面を付けて完成となる。出来上がった大人形は社殿から境内へ出され,次いで弥五郎どん起こしが行われる。「弥五郎どんが起きっどー」の大声があがると,一気に立ち上げられる。大人形の高さは5mほどにもなる。
昼過ぎになると,浜下りとも称する巡行がはじまる。山上にある神社から御旅所まで行列を組み,太鼓隊,大人形,大傘,神輿,威儀物(幟や矛など)の順番で進む。大人形の曳き手は,子どもたちが中心で「ワッショイ,ワッショイ」と掛け声をかけながら歩く。一行が御旅所に着くと,休憩の後,再び神社へ戻る。そして,翌4日を挟んで5日には,神社の宮司らによる例祭があり,これがすむと大人形は解体されて終了となる。
(解説は選択当時のものです)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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岩川の弥五郎どん
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岩川の弥五郎どん
解説文
岩川の弥五郎どんは,鹿児島県曽於市大隅町岩川に伝承される,大人形を繰り出す祭事のことで,南九州に顕著な浜下りの一つでもある。鎮守社の岩川八幡神社の秋の例大祭に伴って行われ,その年の山野の収穫を祝って感謝を捧げる祭礼である。 行事の内容は,大人形の組み立てとその巡行から構成される。触れ太鼓といって,深夜に若衆たちが「弥五郎どんが起きっどー」の掛け声とともに太鼓を叩きながら,組み立ての開始を地区中に触れ廻わる。その後,社殿内で組み立てがはじまる。竹籠状に編んだ本体を組み合わせ,衣装を着せ,最後に面を付けて完成となる。出来上がった大人形は社殿から境内へ出され,次いで弥五郎どん起こしが行われる。「弥五郎どんが起きっどー」の大声があがると,一気に立ち上げられる。大人形の高さは5mほどにもなる。 昼過ぎになると,浜下りとも称する巡行がはじまる。山上にある神社から御旅所まで行列を組み,太鼓隊,大人形,大傘,神輿,威儀物(幟や矛など)の順番で進む。大人形の曳き手は,子どもたちが中心で「ワッショイ,ワッショイ」と掛け声をかけながら歩く。一行が御旅所に着くと,休憩の後,再び神社へ戻る。そして,翌4日を挟んで5日には,神社の宮司らによる例祭があり,これがすむと大人形は解体されて終了となる。 (解説は選択当時のものです)
詳細解説▶
詳細解説
岩川の弥五郎どんは、鹿児島県曽於市大隅町岩川に伝承される、大人形を繰り出す祭事のことで、南九州に顕著な浜下りの1つでもある。鎮守社となる岩川八幡神社の秋の例大祭にともなって行われ、その年の山野の収穫を祝って感謝を捧げる祭礼である。 曽於市は、鹿児島県大隅半島の北部にある市で、平成17年に曽於郡の大隅町、財部町、末吉町が合併して成立した。そのほとんどがシラス台地となっており、牛や豚などの畜産、柚子や甘藷などの畑作を中心とした農業が盛んで、宮崎県都城市とも隣接することから、当該地との日常生活や文化面でのつながりも少なくない。大隅町岩川は、こうした市域の南に位置し、起伏のある地勢のなか、横断する菱田川の流域に展開している。 南九州では、秋祭りのことをホゼと呼ぶ。そしてホゼにおいては、神社の御神体が社殿から出て、浜まで巡行する形式の祭礼が多々みられ、これを浜下りといっている。本件もかつては大人形を川辺まで出していたことから、弥五郎どんの浜下りと称することがある。また、各地の浜下りでは、神王面(面様)といって、形相著しい面をもって御神体とし、それを携えて巡り歩くことで疫病退散や除災を祈願するところもあって、それらとの類似性も看過できない。この大人弥五郎の祭りが持つ御霊的な側面については、柳田国男が「妖怪談義」などで指摘しているところでもある。 史料としては、天保14年(1843)の『三国名勝図会』などがある。同書では、岩川の祭礼について「祭祀十月五日、その日華表より一町ばかり距れる処に、浜下の式あり、大人の形を造て先払とす、身の長け一丈六尺、梅染単衣を着て刀大小を佩び、四輪車の上に立つ、此人形は土人伝へて、大人弥五郎といひ」云々とあって、少なくとも近世後期には、ほぼ現在と同様に存在していたことがわかる。 祭りの概要としては、大人形の組み立てとその巡行とに大別できる。組み立ては11月3日未明の深夜に行われるが、まずは触れ太鼓といって、午前1時になると若衆たちが「弥五郎どんが起きっどー」の掛け声とともに太鼓を叩きながら、組み立ての開始を地区中に触れ廻っていく。戻ってくると、起こし太鼓と称し、同様の所作があったのち、いよいよ社殿内にて組み立てがはじまる。竹籠状に編んだ本体を組み合わせ、衣装を着せ、最後に面を付していく。なお、胴体部の竹籠と衣装は4年に1度作り替え、更新することになっている。こうして4時頃までには完成させ、大人形を社殿から境内へと出すと、次に、弥五郎どん起こしとなる。これに立ち会うと体が丈夫になる、運気がよくなるなどとされているため、このときには参拝者も多数集まってきて、賑やかとなる。煙火の合図で「弥五郎どんが起きっどー」の大声があがると、大人形は一気に立ち上げられ、拍手をあびる。大人形の高さは5mほどにもなる。そしてこの後も、晒を腰に巻いたり、刀を差すなど、付帯の作業は粛々と続けられ、明け方までには完成となって境内に飾られる。 昼過ぎになると、浜下りとも称する巡行がはじめられる。小高い山の上にある神社から所定の御旅所まで、行列をなして歩いていくが、その順序は太鼓隊、大人形、大傘、神輿、威儀物(幟や矛など)である。また、大人形の曳き手は子どもたちが中心で「ワッショイ、ワッショイ」と掛け声をかけながら進んでいく。こうして、御旅所に至ると、いったん休憩したのち、再び神社へと戻ることになるが、この頃はもう夕暮れどきである。そして、翌4日を挟んで5日には宮司らによる例祭があり、これがすむと大人形は解体される。 (解説は選択当時のものです)