国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
近江の郷祭り
ふりがな
:
おうみのごうまつり
〇各集落の氏子代表(川上祭り・高島市)
写真一覧▶
解説表示▶
種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開期日:通年随時(※選択当時:お出かけの際は該当の市町村教育委員会にお問い合わせください)
選択番号
:
選択年月日
:
2020.03.16(令和2.03.16)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
滋賀県
所在地
:
保護団体名
:
特定せず
〇各集落の氏子代表(川上祭り・高島市)
解説文:
詳細解説
近江の郷祭りは、滋賀県のほぼ全域にわたって顕著にみられる祭礼である。郷と称する複数集落によって継承されているが、その連合体となる各集落にも、そもそも個別の神社があるのが通常で、そのため当該住民にとっては祭祀する神社が複数併存することになる。いわば二重の氏子でもあるが、こうした重層的な郷祭りのあり方は、従来、中世の荘園制と荘園鎮守社の存在をはじめ、水利慣行、あるいは在地有力者の連合体などがその背景にあると指摘されてきた。
郷祭りでは、各集落が輪番で祭礼に関する諸役を務めたり、あるいは役割を定めるなど、永年にわたる様々なしきたりによって、祭りが運営されている。座衆ともいって、各集落には神職とは別に、神社祭祀を預かる特定集団(宮座)が存在し、さらにその中から輪番制などで任を受けた戸主らが当年祭事の運用にあたっている。これを頭屋などという。そのほか、担ぎ手や曳き手、踊り手などを担う若衆や子ども衆がおり、集落内の年齢階梯制も含みつつ、より一層、複雑な様相を呈している。
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
〇各集落の氏子代表(川上祭り・高島市)
〇子どもたちによるカチアイ(川上祭り・高島市)
写真一覧
〇各集落の氏子代表(川上祭り・高島市)
写真一覧
〇子どもたちによるカチアイ(川上祭り・高島市)
解説文
近江の郷祭りは、滋賀県のほぼ全域にわたって顕著にみられる祭礼である。郷と称する複数集落によって継承されているが、その連合体となる各集落にも、そもそも個別の神社があるのが通常で、そのため当該住民にとっては祭祀する神社が複数併存することになる。いわば二重の氏子でもあるが、こうした重層的な郷祭りのあり方は、従来、中世の荘園制と荘園鎮守社の存在をはじめ、水利慣行、あるいは在地有力者の連合体などがその背景にあると指摘されてきた。 郷祭りでは、各集落が輪番で祭礼に関する諸役を務めたり、あるいは役割を定めるなど、永年にわたる様々なしきたりによって、祭りが運営されている。座衆ともいって、各集落には神職とは別に、神社祭祀を預かる特定集団(宮座)が存在し、さらにその中から輪番制などで任を受けた戸主らが当年祭事の運用にあたっている。これを頭屋などという。そのほか、担ぎ手や曳き手、踊り手などを担う若衆や子ども衆がおり、集落内の年齢階梯制も含みつつ、より一層、複雑な様相を呈している。
詳細解説▶
詳細解説
近江の郷祭りは、滋賀県のほぼ全域にわたって顕著にみられる祭礼である。郷と称する複数集落によって継承されるが、連合体となる各集落にも、そもそも個別の神社があるのが通常で、そのため当該住民にとっては祭祀する神社が複数併存することになる。いわゆる二重氏子のことであるが、こうした重層的な郷祭りのあり方は、従来、中世の荘園制と荘園鎮守社の存在をはじめ、水利慣行、あるいは在地有力者の連合体などがその背景にあると指摘されてきた。郷祭りでは、各集落が輪番で祭礼に関する諸役を務めたり、あるいは役割を定めるなど、永年にわたる様々なしきたりによって、祭りが運営されている。 担い手としては、座衆などといって、各集落には神職とは別に、神社祭祀を預かる特定集団(宮座)が存在し、さらにその中から輪番制などで任を受けた戸主らが当年祭事の運用にあたっている。これを頭屋などという。そのほか、担ぎ手や曳き手、踊り手などを担う若衆や子供衆がおり、集落内の年齢階梯制も含みつつ、より一層、複雑な様相を呈している。なお、祭礼日については、地域によって異なり一様ではない。また、頭屋たちは、祭礼日以外にも祭り寄りなどと称し、恒常的に集まる機会も多々あって、祭祀は1日のみで完結しない。 たとえば、高島市今津町の川上祭りでは、これを川上庄の祭りと伝え、中世以来の祭礼として自認してきた。現在、川上と呼ぶ地域があるわけではないが、川上祭りと称し、毎年4月18日を本祭日として庄内の繁栄と五穀豊穣を願っている。その構成は、旧庄域を北組(5集落)・南組(4集落)・西組(5集落)の3組に分け、それぞれが1年交代の輪番制で神輿番・幟番・踊子番を務めることとしている。さらに、神輿と幟(大幟・小幟)を別個に繰り出す神社として日置神社と津野神社とがあるが、これも毎年交互にその役割りを替えている。どちらも川上庄の総社と伝え、このときの神輿には両社の分霊を一緒に納めることになっている。また、10数メートルほどある大幟(2基)は竹を根ごと掘り起こし、麻袋で根巻きしたもので、その形状は独特である。担い手の中心は、各集落の区長と宮元と呼ばれる両神社の氏子総代であるが、ことに区長の役割分担は重層的である。年番といって、組ごとに当該年の当番集落を輪番で定めており、その年番となる集落の区長を年番区長といい、さらに年番区長らの互選によって年番長(1名)を選出している。この年番長が運営全体の代表となるのである。また、各組では、年番とは別に祭礼の用意を預かる集落もあって、こちらも輪番制としており、当地ではこのことをトウヤ、トヤバンと呼んでいる。 祭りの概略としては、各組それぞれに、馬場と称する渡御先の祭礼場へと向かい、全体が合流したのち、所定の斎場まで順次移動するというものである。馬場は、日置神社と津野神社との、ほぼ中間地点に位置しており、東から西に向かって馬場道といって、160mほどの通りが付設されており、その西奥に斎場がある。この日の午前中、神輿番の集落組は神輿を出す当該神社へ、幟番の集落組は幟を出す当該神社へと各々集まる。他方、踊子番の集落組のみ、一足先に馬場へと向かう。神輿番と幟番は、各神社にて神職による所定の神事があったのち出発となるので、やや遅れる形となる。昼過ぎまでには、それぞれが馬場の東端に到着、暫時休憩ののち、まずは先んじて神輿が馬場道を通って西奥へと進み、斎場に安置される。次に、流鏑馬と称して馬駆けがあると、小幟・大幟・踊り子の順に馬場奥へと向かっていく。小幟は、たくさんの色紙を吊るした笹飾りで、子どもたちがカチアイといって地面をはたきながら進む。大幟は、根ごと綱で引きずってゆくので、休み休みとなる。そして、そのあとにサンヤレと囃しながら踊り子らが続く。こうして、一同が順次斎場へと到達すると、大幟は倒され、全員で伊勢音頭を謡って散会となり、神輿は還御し、人々は夕暮れ前にはそれぞれの集落へと帰っていく。