国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
池田の柴祭り
ふりがな
:
いけだのしばまつり
〇シシ狩り(1月3日)
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
年中行事
その他参考となるべき事項
:
公開期日:毎年12月30日~1月20日(選択当時:お出かけの際は該当の市町村教育委員会にお問い合わせください)
選択番号
:
629
選択年月日
:
2020.03.16(令和2.03.16)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
鹿児島県
所在地
:
保護団体名
:
池田の柴祭り保存会
〇シシ狩り(1月3日)
解説文:
詳細解説
池田の柴祭りは、地区の旗山神社を中心に伝承される年初の行事である。暮れに柴ンカン(柴の神)といって、山から神と見立てた多数の榊の枝葉を迎え、いったん伏せておき、正月2日以降、神面や金幣束、鉾などを携えて、いくつもの所定の斎場を巡りつつ、柴を立てては言祝いでゆく。この途次では、櫛初めや剃り初め、唄い初め、針起こし、ナンコはじめ、あるいは田起こしや種播き・田植え・鳥追い、そして鍬はじめ、狩はじめ等々、さまざまな予祝儀礼が随所で繰り広げられる。
諸儀礼のなかでも、正月2日の「田打ち」と3日の「シシ狩り」は注目される。前者は稲作の所作をするもので、牛役の者たちが鍬形の枝(桜の枝)で耕しはじめると、頃合いを見計らって突然、起こした土を見物人に投げつけだす。すると、あたりは騒然となる。また、後者は狩りの模倣を行う祭事で、犬役が吠えるなか、神職らが手製の弓を持ち「おった、おった」などといいながら、藁で拵えた猪に向かって矢を放ち、射止めていく。終わると、シシの毛を焼くといって猪と弓矢は燃やされる。
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
〇シシ狩り(1月3日)
〇田打ち(1月2日)
シシ狩り(1月3日)
田打ち(1月2日)a
田打ち(1月2日)b
田打ち(1月2日)c
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〇シシ狩り(1月3日)
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〇田打ち(1月2日)
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シシ狩り(1月3日)
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田打ち(1月2日)a
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田打ち(1月2日)b
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田打ち(1月2日)c
解説文
池田の柴祭りは、地区の旗山神社を中心に伝承される年初の行事である。暮れに柴ンカン(柴の神)といって、山から神と見立てた多数の榊の枝葉を迎え、いったん伏せておき、正月2日以降、神面や金幣束、鉾などを携えて、いくつもの所定の斎場を巡りつつ、柴を立てては言祝いでゆく。この途次では、櫛初めや剃り初め、唄い初め、針起こし、ナンコはじめ、あるいは田起こしや種播き・田植え・鳥追い、そして鍬はじめ、狩はじめ等々、さまざまな予祝儀礼が随所で繰り広げられる。 諸儀礼のなかでも、正月2日の「田打ち」と3日の「シシ狩り」は注目される。前者は稲作の所作をするもので、牛役の者たちが鍬形の枝(桜の枝)で耕しはじめると、頃合いを見計らって突然、起こした土を見物人に投げつけだす。すると、あたりは騒然となる。また、後者は狩りの模倣を行う祭事で、犬役が吠えるなか、神職らが手製の弓を持ち「おった、おった」などといいながら、藁で拵えた猪に向かって矢を放ち、射止めていく。終わると、シシの毛を焼くといって猪と弓矢は燃やされる。
詳細解説▶
詳細解説
池田の柴祭りは、錦江町池田の旗山神社を中心として伝承される年初の行事である。暮れの30日に柴ンカン(柴の神)といって、山から神と見立てた多数の榊の枝葉を迎え、いったん伏せておき、正月2日以降、神面や金幣束、鉾などを携えて、いくつもの所定の斎場を巡りつつ、柴を立てては言祝いでゆく。この途次では、櫛初めや剃り初め、唄い初め、針起こし、ナンコはじめ、あるいは田起こしや種播き・田植え・鳥追い、そして鍬はじめ、狩はじめ等々、様々な予祝儀礼が随所で繰り広げられる。 錦江町は、鹿児島県の大隅半島西部に位置し、その大半は国見連山(肝属山地)で占められ、西は鹿児島湾(錦江湾)を挟んで薩摩半島と対峙する。池田をはじめとする安水・白井の各地区は、町のほぼ中北部にあって大根占台地上に展開している。厚く堆積して凝固した岩盤上に、火山灰が降り積もってできたシラス台地である。その標高は、おおむね150m程度になるが、起伏に激しい。そのため、基幹となる生業は、肉牛や豚、鶏などの畜産と、茶や馬鈴薯、大根といった蔬菜栽培を中心とした農業となっている。町の南には花瀬と称する溶結凝灰岩の川面にみる景勝地や、照葉樹林の原生林が広がっている。 伏せおかれた柴は、正月2日に起こされる。この日の午前中、神職宅にて奏楽者の伶人ともども櫛初め・剃り初め・唄い初めがある。その後、総じてホイドンと呼ばれる一行は、安水地区の立神神社に移動し、柴を立て、所定の神事を納めたのち、境内にて田打ちと称して稲作の所作をする。牛役の者たちが鍬形の枝(桜の枝)で耕しはじめると、頃合いを見計らって突然、起こした土を見物人に投げつけだす。すると、あたりは騒然となる。これを2回行ったのち、種になぞらえた米や苗に見立てた榊の葉を撒き、鳥追いの唱えごとをする。こうして田打ちが終わると、安水・白井地区合同の公民館へと場を替えて、今度はハナ作りが行われる。ハナは、川柳の枝にタネ(米)とカシキ(榊葉)を添えて半紙で巻いたもので、各戸に配られ、各家では神棚などに飾られる。次に針起こしがあるが、これは縫い初めで、三角袋が仕立てられる。できあがると、米を入れて床の間に供え、直会が始まる。直会では大きな里芋の吸い物がお決まりとなっている。また、この最中にはナンコはじめもある。これは薩摩拳のことで、いわゆる拳遊びであるが、この頃になると人々の笑い声も絶えない。こうして直会がお開きとなると、近くの畑で戸主の代表が土を2、3回さくり、鍬はじめをして、この日の祭事は終わる。 翌3日は、ホイドンや氏子らが列をなし、旗山神社からコノ坂という小高い山に登っていく。到着すると、所定の場所でまずは柴立てをしたのち、盗人を描いた紙を地面に広げ、手足や目、口などを小枝で刺しつつ、悪いことはしないようにと諭す。次に、藁で拵えた猪(4体)を椎の木で作った繁みに隠しておいたところで、シシ狩りの真似事をする。犬役が吠えるなか、ホイドンらが手製の弓を持ち「おった、おった」などといいながら、矢を放ち、射止めていく。終わると、シシの毛を焼くといって猪と弓矢は燃やされる。次に、二の柴というところで柴を立てて唱えたのち、最後に藁苞に入れたシシ肉を小刀で賽の目に切って、順次「トーン」といってから、参列者らが摘まんで口にしていく。シシ肉は、シトギと称し、米粉を湯水で練ったものである。こうして、山を下り、神社へと戻って、この日の祭事は終了となる。かつては、この日をもって山の口が開くといっていた。 翌4日は、一の柴、二の柴、三の柴、そして最後に高尾神社へと向かう。各所いずれも同様にして柴を立て、所定の神事を行っていく。特に、高尾神社では先述と同様にして、ここでもシシ肉を食べることになっている。なお、この日の二の柴とは、前日の箇所とはまったく異なる場所である。こうしたのち、やがて二十日正月を迎えると、旗山神社の拝殿等を飾っていた柴は取り払われ、境内にある大楠の洞に納められ、すべての祭事は終了となって、人々は普段の生活に戻ることができるのだという。