国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
用瀬の流しびな
ふりがな
:
もちがせのながしびな
06用瀬の流しびな_桟俵と雛人形
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
年中行事
その他参考となるべき事項
:
公開期日:毎年旧暦3月3日(※選択当時:お出かけの際は該当の市町村教育委員会にお問い合わせください)
選択番号
:
選択年月日
:
2021.03.11(令和3.03.11)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
鳥取県
所在地
:
鳥取県鳥取市用瀬町
保護団体名
:
用瀬民俗保存会
06用瀬の流しびな_桟俵と雛人形
解説文:
詳細解説
本件は、鳥取県鳥取市用瀬町に伝承される女児の三月節供の行事で、晴着で着飾った女児たちが雛人形に災厄を託して川に流し、無病息災や無事な成長を祈願する。
かつては、旧暦3月3日の夕方頃から家ごとに行われていたが、現在は、同日の午後、地区を流れる千代川の水辺で時間を定めて行っている。雛人形は、男女一対の小さな紙雛で、藁製の丸い桟俵の上にのせ、桃の小枝や季節の花、菓子などを添えて、川の緩やかな瀬を選んで下流へと送る。また、この日には、「ひな荒らし」と称して、近所の子供たちを自宅に呼んで雛祭りの御馳走を振舞う習わしもあり、各家では、新旧の雛人形を座敷や玄関口などに飾り、一般に披露する。
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
06用瀬の流しびな_桟俵と雛人形
06用瀬の流しびな_流しびな
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解説文
本件は、鳥取県鳥取市用瀬町に伝承される女児の三月節供の行事で、晴着で着飾った女児たちが雛人形に災厄を託して川に流し、無病息災や無事な成長を祈願する。 かつては、旧暦3月3日の夕方頃から家ごとに行われていたが、現在は、同日の午後、地区を流れる千代川の水辺で時間を定めて行っている。雛人形は、男女一対の小さな紙雛で、藁製の丸い桟俵の上にのせ、桃の小枝や季節の花、菓子などを添えて、川の緩やかな瀬を選んで下流へと送る。また、この日には、「ひな荒らし」と称して、近所の子供たちを自宅に呼んで雛祭りの御馳走を振舞う習わしもあり、各家では、新旧の雛人形を座敷や玄関口などに飾り、一般に披露する。
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詳細解説
用瀬の流しびなは、鳥取県鳥取市用瀬町に伝承される女児の三月節供の行事で、晴着で着飾った女児たちが雛人形に災厄を託して川に流し、無病息災や無事な成長を祈願する。 用瀬町は、鳥取県東部の山間地域に位置する。古くから畿内と因幡地方を結ぶ交通の要衝であり、近世には因幡街道の宿場町として栄えた。近年は「流しびなの里」の名称で、流しびなの風習を伝える町として広く知られるようになり、町内には、全国各地の雛人形などを展示する「流しびなの館」もある。 本行事は、町の中央を流れる千代川の川原で、毎年旧暦三月三日に行われる。流しびなは、家ごとに伝承されてきた女児の節供の行事であり、女児とその家族が夕方近くになると三々五々と千代川を訪れ、持参した雛人形を流すかたちで行われてきた。現在は、行事当日の午後、千代川の中洲に整備された「ふれあいの水辺」を会場とし、幼稚園児と小学生を中心とする女児たちを組分けし、時間を定めて行っている。 雛人形は、男女一対の小さな紙雛で、立ち雛の形式をとる。人形は、丸めた粘土に胡粉を塗り、髪と顔を描いて頭部を作り、これに竹ひごを差して、梅鉢の紋様を描いた赤色の紙の着物を着せたものである。男雛には金色の袴、女雛には金色の帯を付ける。雛人形は、かつては家々で作られており、地域の商店や行商人から買い求めることもあった。現在は、地元有志で結成される「ときわ流しびなの会」が雛人形と人形を載せる桟俵の作り方の伝承に努めており、用瀬民俗保存会も協力し、その指導を受けて町の各地区や小学校などで当日までに用意している。行事の発祥や由来については、女性守護の信仰である淡島信仰との関わりがある、また、近世に鳥取城下の人々の間で行われていた習慣が周辺の農村にも伝わった、などの見方があるが詳らかでない。 行事の当日は、所定の時間になると、晴れ着姿の女児たちが母親に連れられ、千代川の会場に参集する。女児たちは、水辺に一列に並んで座り、雛人形と供物を桟俵の上に載せ、緩やかな水面を選んでそっと下流へと流し送る。桟俵には、向かって右に男雛、左に女雛を置き、人形の周囲に供物として菱餅やおいり(糯米や玄米を炒って飴で固めた菓子)、桃の小枝、菜の花、椿の花などを添える。かつては、女児の母親が線香やロウソクを桟俵に供えることも行われていたが、現在はみられなくなっている。雛人形を流すと、女児たちは無病息災を祈って手を合わせる。流した雛人形は、早く見えなくなるのがよいといわれ、途中で岸辺の岩や流木などに引っ掛かると、災厄や穢れが去らないといって縁起の悪いこととされた。流しびなが終わると、会場近くの川原では、用瀬町内や近隣の家々から集められた古い雛人形を燃やす、お焚き上げが行われる。 また、行事の日には、「ひな荒らし」といって、近所の子供たちや親類縁者を自宅に招き、雛祭りのご馳走を振る舞う習慣がある。近年は、地区の公民館を会場として行われるようになってきている。この日には、子供たちが集落の家々を回り、雛壇に供えた菓子を自由に取って食べたり、供物をもらい歩いたりすることも行われていた。「ひな荒らし」の呼称は、このような節供時の習わしに由来するとされる。女児のいる家では、雛人形を座敷に飾り、白酒や菱餅、巻きずし、クワイやタニシの煮物、カレイの一夜干しなどを作って供え、これらの品々を来客のためにも用意をする。また、街道沿いの家々では、新旧の雛人形を座敷や玄関口、庭先などに飾り、一般に披露する。 なお、鳥取県における流しびなの行事は、鳥取県東部の因幡地方で広く行われてきた。とくに千代川とその支流の地域に数多くみられたが、現在は、用瀬町を除いて伝承が途絶えている。