国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
松江のホーランエンヤ
ふりがな
:
まつえのほーらんえんや
07松江のホーランエンヤ_陸船の渡御
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開期日:5月中下旬(10年ごと)(※選択当時:お出かけの際は該当の市町村教育委員会にお問い合わせください)
選択番号
:
選択年月日
:
2021.03.11(令和3.03.11)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
島根県
所在地
:
島根県松江市
保護団体名
:
ホーランエンヤ五大地連合保存会
07松江のホーランエンヤ_陸船の渡御
解説文:
詳細解説
松江のホーランエンヤは、島根県松江市にある城山稲荷神社の船祭である。10年に一度の式年祭において、華やかに飾られた大船行列が神霊をともない往還する。馬潟、矢田、大井、福富、大海崎の5地区は「五大地」と呼ばれ、神輿船の曳船となる櫂伝馬船を繰り出す。この五大地を中心とするホーランエンヤ五大地連合保存会が、この船祭を伝承している。櫂伝馬船は、馬潟のものが最大で全長15メートル、幅3メートルで、片側が8丁櫂である。帆柱の先端に金色の宝珠を飾り、色とりどりの幟旗や吹流しをなびかせる。櫂伝馬船には総勢50人ほどが乗り込み、ホーランエンヤの舟唄や太鼓に合わせて船上で櫂伝馬踊りが奉納される。祭礼は、渡御祭、中日祭、還御祭の順で、9日間にわたる。初日の渡御祭では、10キロメートルほど離れた御旅所の阿太加夜神社まで船渡御が行われる。船行列は、100艘以上の大船団による1キロメートルに及ぶもので、大橋川、中海、意宇川を進む。中日祭では、車輪の付いた陸船に乗り換えて阿太加夜神社までの陸路を進む。還御祭では、阿太加夜神社を発して再び大船行列で進み、城山稲荷神社に戻る。
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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07松江のホーランエンヤ_陸船の渡御
07松江のホーランエンヤ_櫂伝馬船の水上渡御
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07松江のホーランエンヤ_陸船の渡御
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07松江のホーランエンヤ_櫂伝馬船の水上渡御
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解説文
松江のホーランエンヤは、島根県松江市にある城山稲荷神社の船祭である。10年に一度の式年祭において、華やかに飾られた大船行列が神霊をともない往還する。馬潟、矢田、大井、福富、大海崎の5地区は「五大地」と呼ばれ、神輿船の曳船となる櫂伝馬船を繰り出す。この五大地を中心とするホーランエンヤ五大地連合保存会が、この船祭を伝承している。櫂伝馬船は、馬潟のものが最大で全長15メートル、幅3メートルで、片側が8丁櫂である。帆柱の先端に金色の宝珠を飾り、色とりどりの幟旗や吹流しをなびかせる。櫂伝馬船には総勢50人ほどが乗り込み、ホーランエンヤの舟唄や太鼓に合わせて船上で櫂伝馬踊りが奉納される。祭礼は、渡御祭、中日祭、還御祭の順で、9日間にわたる。初日の渡御祭では、10キロメートルほど離れた御旅所の阿太加夜神社まで船渡御が行われる。船行列は、100艘以上の大船団による1キロメートルに及ぶもので、大橋川、中海、意宇川を進む。中日祭では、車輪の付いた陸船に乗り換えて阿太加夜神社までの陸路を進む。還御祭では、阿太加夜神社を発して再び大船行列で進み、城山稲荷神社に戻る。
詳細解説▶
詳細解説
松江のホーランエンヤは、島根県松江市にある城山稲荷神社の船祭である。10年に一度の式年祭において、華やかに飾られた大船行列が神霊をともない往還する。 松江市は、島根県出雲地方に位置し、近世には松江藩の城下町として発展した山陰の地方都市である。同市は、宍道湖、中海、大橋川、市街を縦横に流れる松江城の堀川などの水環境に恵まれ、これにより「水の都」と呼ばれている。ホーランエンヤが伝承されている城山稲荷神社は、市街中心部の松江城内に鎮座する。 ホーランエンヤの由来は、近世初頭に松江藩主が城山稲荷神社の神霊を船で運び、五穀豊穣を祈願したことに始まるとされ、以後式年で行ってきたと伝える。この祭礼は、神輿船の曳船となる櫂伝馬船を繰り出す馬潟、矢田、大井、福富、大海崎の五地区を中心に行われている。この五地区は、大橋川が中海に注ぐ河口周辺にあって「五大地」と呼ばれる。この五大地を中心とするホーランエンヤ五大地連合保存会が、この船祭を伝承している。 櫂伝馬船は、五大地から一艘ずつ出される祭礼船である。その由来は、文化5年(1808)に祭礼が執り行われたとき、神輿船が馬潟沖で嵐に遭遇し、馬潟の漁師が曳船で送り届けたことに始まると伝えている。それ以後、10年ごとに残りの地区が順に加わり、現在の五地区になったとされる。現在は、加わった順に一番船から五番船までが決められている。 櫂伝馬船は、馬潟地区の一番船が最大で、全長15メートル、幅3メートルで、片側が八丁櫂である。先端に金色の宝珠をつけた帆柱を立て、色とりどりの幟旗や吹流しをなびかせる。馬潟の櫂伝馬船は、曳船の由来から、いの一番を表す「い一」と船体に記されている。船首には御神燈を立て、紫色の幟を掲げる。矢田地区の二番船は、鳥の嘴状の舳先に飾房を吊るしており、これはかつての北前船に習ったものと伝えている。船首には、社紋旗を飾る。大井地区の三番船は、船首中央に真榊をつけた幟を立てる。福富地区の四番船は、両舷に日の丸の旗を掲げ、中央に矢車を立て、船尾には真榊をつけた幟を立てる。大海崎地区の五番船は、嘉永元年(1848)に最後に曳船に加わったとされる。船首には「先頭船」と記された旗、真榊をつけた幟、御神燈を掲げて、神輿船から最も離れて最初に進む。 櫂伝馬船の船行列では、伝馬長が指揮し、櫂掻が漕ぐ。船主で水先が見張り、船尾で練櫂が舵を操る。このほかにも船上では、音頭、太鼓、踊り子など総勢50人ほどが乗り込む。ホーランエンヤの舟唄や太鼓に合わせて、剣櫂や采振などの踊り子が船上で櫂伝馬踊を奉納する。この時の掛け声が、ホーランエンヤの行事名となっている。 祭礼は、渡御祭、中日祭、還御祭の順で、9日間にわたって行われる。初日の渡御祭では、城山稲荷神社の神霊を陸行列で大橋川の河畔に運び、神輿船に遷して船行列を行った後、御旅所の阿太加夜神社まで向かう。途中の船行列では、誘導船が先頭になって清目船、櫂伝馬船、神輿船、氏子船など100艘以上が、1キロメートルにわたる大船団を組んで、大橋川、中海、意宇川を進む。そして10キロメートルほど離れた阿太加夜神社に向かう。次の中日祭では、祭礼の中日に、意宇川から阿太加夜神社までの順路を、車輪の付いた陸船に乗り換えて進む。次の還御祭では、最終日の9日目に、阿太加夜神社から逆の順路で再び大船行列で進み、城山稲荷神社に向かう。大橋川の到着地からは陸行列で城山稲荷神社に戻り、祭礼は終了する。