国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
大山こまの製作技術
ふりがな
:
おおやまこまのせいさくぎじゅつ
轆轤を使った製作風景
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種別1
:
民俗技術
種別2
:
生産・生業
その他参考となるべき事項
:
選択番号
:
633
選択年月日
:
2023.03.22(令和5.03.22)
追加年月日
:
選択基準1
:
選択基準2
:
選択基準3
:
(三)地域的特色を示すもの
所在都道府県、地域
:
神奈川県
所在地
:
神奈川県伊勢原市大山
保護団体名
:
伊勢原市大山こま製作技術保存会
轆轤を使った製作風景
解説文:
詳細解説
本件は、神奈川県伊勢原市の大山に伝承される、木製玩具の「こま」を製作する技術である。大山こまは、近世中期から盛んとなる大山詣りの土産物として知られ、家内安全や商売繁盛の縁起物として参詣者に買い求められてきた。ミズキを原材料として作られ、芯棒が太く、全体に丸みを帯びた重厚な形が特徴である。
その製作技術は、轆轤の回転を利用して部材の成形や彩色をする木地師の技術を伝えていて重要であるが、生業の変化等によって技術の伝承が難しくなっており、また、伝承者の高齢化も進んでいることから、早急な記録の作成を必要とするものである。
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
轆轤を使った製作風景
大山こま(製品)
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轆轤を使った製作風景
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大山こま(製品)
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解説文
本件は、神奈川県伊勢原市の大山に伝承される、木製玩具の「こま」を製作する技術である。大山こまは、近世中期から盛んとなる大山詣りの土産物として知られ、家内安全や商売繁盛の縁起物として参詣者に買い求められてきた。ミズキを原材料として作られ、芯棒が太く、全体に丸みを帯びた重厚な形が特徴である。 その製作技術は、轆轤の回転を利用して部材の成形や彩色をする木地師の技術を伝えていて重要であるが、生業の変化等によって技術の伝承が難しくなっており、また、伝承者の高齢化も進んでいることから、早急な記録の作成を必要とするものである。
詳細解説▶
詳細解説
大山こまの製作技術は、神奈川県伊勢原市大山に伝承される木製の玩具の「こま」を製作する技術である。大山こまは、近世に盛んとなる大山詣りの土産物として知られ、全体に丸みを帯びた重厚な形で、芯棒が太く、紅や紫を基調とした同心円状の模様が特徴である。その製作技術は、轆轤を用いて木工品を製作する木地師の挽物の技術を伝えている。 大山は、伊勢原市の北西部、丹沢山地の南東端にあり、三角型の秀麗な山容のため、古くから信仰の対象とされてきた。近世中期以降、登拝を目的とする大山講が関東地方を中心に各地で結成され、大山詣りが流行すると、山麓の鈴川沿いに形成された門前町には、宿坊とともに土産物屋が並び、参詣者を相手に木地製品が売られるようになる。安永2年(1773)刊行の玩具絵本『江都二色』には、江戸で流行した玩具類の一つとして、轆轤目の付いた大山こまが描かれており、当時すでによく知られた大山産の木地玩具であったことがうかがわれる。現在でも、千代見橋付近から大山ケーブル駅までの参詣道は、「こま参道」と呼ばれ、大山こまを売る店が軒を連ねている。 大山こまは、大山の豊かな木材を生かして挽物を作る、大山木地師と呼ばれる職人集団によって製作されてきた。昭和初期には20人ほどの職人がいて、けん玉や鉄砲、ダルマ落としなど様々な木地玩具が作られており、なかでも、大山こまは、よく回るので「金運がついて回る」、その丸みのある形から「円満」などといわれ、商売繁盛や家内安全の縁起物として人気を博した。しかし、戦後になると木製品の需要が低下し、木地玩具の製作は、次第にこま作りに集約するようになり、こまが当地における唯一の挽物となった。現在は、職人の数も減少し、高齢化も進んだため、伊勢原市大山こま製作技術保存会を結成し、技術の継承に努めている。 こまの製作は、原材料となるミズキの用意から始まる。ミズキは、色が白くて美しく、木質も柔らかいので、細工物に向くとされ、水分が上がった秋頃に伐採し、皮を剥いで一か月ほど天日に干した後、適当な長さに切って作業小屋に納めておく。こま作りは、主に冬期の作業で、12月から正月にかけて行う職人が多かったが、現在は一年を通して製作されている。まず初めに玉切りと称して、十分に乾燥させたミズキをこまの厚さに輪切りにし、チョウナを用いて円筒形に形を整える。こまの芯棒は、木材に筒状の細い金型をあて、木槌で叩いて打ち抜いて作り、回した際に本体から抜けないように先端を細く、中央を太く調整する。 こうして荒削りしたこま本体の木材を轆轤で回転させ、バイトやミズヒキと呼ばれるカンナ類の刃を当てて削っていく。このときに刃物を安定させるため、ウシと呼ばれる木製の支えを使用する。当地の轆轤は、回転軸が水平の足踏み式で、職人が轆轤の正面に座り、自ら踏み板を交互に踏んで動かし、木材を横軸で回転させて加工する形態のものである。足踏み式の轆轤は、昭和30年代に入るとモーターの動力を利用するようになるが、軸回転の構造や作業の内容は変わっていない。削る木材は、円形の木枠に嵌め込み、轆轤の軸頭に取り付けて固定する。まずミズヒキで本体の中央に穴を空ける。芯棒用の穴は、芯棒が上に突き抜けないように穴の上部を細く削っておく。次いで、芯棒を本体に差し込み、バイトで外側と芯棒の先端を削って形状を整え、外側を紫と紅の染料で彩色する。ここで削り出した材の上下を入れ替えて木枠に付け直し、今度は上面を削り、削り終えると、紅と藍の染料で同心円状の模様を轆轤の回転を利用して描く。最後に全体をロウで磨いて仕上げとなる。 なお、製品には、直径が二寸から六寸程までの大きさの各種のものがある。こまがぶれずに美しく回転し、回転軸が弧を描くように振れる、みそすり運動をきれいに行うように作るには、技術の習熟が必要とされる。