国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
北浦地方のサバー送り
ふりがな
:
きたうらちほうのさばーおくり
サバーサマとサネモリサマ
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
年中行事
その他参考となるべき事項
:
(公開期日)毎年6月下旬から7月上旬
選択番号
:
634
選択年月日
:
2023.03.22(令和5.03.22)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
山口県
所在地
:
山口県長門市・下関市
保護団体名
:
特定せず
サバーサマとサネモリサマ
解説文:
詳細解説
本件は、山口県の長門市から下関市にかけて広域的に行われる虫送りの行事である。6月下旬から7月上旬に、サバーサマとサネモリサマと呼ばれる2体の藁人形を集落の外に送り出すことで、稲につく害虫を追い払い、無事な生育を祈願する。長門市東深川の飯山八幡宮を起点として、地区から地区へと人形を送り継ぎ、最終的には下関市の豊北町と豊浦町にあたる西部の海岸から海に流される。
サバー送りが行われている地域では、稲作を中心として農業が盛んに営まれてきたが、生業の変化や過疎化によって、藁人形の作り手の高齢化や運び手の減少が進んでいることから、早急な記録の作成を必要とするものである。
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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サバーサマとサネモリサマ
飯山八幡宮からの送り出し
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サバーサマとサネモリサマ
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飯山八幡宮からの送り出し
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解説文
本件は、山口県の長門市から下関市にかけて広域的に行われる虫送りの行事である。6月下旬から7月上旬に、サバーサマとサネモリサマと呼ばれる2体の藁人形を集落の外に送り出すことで、稲につく害虫を追い払い、無事な生育を祈願する。長門市東深川の飯山八幡宮を起点として、地区から地区へと人形を送り継ぎ、最終的には下関市の豊北町と豊浦町にあたる西部の海岸から海に流される。 サバー送りが行われている地域では、稲作を中心として農業が盛んに営まれてきたが、生業の変化や過疎化によって、藁人形の作り手の高齢化や運び手の減少が進んでいることから、早急な記録の作成を必要とするものである。
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詳細解説
北浦地方のサバー送りは、山口県の長門市から下関市にかけて広域的に行われる虫送りの行事である。サバーサマとサネモリサマと呼ばれる二体の藁人形を集落の外に送り出すことで、稲の無事な生育を祈願するもので、地区から地区へと人形を送り継ぐ形で行われている。 本行事は、山口県北西部、日本海と響灘に面した北浦地方と呼ばれる地域に伝承されている。この地方の主な生業は、漁業と農業であるが、サバー送りが行われている地域では、稲作を中心とする農業が盛んに営まれてきた。 藁人形の送り継ぎは、長門市東深川の飯山八幡宮を起点とし、下関市の豊北町と豊浦町にあたる西部の海岸までの長い道程で行われる。その起源は定かではないが、天保年間に編纂された地誌『防長風土注進案』には、「五月蠅送り」の名称で本行事の記述がみられ、現在と同じように藁で二体の人形をつくり、海へ流す様子が記されている。 藁人形は、田植えを終えた6月下旬、飯山八幡宮の境内で、当社の氏子である藤中地区の人々によって製作される。かつては、藁人形の製作と送り出しは、当番となった地区がともに行っていたが、現在は、当社が鎮座する藤中地区が藁人形の製作を担当し、藁人形の送り出しは、上郷、藤中、中山、江良の4地区が輪番で行っている。 藁人形は、二体とも馬に乗った人の姿で、稲藁を材料として作られる。人形の顔の部分には、目や鼻、口を書き入れた和紙、背中には羽織の代わりに「一」と「〇」を書いた和紙を貼り、頭には和紙製の兜を被せる。人形の腰元には、木と紙で作った刀を差す。二体のうち一体がサバーサマ、もう一体がサネモリサマとなるが、明確な区別はなく、二体でサバ―サマとサネモリサマと考えられている。サバーサマは、ウンカと呼ばれる稲の害虫を具象化したもので、一方、サネモリサマは、源平合戦で討死し、稲の害虫となったとの伝説のある斎藤実盛を表しているとされる。藁人形は完成すると、7月上旬の行事当日まで飯山八幡宮の社殿内に置かれ、当日の三日前より宮司による虫送りの祈祷が毎日行われる。 行事当日は、当番地区の氏子が飯山八幡宮に集まり、オゴクと呼ばれる米飯を藁人形の腰に取り付け、出発に際し、宮司が虫除けの祈祷を行う。その後、鉦を持つ人を先頭に、幟、サバーサマ、サネモリサマの順に行列を組み、飯山八幡宮を出発する。かつては、行列に太鼓やほら貝も参加し、藁人形を送る唱え言をしながら集落の境となる送り継ぎの場所まで運んでいたとされる。現在は、神社を出た後は、トラックの荷台に藁人形を載せて運ぶようになっている。その途中、同市の西深川で2軒の家に立ち寄って人形につけたオゴクを渡す。2軒のうち1軒は、毎年固定しているが、もう1軒はその年ごとに決めている。オゴクを2軒の家に配ることについては、その伝承は不詳であるが、オゴクを食べると夏風邪をひかないといわれている。 一行が旧長門市と旧日置町との境である日置上長崎付近に到着するとトラックから降りて、再び行列を組み、鉦を叩きながら藁人形を担いで運ぶ。境に到着すると藁人形を置き、振り返らずに神社へ戻る。その後、直会となる。 これ以降、藁人形は、数週間かけて地区から地区へと順に送り継がれる。送り継ぎ方は、地域によって違いがあり、例えば旧日置町や旧油谷町では、地区の行事として子供たちが行列を組んで運んでおり、豊北町や豊浦町では、藁人形を見つけた者が運んでいる。下関市豊北町粟野以降になると、海側と山側で二つの経路があるが、藁人形は、最終的には下関市豊浦町の沿岸部に到達し、海に流される。