国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
中馬制
ふりがな
:
ちゅうませい
中馬制
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
生産・生業
その他参考となるべき事項
:
記録:『中馬の習俗(無形の民俗文化財記録第22集)』(文化庁文化財保護部・昭和52年3月15日)
選択番号
:
1
選択年月日
:
1954.11.00(昭和29.11.00)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
長野県
所在地
:
保護団体名
:
特定せず
中馬制
解説文:
詳細解説
中馬は、塩をはじめとして必要な物資を馬の背を用いて運送するもので、特に大規模な輸送の組織として著名なものである。農民が従事し、主に馬で物資を信濃と三河・尾張、ないしは信濃と甲斐の間を往復運搬した。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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中馬制
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中馬制
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中馬制
解説文
中馬は、塩をはじめとして必要な物資を馬の背を用いて運送するもので、特に大規模な輸送の組織として著名なものである。農民が従事し、主に馬で物資を信濃と三河・尾張、ないしは信濃と甲斐の間を往復運搬した。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
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詳細解説
塩をはじめとして必要な物資を牛馬の背を用いて運送することは我が国では古くから各地で行われてきた。その中でも特に大規模な輸送の組織として著名なものが、信州にみられた中馬制であった。 中馬は、農民がこれに従事し、主として馬を使って多くの物資を信濃と三河・尾張、ないしは信濃と甲斐の間を往復運搬した。また、農民の中には、物資の販売にも自ら手を伸ばしていく者もあった。 江戸時代後期から明治年間にかけてが中馬の最盛期であったが、その後汽車や自動車などの近代の輸送機関の発達につれて急速に衰亡した。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)