国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
武水別神社の頭人行事
ふりがな
:
たけみずわけじんじゃのとうにんぎょうじ
武水別神社の頭人行事
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年12月10日~15日(※選択当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
記録:『武水別神社大頭祭民俗文化財調査報告書』(平成22年・千曲市教育委員会)
選択番号
:
1
選択年月日
:
1986.12.17(昭和61.12.17)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
長野県
所在地
:
保護団体名
:
武水別神社頭人行事保存会
武水別神社の頭人行事
解説文:
詳細解説
この行事は、更埴市八幡の武水別神社で行われるとうや行事で、予め選出された5人の頭人が、1年間の諸準備、物忌生活を経て、新穀の餅を献供するものである。頭人は、10年間新穀の餅を献供し続け、最上位の大頭を勤めると「大頭筋」と称され、地域社会で高い家格を得た。東日本では珍しい古式のとうや行事である。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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武水別神社の頭人行事
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武水別神社の頭人行事
解説文
この行事は、更埴市八幡の武水別神社で行われるとうや行事で、予め選出された5人の頭人が、1年間の諸準備、物忌生活を経て、新穀の餅を献供するものである。頭人は、10年間新穀の餅を献供し続け、最上位の大頭を勤めると「大頭筋」と称され、地域社会で高い家格を得た。東日本では珍しい古式のとうや行事である。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
更埴市八幡の武水別神社は、式内の古社で、旧更級郡八幡村・更級村及び旧埴科郡五加村の3か村21字の総鎮守で、東日本では珍しい古式のとうや行事を残している。 この神社の大頭祭は、12月10日から15日にかけて行われ、選出された5人の頭人(とうやの主人のこと。一番頭から五番頭まであり、順々に連日御供を献納する序列は最下位の五番頭から四番頭、二番頭、一番頭、三番頭の順である)が、新穀の餅(御供と称する)を献供するもので、もとは霜月(11月)に実施されていた。 祭りの名は、最上位の頭人(三番頭)を大頭と称するところから由来している。 頭人は、1年間「本頭」、9年間「脇頭(頭人を勤めた翌年から9年間、御供を献じる者)」として、10年間新穀の餅を献供し続ける。献供して11年目にして、その子が次の上位の番の頭人の資格を得るという掟が現在も厳守されており、5代目(最小限50年間ほどを要する)に及んで始めて最上位の大頭を勤める資格を有するのである。一度大頭の役を勤めた家は「大頭筋」と称され、地域社会において高い家格を得たとされる。 頭人行事の始まりは、12月15日で、夕刻から頭人の選出があり、お頭組編成が行われる。 16日に「お頭渡し」、「お頭受け」を行い、松丸太や笹竹で作られた「オハッカイ」という祭壇を、頭人の家の門口あるいは庭隅に設ける(現在は宮司の家の庭に設ける)。 21日以後の日に「初口開け」の祭りを行う。かつては、頭人は、これ以後、翌年の祭りまで毎朝オハッカイを拝礼した。また、初口開けの祭りの日、親類知人を招いて振舞いを行った。この後、オハッカイの四方を萱筵で巻いておく。 翌春以降「御供田」(御供の稲を耕作する頭人の田)での「御田植え」、稲から穂を抜いてオハッカイに掛ける「八重じめ祭り」、12月初めには大頭の「釜清め」をして「御供の餅つき」を行う。 頭人は、「オネリ(頭人以下五役が揃って、行列をつくり、神社にお参りする)」の前の1週間、自宅の一室に忌籠って別火生活をする。これを「コショウジン」と称する。また、祭り当日も口をきかず無言の状態で1日を過ごす。 オネリの当日、頭人はオハッカイ前で「出立ち」の儀式を行った後、「中宿」となる斎の森で夕刻まで過ごし、「トウドノサマ」と尊称され、村人たちの参詣を受ける。 夕刻になると、斎の森を出発して神社に向かい、参拝の後、馬に積んできた御供(餅)・御米・御菜・御薪を御供所に納め、帰宅する。 オネリの翌日の夜、頭人と脇頭の御供積の行事が行われる。12月17日から19日の間がオハッカイアゲでオハッカイに神饌をあげ、各頭の頭人らが拝礼後にオハッカイを焚きあげ、灰は清浄な場所に捨てる。 この行事は、頭人が1年間の諸準備、物忌生活を経て、俗人から頭人へと神格化して行く過程を明確に知ることができる行事であり、東日本では珍しい古式のとうや行事をよく伝えるものである。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)