国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
石垣島四ヶ村のプーリィ(豊年祭)
ふりがな
:
いしがきじましかむらのぷーりぃ(ほうねんさい)
石垣島四ヶ村のプーリィ(豊年祭)
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年陰暦6月の2回目の壬および癸の吉日から2日間(※選択当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
選択番号
:
1
選択年月日
:
1993.11.26(平成5.11.26)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
沖縄県
所在地
:
保護団体名
:
石垣島登野城字会,大川字会,石垣字会,新川字会
石垣島四ヶ村のプーリィ(豊年祭)
解説文:
詳細解説
この行事は、稲粟の収穫を終えた陰暦6月の収穫儀礼を伴う豊年の大祭である。過去1年の収穫の感謝と願解き、新たに来年の豊作祈願が色濃く現れる行事で、4つのムラ(字会)がそれぞれのオン(御嶽)および真乙姥御嶽で様々な儀礼や芸能を行う。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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石垣島四ヶ村のプーリィ(豊年祭)
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石垣島四ヶ村のプーリィ(豊年祭)
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石垣島四ヶ村のプーリィ(豊年祭)
解説文
この行事は、稲粟の収穫を終えた陰暦6月の収穫儀礼を伴う豊年の大祭である。過去1年の収穫の感謝と願解き、新たに来年の豊作祈願が色濃く現れる行事で、4つのムラ(字会)がそれぞれのオン(御嶽)および真乙姥御嶽で様々な儀礼や芸能を行う。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
四ケ村とは、旧琉球王府の八重山統治の政庁があった中心地で、登野城・大川・石垣・新川の四町の古称である。 プーリィは、稲粟の収穫を終えた陰暦6月の収穫儀礼を伴う豊年の大祭である。過去1年の収穫の感謝と願解き、新たに来年の豊作祈願が色濃く現れる行事である。 初日は、4つのムラ(字会【あざかい】)がそれぞれのオン(御嶽)で、ツカサなどの神女を中心に行事が執行されることからオンプーリィともいう。東から順に登野城が天川御嶽、大川が大石垣御嶽、石垣が宮鳥御嶽、新川が長崎御嶽である。御嶽では奥のイビ(威部)に向けて、各家庭からの料理を供える。拝殿の前では、まず行事の最初に、各ムラの象徴である旗頭を先頭に鉦鼓【しようこ】隊が入場する。続いて婦人会の巻踊や獅子舞、組棒が演じられ、神酒の奉納、優秀農家の表彰などが続く。午後からは、境内にしつらえた舞台でいろいろな芸能が奉納される。大川では町内の綱引きがあり、夜遅くまで御嶽での各ムラ中心の行事でにぎわう。 2日目は、4つのムラをあげて祝い、来年の豊作の祈願をすることからムラプーリィという。この日は、新川に属する真乙姥【まいつば】御嶽に会場を移し、各ムラから大勢の人が集まって行事が執り行われる。真乙姥という女性は、16世紀初頭の有名な神女で、オヤケアカハチの乱で首里軍に味方して勝利に導いた功績により、神として祀られており、その遺徳をしのんでムラプーリィの祭場になっている。 午後、各ムラはそれぞれの御嶽から旗頭を先頭に真乙姥御嶽に集まる。各ムラには、それぞれのムラを象徴する2本ずつの旗頭がある。この日は、戦後新たにできた2つの町と農協・製糖会社からも1本ずつの旗頭が参加し、合計12本の旗頭が美しく立ち並ぶ。まず、旗頭を先頭に鉦鼓隊・巻踊が各ムラとグループから奉納される。 御嶽の前の路上では板の敷台に乗った男の神が東から現れ、反対側から同じく敷台に乗ってやってきたツカサに五穀の種子を授ける模擬的な儀式がある。続いて、ツカサから頂いた貫棒を、雌雄の綱を結び合わせて通し、綱を囲んで婦人たちが気勢をあげる。これも模擬的な綱引きで、アヒャー(身分の高い婦人)綱という。 夕刻、タイマツが点され、東西2組に分かれての綱引きである。兄弟村といわれる登野城と石垣、大川と新川に別れて引く。 この行事は、御嶽と村の繋がりが現在も生きており、また豊年行事の古い形が残っていることやそこに繰り広げられる様々な芸能などから沖縄を代表する行事の1つといえることから、早急に記録を作成する必要がある。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)