国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
会津の初市の習俗
ふりがな
:
あいづのはついちのしゅうぞく
会津の初市の習俗
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年1月中の決められた日(選択当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
映像:『会津の初市』(企画歴博・協力文化庁・制作桜映画社・平成14年度)
選択番号
:
1
選択年月日
:
1998.12.01(平成10.12.01)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
福島県
所在地
:
保護団体名
:
特定せず
会津の初市の習俗
解説文:
詳細解説
会津地方では、会津若松市の十日市、喜多方市の小荒井市、小田付市など年頭に市が立つ地域が多く、これらを初市といっている。初市では市神が祀られ、縁起物が売り出されてまちとむらの交流の場となり、またその年の吉凶を占う俵引きなどが行われる市もある。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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会津の初市の習俗
会津の初市の習俗
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会津の初市の習俗
解説文
会津地方では、会津若松市の十日市、喜多方市の小荒井市、小田付市など年頭に市が立つ地域が多く、これらを初市といっている。初市では市神が祀られ、縁起物が売り出されてまちとむらの交流の場となり、またその年の吉凶を占う俵引きなどが行われる市もある。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
福島県会津地方では、年の初めに市が立つ地域が多い。会津若松市の十日市、喜多方市の小田付市、小荒井市などはその代表である。これを初市といっているが、かつてこの地方で行われていた六斎市のなかの年の初めに行われていた市だけが残ったものといわれている。 初市には市神が祀られ、市に来た人びとはここにお参りする。会津若松市の十日市ではこの市神で小さな藁つとに包まれた市塩を買い求め、家に持ち帰って竃や囲炉裏などを清める習俗がある。初市には、起き上がり小法師や風車などの縁起物のほか、農具や生活用品などを売る店が立ち、近在のむらから多くの人びとがやってきて品物を買い求めるほか、親類や知人を訪れて新年の挨拶を交わす習俗があり、初市はまちの人とむらの人が交流する場でもあった。 会津若松市の十日市では通りの南北に仮屋が作られ、南に春日大明神、北に住吉大明神が市神として祀られる。かつてはこの両神の内側に市が立ったというが、現在ではその外側にまで店が出ている。 市には風車、起き上がり小法師、市飴などの縁起物を売る店のほか、桶、神棚、餅つき臼、杵、まな板や漆器類などを売る店が立ち並び、市内はもちろん近郊の農村からも人がやってきて賑わう。近郊の農村の人たちは「町年始」といって、町の知り合いの家を年始にまわる人たちも多い。 喜多方市では市神を祀って1月12日に小荒井市、17日に小田付市が行われる。 西会津町野沢でも1月13日に初市が行われ、町の通りに住吉・春日の二神が市神として祀られる。通りには風車、起き上がり小法師、市飴などの縁起物をはじめ、食べ物、玩具などを売る店が立ち並ぶ。 さらに、会津坂下町や会津高田町では初市に俵の両端につけた綱を二手に分かれて引き合う俵引きが行われ、その年の吉凶や農作物の豊凶を占う年占が行われている。 近世の若松城下の地誌である『町風俗習 大町』(貞享2年〈1684〉)には「正月十日市祭南ハ大町立町之中分、北ハ立町之終二ケ所ニ市神之仮屋ヲ作候(中略)同日之祭礼倉田氏某屋上より俵を市中に投曳奪申候、南之勝時ハ其年米穀価高く、北ニ行時ハ価安と申習候。又屋上ニ而米を売ひ参詣之輩求之、此例至徳元年正月十日之市を祭侯、以来今ニ至而無断絶由申伝候」と記されており、また「会藩年中行事十二カ月」と題された風俗画にも正月の情景として俵引きが描かれている。この絵では、検断倉田家の屋根に上がった町役人と俵を背負った翁役の人物が、俵を下の通りに集まった群衆に向かって投げおろそうとしている様子が描かれ、俵引きの様子がうかがえる資料となっている。 喜多方市には安政4年(1857)の木札のついた俵や、「此度初市之義ニ付御吟味被仰付奉承知候 一俵引ニ付居躰候相障候義ハ勿論(以下略)」と記された文政10年(1827)の文書などが残されており、近世後期に俵引きが行われていたことを裏づけている。同様に近世には他地域でも米引と称し俵引きが行われていたことが知られている。 また、会津若松市内所在の旧商人司であった梁田家文書や喜多方市内の文書史料などにも初市に関する記述がみられ、会津高田町には「連釈之大事」と記された市立ての作法を記した文書も伝えられている。これらにより会津地方における近世における初市の様子などを知ることができる。 この初市は、単に経済的な行為というだけでなく、市が神前において成立するという宗教的行為でもあった古い観念をうかがわせるものとして注目される。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)