国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
飛騨の絵馬市の習俗
ふりがな
:
ひだのえまいちのしゅうぞく
飛騨の絵馬市の習俗
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年8月上旬(※選択当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
映像:『飛騨の絵馬市の習俗』(普及編・記録編)(企画文化庁・製作NHKサービスセンター・平成22年3月)
選択番号
:
1
選択年月日
:
1998.12.01(平成10.12.01)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
岐阜県
所在地
:
保護団体名
:
特定せず
飛騨の絵馬市の習俗
解説文:
詳細解説
この習俗は、高山市の松倉山観音堂、池本屋、山桜神社、新平湯温泉の神明神社などで開かれる絵馬市の習俗である。境内で紙絵馬が売られ、参詣者はこれを購入して、牛馬の安全や家内安全などを祈願する。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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飛騨の絵馬市の習俗
飛騨の絵馬市の習俗
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飛騨の絵馬市の習俗
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飛騨の絵馬市の習俗
解説文
この習俗は、高山市の松倉山観音堂、池本屋、山桜神社、新平湯温泉の神明神社などで開かれる絵馬市の習俗である。境内で紙絵馬が売られ、参詣者はこれを購入して、牛馬の安全や家内安全などを祈願する。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
高山市では、松倉山観音堂の縁日などで絵馬市が開かれている。高山の絵馬は、紙絵馬で、牛馬の姿を描いたものである。本来は厩に貼って、牛馬の安全や稼ぎを祈願したものであった。牛馬は野外で働くものであり、飛騨地方では、戦前には貸し馬といって、農繁期に越中の農家に馬を貸す風習があったため、農家では紙絵馬に描かれた牛馬が厩の外側に向くように貼っていたという。また、当時商家では家の内側に向かって馬が駆け込むように紙絵馬を玄関先に貼り、家内安全や商売繁盛などを祈願する縁起物としていた。現在では馬を描いた絵馬の方が多くなり、福が家内に入ってくるように、商家での貼り方が一般的になっている。 松倉観音堂は、高山市内南方の松倉山の山腹にあり、市内天性寺町の素玄寺(曹洞宗)が管理している。8月9日昼に素玄寺の和尚が同寺観音堂の本尊馬頭観音を持参して、翌日昼まで絵馬市を開く。10日昼に本尊を素玄寺観音堂に戻すとともに、それから夜まで同寺観音堂で絵馬市を開く。 また、八軒町の池本屋でも9日朝から10日夜まで絵馬市を開く。 松倉山と素玄寺の観音堂の絵馬市で頒布される紙絵馬は、素玄寺の住職が刷った木版刷りのものである。池本屋の紙絵馬は手描きで、金嚢嚢(宝袋という)などを載せており、色鮮やかに彩色されている。紙絵馬には、注文主の名字や屋号を書き入れ、「松倉山」の朱印と祈願内容を表した印が捺される。現在、祈願内容の印は交通安全や家内繁盛などが主であるが、戦時中は武運長久、昭和20年代までは牛馬安全と養蚕満足などが中心で、子孫長久、生業繁栄などの印もあった。池本屋の紙絵馬も両観音堂で朱印を捺し、祈祷してもらう。八軒町は高山の旧市街地への入口に当たり、明治時代には数軒の紙絵馬の版元が絵馬市を開いていた。大正初期までは、八軒町の絵馬市で紙絵馬を買い求め、牛馬を連れて松倉山の観音堂に参拝し朱印をもらってくることが多かったという。貸し馬などをしていたため、松倉観音堂の縁日に馬を連れて行くことができず、紙絵馬で代参させることもあったと伝えられている。 絵馬市では、絵馬1枚を1頭と数え、「松倉相場」といって100円を100万円と言い換える習わしがある。松倉相場という言葉は、地元ではほら吹きや途方もない高額の意味をもって今でも使われている。 また高山市本町の山桜神社(馬頭様)では、戦後に絵馬市が始まり、現在では8月1日から15日にかけて独自に絵馬市を行っている。 また、吉城郡上宝村の新平湯温泉の神明神社でも7月31日から8月25日に絵馬市を開いている。 飛騨の絵馬市は、この地方の絵馬頒布の習俗をよく伝えており、民間信仰にかかわる市立ての習俗として貴重であることから早急に記録を作成する必要がある。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)