国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
尾鷲九木浦の正月行事
ふりがな
:
おわせくきうらのしょうがつぎょうじ
尾鷲九木浦の正月行事
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
年中行事
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年12月31日~1月5日(※選択当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
映像:『尾鷲九木浦の正月行事』(記録編・普及編)(企画文化庁・製作桜映画社・平成29年3月)
選択番号
:
1
選択年月日
:
1997.12.04(平成9.12.04)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
三重県
所在地
:
保護団体名
:
九木浦共同組合
尾鷲九木浦の正月行事
解説文:
詳細解説
この行事は、12月31日から1月5日まで、鰤大敷網漁の組合である九木浦共同組合の株をもつ者により行われる正月の行事である。2つの浦組からそれぞれ選ばれた祷人により、大晦日の夜籠りから、5日の鰤祭りまでの諸行事が毎日行われる。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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尾鷲九木浦の正月行事
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尾鷲九木浦の正月行事
解説文
この行事は、12月31日から1月5日まで、鰤大敷網漁の組合である九木浦共同組合の株をもつ者により行われる正月の行事である。2つの浦組からそれぞれ選ばれた祷人により、大晦日の夜籠りから、5日の鰤祭りまでの諸行事が毎日行われる。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
尾鷲市九木浦の正月行事は、以前は旧暦の12月31日から1月8日まで行われていたが、現在は新暦となり期間も短縮されて、1月5日までとなっている。 行事は大晦日から5日まで毎日続く。これらの行事を行う祷人【とうにん】は、鰤大敷網漁の組合である九木浦共同組合の株をもつ者だけが務めることができ、この組合が行事の諸経費を負担している。 九木浦にはもとの浦組組織が残っていて現在では一番から四番までの自治会に分かれている。このうち一・二番を遊谷配、三・四番を里配と呼び、両配から祭りを差配する「村組」各1名と「配役」各2名が選ばれる。ほかに各配から大祷【おおとう】(正月祷【しようがつとう】)・三月祷・五月祷・霜月祷の祷人各1名が選ばれ、かつてはそれぞれの月ごとに行事が行われたが、現在ではこれらの祷人によって正月行事だけが行われている。祭りの役にはこのほか中学1年生の男子2名が務める賀儀取【かぎとり】と、子どもの務める矢取りなどがあり、儀式の補佐役として組長が小祷を務める。 大晦日の昼、子どもたちは両配の各家を回り「ひょうけんぎょう」の薪を集める。夜、村組・配役・祷人たちの夜籠りに入る前に、聖地であるニラクラでこの薪を使って大火を焚く。村組・配役・祷人は大祷の家に集まり行列して九木神社に上がる。神社では盃事を行い、三月祷が稲荷社・鎮守社に参拝する。儀式後、直会になると神楽が舞う。神楽は獅子神楽で、ニラクラでも舞う。村組の一行は、海岸通りを通って下山し、ニラクラの火の消えたことを確認して大祷の家に戻る。 元日の「ニラクラの祭り」は、神主役・村組・配役・祷人・小祷がニラクラの祠を参拝する上の祝いと、相撲・下の祝いが行われる。相撲は大祷・霜月祷と4人の子どもたちによって行われる。消し炭を潮水でどろどろに溶かして土俵に入れ、大祷・霜月祷がマナバシで土俵をついた後、子どもを土俵に転がし、最後に海中に入って垢離をとる。下の祝いは、一同が共同組合の2階で盃事を行い、村組の謡で終了する。 2日の朝、祷人は大祷の家に集まる。賀儀取は大祷の家で風呂に入って昼食をとり、共同組合の2階に移って装束をつける。神楽の先導で神社に向かう。賀儀取は神楽の奉納後直ちに神社下の海で垢離をとり、この日から5日の祭礼まで籠堂に籠り朝夕2回の垢離と弓射の練習に精進する。この日の夜、村組・配役・祷人・小祷は地内にある眞巌寺にて住職から大般若経による祈祷を受ける。直会の後、小祷が全員の額に「牛玉宝印」を捺す。 3日午前中、村組・配役・祷人はそれぞれ決まった料理を持って神社に上がる。三月祷は賀儀取を正装させ、弓射の本番の稽古をさせる。終了後、社務所で直会をし伊勢音頭で下山する。この儀式と並行して元日に相撲を取った子ども4人が各家を回って弓射に使う的用の紙を集めて回る。午後、祷人は社務所にて弓飾りを作る。 4日朝、祷人は本祭りに使う魚を用意し、村組・配役は風呂で沐浴する。10時頃、口開きといい、共同組合役員八名が加わり本祭りの大祷の座敷に招待する組合員の忌みの調査と、魚・料理の検分をする。神社では賀儀取が赤飯を炊き、これを半紙で包んだオゴクを多数用意する。午後、霜月祷は明日の大祷の座敷に招待する人に使いし、村組・配役は弓射の的を編む。的は杉の薄い板を網代に編んで直径5尺の円形とし、半紙を張って烏賊墨で縁取りし、三重の同心円を書いたものである。この日、町内各組の組宿では祭礼の飾りつけを行う。この夜、神楽は神楽宿から町内を一巡する。村組・配役・祷人の一同は正装して大祷座敷に集合し、的を前に盃事をし、神楽の先導で各種の化粧をした練り人と呼ぶ青年や組合役員などと伊勢音頭などで囃しながら神社に練り込む。神社では賀儀取の前で神楽を舞い賀儀取の打つ太鼓の音で神社に参拝する。このとき、賀儀取と祷人は参拝者にオゴクを配り、参拝者は帰宅後神棚に供え、少しずつ食する。 5日は本祭りで、鰤祭りとも呼ばれる。午前に神楽の先導で祷人一同が賀儀取を神社から迎え、大祷座敷に導く。大祷座敷には的と弓を飾り、賀儀取は正装して着座する。霜月祷の3度の招きで参加者全員が着座し盃事を行う。午後、神楽が舞い、的を先頭に弓射の一行が町内を一巡して眞巌寺に向かう。寺庭に着くと賀儀取が古式の作法で四立弓を射る。射られた矢は矢取りの子どもによって集められ、賀儀取が祷人とともに的と鎮守社に神酒を捧げ、最後の矢を射る。この弓射は前弓・後弓に分かれて2度行われる。弓射が終了すると本尊の前で住職を中心に盃事を行う。的は見物人の手によって壊され持ち帰られる。神楽が舞われ神楽を先導に一同が戻る。大祷座敷は現在では共同組合の2階となっている。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)