国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
岩手の蘇民祭
ふりがな
:
いわてのそみんさい
岩手の蘇民祭
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:旧正月7・8日ほか(※選択当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
記録:『岩手の蘇民祭調査報告書』(岩手県教育委員会・平成14年3月31日)
選択番号
:
1
選択年月日
:
1995.12.26(平成7.12.26)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
岩手県
所在地
:
保護団体名
:
特定せず
岩手の蘇民祭
解説文:
詳細解説
岩手県内では旧正月を中心に裸の若者が「蘇民将来」と書かれた護符を奪い合う、蘇民祭の行事が伝えられている。祭りの次第はほぼ共通しており、旧水沢市の黒石寺の蘇民祭を例にみると、厄年の人や一般祈願者が褌姿で川で禊ぎをし(裸参り)、次いでヒタキノボリ、ベットウノボリ、オニコノボリなどの諸行事の後、蘇民袋が持ち出されて駒木と袋の争奪戦が行われる。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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岩手の蘇民祭
岩手の蘇民祭
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岩手の蘇民祭
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岩手の蘇民祭
解説文
岩手県内では旧正月を中心に裸の若者が「蘇民将来」と書かれた護符を奪い合う、蘇民祭の行事が伝えられている。祭りの次第はほぼ共通しており、旧水沢市の黒石寺の蘇民祭を例にみると、厄年の人や一般祈願者が褌姿で川で禊ぎをし(裸参り)、次いでヒタキノボリ、ベットウノボリ、オニコノボリなどの諸行事の後、蘇民袋が持ち出されて駒木と袋の争奪戦が行われる。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
岩手県内では旧正月を中心に裸の若者が「蘇民将来」と書かれた護符を奪い合う、蘇民祭の行事が伝えられている。 この行事は、現在県内の8か所において行われているが、断絶したところを含めるとその数は15か所に上るといわれる。祭りの次第はほぼ共通しているようであるが、なかでも最も大規模に行われているのは旧水沢市の黒石寺の蘇民祭である。 黒石寺の蘇民祭を例にとれば、祭りは毎年旧正月7日夜半から8日早暁にかけて行われている。祭りの中心は裸の男たちによる蘇民袋の中に納められた護符の取り合いである。 黒石寺は、薬師如来を本尊とし、天平元年(729)の開基と伝える天台宗の名刹で、蘇民祭は薬師様の祭りでもあった。 蘇民祭の準備は、12月13日から正月6日の間に行われる。12月13日にはお立木といい、庫裡の庭先に柴木を立て、その中央に桑と竹の弓を立てる。23日は煤掃きで本堂や庫裡を掃除する。大晦日から祭りの終わるまでは、門前の檀家は厳しい精進をする。 祭りは7日午後10時頃、庫裡前に厄年の人や一般祈願者たちが褌姿で集まり、角灯を手に列をつくって川に入って禊ぎをする。これを裸参りという。 11時半頃になると、裸の若者たちが松の丸太を井桁に組みこれに火を付けた上に交代で登り、黒石寺山内節を歌って気勢を上げるヒタキノボリ(柴燈木登り)を行う。 次いで、この丸太の燃えさしで、本堂の床を祓ってまわる。オノボリが登る道を祓うのだといわれる。 午前2時頃、ベットウノボリ(別当登り)といい、太刀を持ったタチキリという氏子2人を先頭に、黒石寺住職と麻製の蘇民袋を奉持した裸の一行が本堂に登り、護摩を焚いて厄払いと五穀豊穣の加持祈祷を行う。 続いて4時頃には麻の衣を付け背中に鬼面を逆さに付け、手に斧と才槌を持った7歳の男の子2人が、ウチコとよばれる氏子2人に背負われて、庫裡から本堂へと登る。これをオニコノボリ(鬼子登り)という。この鬼子は山の神の象徴とも、十二神将を象徴するものともいわれ、かつては鬼面が12面出たという。鬼子に登れば丈夫に育つと信じられている。 別当が餅と洗米を撒き、鬼子が松明を巡ると、蘇民袋が持ち出されて駒木と袋の争奪戦が始まる。争奪の一行は境内を出て近くの田圃まで行き、ここで親方の判定によって取り主と準取り主が決められる。この袋も蘇民将来の駒木と同様に災厄除けの護符となる。かつてはこの袋の取り合い中、門前の道路で東西に引き合い、この結果によって作占も行われたという。 この行事は、寺側から檀徒、世話人から親方衆が選ばれて執行する。親方衆は旧南部領と伊達領からそれぞれ6人ずつがでる。寺側の役は、住職の務める別当と門前の檀徒の務める寺主と維那とよばれる3役がある。 以上のように、この地域の蘇明祭は、全国各地に残る蘇民将来伝承に基づく行事のなかでも地域的特色が顕著なものであり、年頭の除災招福の行事の1つとしても注目されるものである。よって早急に記録を作成する必要がある。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)