国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
磐梯神社の舟引き祭り
ふりがな
:
ばんだいじんじゃのふなひきまつり
磐梯神社の舟引き祭り(舟引き行事)
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年春分の日(※選択当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
記録:『磐梯神社の舟引き祭り』(企画文化庁・製作(株)TEM研究所・平成30年3月)
選択番号
:
1
選択年月日
:
1995.12.26(平成7.12.26)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
福島県
所在地
:
保護団体名
:
磐梯町本寺区
磐梯神社の舟引き祭り(舟引き行事)
解説文:
詳細解説
磐梯神社の舟引き祭りは、木舟に米俵を3俵重ねて長い幣束を刺し、舟の両端につけた長い綱を氏子が引き合うものである。引き合いは3回行い、磐梯山のある東が勝てば豊作となって米の値段も上がるといわれ、判定は翁面をつけた神職が行う。この翁は磐梯神社に祀られている磐梯明神とされる。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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磐梯神社の舟引き祭り(舟引き行事)
磐梯神社の舟引き祭り(榊の舞)
磐梯神社の舟引き祭り(弓の舞)
磐梯神社の舟引き祭り(舟引き行事)
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磐梯神社の舟引き祭り(舟引き行事)
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磐梯神社の舟引き祭り(榊の舞)
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磐梯神社の舟引き祭り(弓の舞)
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磐梯神社の舟引き祭り(舟引き行事)
解説文
磐梯神社の舟引き祭りは、木舟に米俵を3俵重ねて長い幣束を刺し、舟の両端につけた長い綱を氏子が引き合うものである。引き合いは3回行い、磐梯山のある東が勝てば豊作となって米の値段も上がるといわれ、判定は翁面をつけた神職が行う。この翁は磐梯神社に祀られている磐梯明神とされる。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
磐梯神社はその名の通り磐梯山を神格化した磐梯明神を祀る神社で、明治維新の神仏分離政策によって独立した社格を得るまでは、慧日寺【えにちじ】の守護神として創建以来その境内に祀られていたものである。 この慧日寺は、山号を磐梯山といい、法相宗の学僧徳一が磐梯山の信仰を基に草堂を開き、唐僧慧昭の『能顕中辺慧日論』に因んで慧日寺と命名したことに始まるといわれる。 磐梯神社の舟引き祭りは、本来はこの慧日寺で行われた御国祭りの際に行われた祭りであった。『新編会津風土記』によると、磐梯明神を迎えて2月13日から16日までの4日間にわたり行われる行事で、舟引き祭りはこの御国祭りのなかで15日に行われていた。 この行事は、明治維新後の神仏分離令により慧日寺が廃寺となり、金堂跡に現在の磐梯神社の社殿が建立されると神社に引き継がれたが、戦時中一時期中断し、戦後、磐梯町本寺の氏子の人々によって復活されて現在に至っている。 現在の舟引き祭りは、長さ2.5㍍ほどのイイブネ(飯舟)などとよばれる木舟に、新しく作った米俵を3俵重ねて長い幣束を刺し、舟の両端に2本ずつの長い綱を付けて、これを村中の氏子が引き合って競争する形となっている。 綱引きに先立って神職のお祓いを受けてから、東西に分かれるためのくじを引く。この綱引きは、かつては大寺と本寺の2地区の男子間で引き合ったといわれるが、神仏分離後は神社の鎮座地である本寺地区だけで行うようになり、さらに子どもや女性も加わって行われるようになったものである。引き合いは3回行い、磐梯山のある東が勝てば豊作となって米の値段も上がるといわれ、判定は翁面をつけた神職が行う。この翁は磐梯神社に祀られている磐梯明神とされる。 また、先の『新編会津風土記』によると舟引き祭りには、舟引き行事に引き続いて明神舞が慧日寺の金堂で行われていたとされるが、これは早く廃絶して現在は伝わっていない。 この祭りは、かつてこの地方一帯に広く分布した磐梯山を信仰の対象とする山岳信仰の一端を今に伝えるものであり、農耕習俗と年占の信仰に根ざすものであったが、現在では生活様式の変化などにより、その本来の意義が急速に薄れつつあることから、早急に記録を作成する必要がある。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)