国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
宍喰八坂神社の祇園祭
ふりがな
:
ししくいやさかじんじゃのぎおんまつり
宍喰八坂神社の祇園祭
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年7月16・17日(※選択当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
選択番号
:
1
選択年月日
:
1999.12.03(平成11.12.03)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
徳島県
所在地
:
保護団体名
:
八坂神社祇園祭振興会
宍喰八坂神社の祇園祭
解説文:
詳細解説
この行事は、旧宍喰町の八坂神社で行われる行事である。宍喰浦西分、浜分、郷分という3つの組織により担われる。ダンジリ3台と関船が八坂神社に練り込んだ後、神輿とともに戎神社に渡御し、その際、獅子舞などの芸能も披露される。また、二層吹抜で青シバで屋根を葺いた大山・小山という2台の鉾も作られ、八幡通から八坂神社まで巡行する。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
宍喰八坂神社の祇園祭
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宍喰八坂神社の祇園祭
解説文
この行事は、旧宍喰町の八坂神社で行われる行事である。宍喰浦西分、浜分、郷分という3つの組織により担われる。ダンジリ3台と関船が八坂神社に練り込んだ後、神輿とともに戎神社に渡御し、その際、獅子舞などの芸能も披露される。また、二層吹抜で青シバで屋根を葺いた大山・小山という2台の鉾も作られ、八幡通から八坂神社まで巡行する。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
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詳細解説
旧宍喰町の八坂神社の祇園祭は、毎年7月16日と17日の両日行われ、16日が宵宮、17日が本祭である。 この祭りは、ほぼ旧宍喰町全域の人びとによって行われ、その組織は大きく町方の宍喰浦西分、漁業を中心とした浜分、農業を中心とした郷分と呼ばれる3つに分けられている。 宍喰浦西分からは3台のダンジリ、浜分からは関船が出され、神輿の担ぎ手もでる。郷分は大山小山の組み立て、巡行、解体を担当する。 宍喰浦西分の3台のダンジリは、かつて金幣を担いで供奉した金幣組、かつての山仕事仲間と鍛冶屋仲間で組織された鷲住【わしずみ】組、商人たちの組織する商人組の3つの組がそれぞれ出す。 つまり、この祇園祭は、郷分、浜分などという地縁的組織と、宍喰浦西分の中の一種の職能的集団が共同して執行する。 大山・小山は2台の鉾で、現在は大山を前に、小山を後ろに連結して運行している。いずれも二層吹抜で青シバで屋根を葺く。屋台中央に下層から柱が立てられ、その先端にはササと呼ぶ青竹をつける。この柱の中央付近には、大山には桶を天秤で担ぐ姿の桂男が、小山には木製の長刀が取り付けられている。この大山・小山はかつては10㍍ほどの高さがあったというが、現在は道路の上にかかる鉄橋の高さに合わせて、以前より低くなっている。 大山の柱に立てられている桂男の着物は海部町櫛川の人びとにより奉納される。着せ替えられた古い着物は海部町野江の人びとがもらって行き、小裂【こぎ】れにして家の玄関の上に貼って災厄除けにする。 16日の宵宮には、大山・小山が久保地区を除く郷分の農家の人により組み立てられる。曳き縄(綱)、青シバも同じように農家の人が用意する。組み立てられた大山・小山は午後には八幡通りの辻まで曳き出されて据え付けられる。夕方になると金幣組、鷲住組、商人組の3台のダンジリと1台の関船が八坂神社の社前に練り込み一夜とどまる。 17日は本祭りで、朝10時頃から神社で神事が行われ、子どもたちによる「先やり」「八橋」「獅子舞」などが披露される。この後境内のお宮を巡ってから「お浜出」をする。「先やり」を先導に神輿、囃子方が続き、その周囲を注連縄を手にした人たちが取り囲むようにして浜の戎神社に向かう。戎神社に着くと、仮宮に神輿を安置して神事が行われ、休憩後、稚児を行列に加えて八坂神社に還御する。神輿が八坂神社に戻ると、「獅子舞」などが披露されて神社での行事は終わる。 一方、「お浜出」の行列が出発するとまもなく金幣組、鷲住組、商人組の順で神社を出発したダンジリと関船は、神社の行事が終了した後も町中を巡幸する。八幡通にとまっていた大山・小山も、還御の行列が通り過ぎると神社に向かって動き出す。これは久保の青年たちが女装して曳き、途中道筋の家からは酒等が出される。夕方、八坂神社に着くとすぐ解体し格納庫にしまわれる。組み立てのときとは異なり解体は久保の人びとが行うことになっている。町内を巡行しているダンジリや関船がそれぞれの格納庫に戻るのは夜暗くなってからで、金幣組は八坂神社、鷲住組と商人組、関船は八幡神社の格納庫にしまわれる。 この行事は、京都祇園祭の山鉾の地方的展開を示しているとともに、祭祀組織にも地縁組織と職能集団があるなどの特徴がみられるなど、徳島県南部から高知県東部にかけての祇園祭の代表例として注目されることから、早急に記録を作成する必要があるものである。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)