国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
北関東のササガミ習俗
ふりがな
:
きたかんとうのささがみしゅうぞく
北関東のササガミ習俗
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
年中行事
その他参考となるべき事項
:
※所在地が2都県以上にわたる広域な選択です。
公開日:毎年2月8日・12月8日(※選択当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
記録:『北関東のササガミ習俗(茨城県・栃木県)(無形の民俗文化財記録第61集)』(文化庁文化財部・平成27年3月31日)
選択番号
:
1
選択年月日
:
2000.12.25(平成12.12.25)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
所在地
:
保護団体名
:
特定せず
北関東のササガミ習俗
解説文:
詳細解説
我が国では、2月8日と12月8日を総称してコトヨウカという。関東地方とその周辺部では、この日を、一つ目の妖怪が訪れる日と考え、目数の多い籠や笊などを門口にかけてこれを退散させようとする行事が伝承されている。茨城県や栃木県の一部ではササガミサマといって、笹を3本束ねたものを庭に立て小豆飯などを供える行事がみられる。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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北関東のササガミ習俗
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北関東のササガミ習俗
解説文
我が国では、2月8日と12月8日を総称してコトヨウカという。関東地方とその周辺部では、この日を、一つ目の妖怪が訪れる日と考え、目数の多い籠や笊などを門口にかけてこれを退散させようとする行事が伝承されている。茨城県や栃木県の一部ではササガミサマといって、笹を3本束ねたものを庭に立て小豆飯などを供える行事がみられる。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
2月8日と12月8日を総称してコトヨウカという。関東地方を中心とする東日本では両日を行事日とし、西日本では12月8日のみを行事日とするところが多い。 関東地方とその周辺部では、この日を、目一つ小僧、ダイマナコなどといって一つ目の妖怪が訪れる日と考え、目数の多い籠や笊、篩などを門口にかけてこれを退散させようとする行事が伝承されている。このように東日本では何らかの神霊の来訪する日と説いて様々な行事を行っている。 この日、茨城県や栃木県の一部の地域ではササガミサマといって、笹を3本束ねたものを庭に立てる行事が行われている。 ササガミサマは、北関東の茨城県南西部と栃木県南部の県境付近の限られた地域に伝承されているコトヨウカの行事の1つである。 例えば、栃木県鹿沼市では2月8日をニガツヨウカ、12月8日をシアスヨウカといい、12月8日には、前日の夕方から玄関の屋根の上にかかるように、物干し竿の先につけたメカイ(目籠)を立てかける。この日の夕方には、笹を3本とってきて母屋の裏の地面に刺して立て、先端部を結んでそこに小豆飯を供える。この小豆飯は、この日やってくる厄神様への御供で、御供をあげて集まってきた厄神様を家の中に閉じこめるのだと伝承されている。 2月8日は朝のうちに母屋の前の地面に笹を3本立て、先端部を結んで小豆飯を供える。この日は家に閉じこめていた厄神様を解き放つ日で、家から出した厄神様などの悪神が戻ってきたり、悪戯をしたり、他の家に行って悪さをしないように、メカイを竿の先につけて玄関の屋根の上に立てかける。また、強い嫌な臭いの出るグミの木を燃して、その燃えかけを家の出入り口において、厄神様が家に近づかないようにするのだと伝承されている。 阿蘇郡では、2月8日に屋敷の外に葉を丸めて笹竹を立て、これをオコトサマといっている。同じような行事は、小山市や宇都宮市などでも行われていたことが知られているが、現在ではほとんど行われなくなっている。 同じように茨城県の真壁町でも2月と12月のコトヨウカの日に、ササガミサマの行事が行われていた。葉のついた篠竹3本を庭先に立て先端部を結んだのがササガミサマで、結んだところに小豆飯やうどんを供えた。2月8日の晩に大黒様が空の籠を背負って裏口から稼ぎに出かけ、師走8日に籠一杯に宝を詰めて帰ってくると伝承されている。そのため、2月8日は裏口に、師走八日は表にササガミサマを立てるのだといわれている。ササガミサマを立てる位置については逆の伝承も多い。 下妻市では、2月と12月の8日をコトヨウカといい、一つ目の怪物が訪れるので竹竿の先にメケー(目籠)を吊し、母屋の屋根にかける。同じ日にササガミサマの行事も行う。ササガミサマは12月8日に出稼ぎに出かけ、2月8日に帰ってくるといい、出かけるときは裏から、帰るときは金をもうけて表から帰ってくるので、12月は裏庭に、2月は表庭に立てるといわれている。 明野町でも同様の行事が行われ、熊笹を3本あわせて上を結び、夕方になるとその結び目の上にうどんやそばをのせる。2月には前庭、12月には裏庭に立てると伝承されている。 この行事は、江戸時代末期にはすでに行われていたらしく、町内の商家から寄贈された真壁町歴史民俗資料館所蔵の弘化3年(1846)の『年中行事帳』にもみえる。それには、「二月 八日笹神之御祭り小豆飯」「十二月八日 一 笹神様御祭り赤飯」と記され、江戸時代末期にはササガミサマの行事が、二月と十二月の八日に行われていたことが確認できる。 この習俗は、現在ほとんどみられなくなっている。茨城県下妻市では9地区の12事例のうち、現在はすべての地域で行事を行っておらず、早いところでは昭和20年頃、遅いところでは昭和60頃、ほとんどの地域が昭和30年代後半~昭和50年頃にかけて行事をとりやめている。 この習俗は、関東地方のコトヨウカの行事の中でも特徴的なものであり、その分布域も限られている。現在ではほとんどの地域で行われておらず、伝承者も多くが70歳をこえた高齢者になっている。伝承の存続が危ぶまれる状況にある現在、早急に記録を作成する必要がある。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)