国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
上田市八日堂の蘇民将来符頒布習俗
ふりがな
:
うえだしようかどうのそみんしょうらいふはんぷしゅうぞく
上田市八日堂の蘇民将来符頒布習俗
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年1月7・8日(※選択当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
記録:『蘇民将来符・その信仰と伝承』(上田市立信濃国分寺資料館・平成18年12月)
選択番号
:
1
選択年月日
:
2000.12.25(平成12.12.25)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
長野県
所在地
:
保護団体名
:
信濃国分寺、蘇民講
上田市八日堂の蘇民将来符頒布習俗
解説文:
詳細解説
この習俗は、上田市の信濃国分寺境内で開かれる八日堂縁日で、蘇民将来と呼ばれる六角形の木製の護符が頒布されるものである。蘇民将来符は、信濃国分寺と蘇民講の人たちによって製作、頒布され、上田市内をはじめ長野県東北部や北関東方面から訪れる参詣者によって求められ、除災招福を願って家の戸口に吊されたり、神棚などに置かれる。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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上田市八日堂の蘇民将来符頒布習俗
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上田市八日堂の蘇民将来符頒布習俗
解説文
この習俗は、上田市の信濃国分寺境内で開かれる八日堂縁日で、蘇民将来と呼ばれる六角形の木製の護符が頒布されるものである。蘇民将来符は、信濃国分寺と蘇民講の人たちによって製作、頒布され、上田市内をはじめ長野県東北部や北関東方面から訪れる参詣者によって求められ、除災招福を願って家の戸口に吊されたり、神棚などに置かれる。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
長野県上田市にある信濃国分寺の境内では、毎年1月7日の夕刻から8日にかけて、八日堂縁日が開かれ、縁起物を売る数多くの店が立ち並ぶなか、蘇民将来と呼ばれる六角形の木製の護符が頒布されている。 八日堂とは信濃国分寺の通称であり、この縁日は近世以来、年の始めに行われるこの地方の交易の市としての役割を果たしてきたとされているものである。 蘇民将来符は、上田市内をはじめ長野県東北部や北関東方面から訪れる参詣者によって求められ、除災招福を願って家の戸口に吊されたり、神棚などに置かれる。 蘇民将来符は、武塔神に姿を変えた須佐之男命を蘇民将来が歓待し、それによって本人とその家族だけは災厄を免れ得たという『備後国風土記』逸文【いつもん】にみえる説話に由来する護符で、当地では信濃国分寺が所蔵する文明12年(1480)書写の『牛頭天王之祭文』や元和年間(1615-24年)作と伝えられる『八日堂縁日図』などから、室町時代後期から江戸時代初期には、蘇民将来の信仰に基づく木製の護符がつくられていたと推測されている。 この蘇民将来符は、信濃国分寺と蘇民講の人たちによって製作、頒布されている。蘇民講は、国分寺の門前に代々家を構えてきた人たちで組織されており、講員になれるのは特定の家系に限られている。蘇民将来符は、ドロヤナギの木を材料とし、形状は笠形の上部をもつ六角形の塔柱型で、各面には大福・長者・蘇民・将来・子孫・人也の文字や魔除けを意味する紋様が墨と朱で交互に書かれる。1㎝ほどの「ケシ」と呼ばれる小さなものから、「平ジ」「二番中」「中」「大」の5種類が製作され、そのうち「平ジ」と「二番中」が総数の約7割以上を占めている。国分寺では縁日に向けて約1万3千本を用意し、蘇民講の各家ではおよそ100体程度を製作する。蘇民講がつくるものには、七福神や恵比須・大黒、その年の干支などが描かれ、絵蘇民や村蘇民と呼ばれている。 蘇民将来符の製作は、12月1日の「蘇民切り」と呼ばれる切り初めの行事から始まる。国分寺境内にある蘇民堂と呼ばれる作業場に、蘇民講の人たちが集まり、国分寺住職が作業の安全を祈願した後、講の長老によって、六角形の塔柱型で胴部が削り掛けとなった牛頭天王の御神体が2体つくられ、蘇民堂の神棚と境内にある牛頭天王の石祠に祀られる。 以後、護符づくりが開始され、護符は1月7日夕方の大護摩で祈祷をしてから、国分寺と講の人たちによって別々に頒布される。国分寺は本堂内と本堂の階段両側に仮小屋を設けて7・8日の両日に、蘇民講は本堂前の参道にて8日のみ頒布する。 8日は早朝から参道の東西に講の人たちが蘇民櫃と呼ばれる木箱を置き、その上に護符を並べる。東西の売場の位置は、家ごとに代々定められていて、その年に休んだ家や新たに参加する分家などは売場の一番下の位置に店を出す。また、かつては「命の緒」と呼ばれ、護符の首を結わえて戸口などに吊すための麻ひもが売られていたが、現在はみられない。 蘇民将来符のうち、「ケシ」は懐中に携えられ、「平ジ」以上の大きさのものは疫病や邪気などの災いが家に入らないように、また開運や招福を願って、家の戸口の柱に吊されたり、玄関の軒下に数十体も連ねて吊り下げられる。神棚や仏壇に置く家も多く、特設の棚を設けている家もある。蘇民将来符は、1年後に社寺などに返却せず、家で年々増やしていくものとされており、なかには100体を越える数を祀る家もみられる。 我が国では除災招福を祈る護符類は多く、なかでも蘇民将来の信仰に関する習俗は各地に伝承されているが、木製の護符を出すところは多くはない。この習俗は、この種の習俗の典型例の1つと考えられ、また、蘇民講といった組織や護符の製作・頒布に関する伝統的なしきたりがみられるほか、その祀り方が独特であるなど地域的特色も豊かであることから、早急に記録を作成する必要がある。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)