国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
松本のコトヨウカ行事
ふりがな
:
まつもとのことようかぎょうじ
松本のコトヨウカ行事
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
年中行事
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年2月8日ないしそれに近い日曜日(※選択当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
記録:『松本のコトヨウカ行事調査報告書』(平成23年3月・松本市教育委員会)
映像:『松本のコトヨウカ行事』(普及編・記録編)(企画文化庁・製作NHKエデュケーショナル・平成21年)
選択番号
:
1
選択年月日
:
2000.12.25(平成12.12.25)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
長野県
所在地
:
保護団体名
:
特定せず
松本のコトヨウカ行事
解説文:
詳細解説
この行事は、松本市域の8つの地区に伝承されている、厄をもたらす神霊に対して行われるコトヨウカの行事である。藁で馬や百足、草鞋などのツクリモノを作り、それらを呪物として村境に掛けて厄病神の去来を防いだり、村境に送るなどの行事がみられる。また、一連の行事として、強い匂いの出るものを木戸先でいぶしたり、道祖神碑に餅を供えたり、地区の人たちが集まって念仏を唱えることなども行われている。(※解説は選択のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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松本のコトヨウカ行事
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松本のコトヨウカ行事
解説文
この行事は、松本市域の8つの地区に伝承されている、厄をもたらす神霊に対して行われるコトヨウカの行事である。藁で馬や百足、草鞋などのツクリモノを作り、それらを呪物として村境に掛けて厄病神の去来を防いだり、村境に送るなどの行事がみられる。また、一連の行事として、強い匂いの出るものを木戸先でいぶしたり、道祖神碑に餅を供えたり、地区の人たちが集まって念仏を唱えることなども行われている。(※解説は選択のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
2月と12月の両月の8日は、コトヨウカと称され、全国各地で多様な習俗が伝承されている。 特に東日本においては、この日に厄神や妖怪などの神霊が来訪すると考えられており、そうした神霊に対する様々な行事が行われてる。 長野県松本市では、2月8日をコトヨウカあるいはオヨウカと呼び、藁で馬や百足、草鞋などのツクリモノをつくり、それらを呪物として村境に掛けて厄病神の去来を防いだり、村境に送るなどの行事がみられる。また、コトヨウカの一連の行事として、強い匂いの出るものを木戸先でいぶしたり、道祖神碑に餅を供えたり、地区の人たちが集まって念仏を唱えることなども行われている。 松本市域においては、藁のツクリモノを伴うこの種の行事は、市域の東部にある両島、今井下新田、薄川の流域にある入山辺の厩所・上手町・奈良尾・舟付・中村、里山辺の追倉の8つの地区に伝承されている。このうち今井下新田と舟付の2地区は、現在、2月8日に近い日曜日に行事を行っている。 これらの地区では、早朝、ヌカエブシといって厄病神が家に入ってこないように、木戸先で唐辛子や葱、籾殻、サイカチの実などをいぶす。 また、朝のうちには、道祖神碑に餅を供えたり、塗りつけたりして無病息災や豊作などを祈願する。道祖神の口に餅を塗り付けることも行われ、それは来訪する厄病神に道祖神が集落内のことを話せないようにするためといわれている。 その後は、地区ごとに若干の差異はあるが、公民館やその年の当番の家に地区の人たちが藁を持って集まり、ツクリモノを作り始め、それが完成すると念仏を行う。 念仏は、ヨウカネンブツなどと呼ばれ、円座になった人たちが、鉦を叩き、大きな数珠や藁でつくった綱などを順繰りに回しながら、「南無阿弥陀仏」を繰り返し唱えるものである。その後、ツクリモノを村境へ掛けたり、送ったりする。 例えば、両島では、2㍍ほどの足半を藁で一対つくり、南北の村境に片方ずつ掛ける。また、今井下新田では、80㎝ほどの草鞋を5つ作り、5か所の村境にそれぞれ掛けておく。厄病神はそれを見て、ここには巨人がいるものと思い、集落内に入らないといわれている。 厩所では、貧乏神に見立てたジジ、ババと呼ばれる男女一対の人形を藁でつくり、体長2㍍ほどの藁馬に乗せ、「ビンボーガミ追い出せ、ビンボーガミ送り出せ」といいながら薄川の河原まで運んで焼き払う。上手町と奈良尾でも、ジジ、ババの人形を乗せた大きな藁馬をつくり、集落内を曳き回した後、村境にある田の中で焼く。舟付や中村では、長い百足を藁で三つ編みにして作り、草鞋をはかせて厄病神に見立てて村境に送る。舟付では、子どもたちが百足の尾でヌカエブシの跡を払いながら集落内を曳いて歩き、村境となる薄川の端で燃やし、中村では、小学校の最上級生が百足の上に乗り、そのほかの子どもたちが「ナンマイダ ナンマイダ」と念仏を唱えながら村境まで曳いて行って道端に送りだす。 追倉では、藁で龍をつくり、数珠の代わりにして念仏を行ったのち、今度はその龍を綱にして綱引きを行う。綱引きは男女に分かれて行われ、女性方が勝つとその年は五穀豊穣や無病息災になるといわれている。綱引きの終了後、龍は男性たちによって村境の道祖神に巻きつけられる。また、この日には粕汁をつくる地区も多く、それを食べると風邪をひかないという。 この行事は、厄をもたらそうとする神霊に対する人びとの意識がよく表れている行事であり、東日本におけるコトヨウカ行事の典型例の1つと考えられる。また、ヌカエブシや念仏、道祖神信仰などが行事の構成要素としてみられ、地域的特色も豊かなものであり、早急に記録を作成する必要がある。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)