国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
岡山県の会陽の習俗
ふりがな
:
おかやまけんのえようのしゅうぞく
岡山県の会陽の習俗
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
年中行事
その他参考となるべき事項
:
公開日:2月第三土曜日ほか(選択当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
記録:『岡山県の会陽の習俗総合調査報告書』(岡山県教育委員会・平成19年3月31日)
映像:『岡山県の会陽の習俗映像記録』(岡山県教育委員会・平成22年3月)
※この行事の一部は、平成28年3月2日に「西大寺の会陽」として重要無形民俗文化財に指定されています。
選択番号
:
1
選択年月日
:
2003.02.20(平成15.02.20)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
岡山県
所在地
:
保護団体名
:
特定せず
岡山県の会陽の習俗
解説文:
詳細解説
この行事は、岡山県南部を中心にした地域のいくつかの社寺に伝承される、会陽あるいは裸祭りと呼ばれる行事である。年始に国家安泰や万民豊楽などを祈願する修正会が民俗行事化したものである。例えば、西大寺では、2月第三土曜日の13日前から修正会が始まる。結願の日には、下帯姿の男たちが本堂大床に集まり、深夜0時に投げおろされる2本のシンギを奪い合う。シンギを手にした男は、本堂を出て祝主のもとに駆け込み、一升枡の米にシンギを立てる。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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岡山県の会陽の習俗
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岡山県の会陽の習俗
解説文
この行事は、岡山県南部を中心にした地域のいくつかの社寺に伝承される、会陽あるいは裸祭りと呼ばれる行事である。年始に国家安泰や万民豊楽などを祈願する修正会が民俗行事化したものである。例えば、西大寺では、2月第三土曜日の13日前から修正会が始まる。結願の日には、下帯姿の男たちが本堂大床に集まり、深夜0時に投げおろされる2本のシンギを奪い合う。シンギを手にした男は、本堂を出て祝主のもとに駆け込み、一升枡の米にシンギを立てる。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
岡山県南部を中心に、会陽あるいは裸祭りと呼ばれる行事が伝承されている。この行事は本来修正会結願の日に行われる行事であったが、現在では民俗行事化しており2月に行われることが多い。 現在、会陽の行事が行われているのは、岡山市西大寺の西大寺、同市金山の金山寺、英田郡美作町林野の安養寺などで、他に、岡山市広谷の無量寿院や、備前市西片上の恵美須宮、真庭郡落合町の木山寺などでもかつて行われていたことが知られている。なお、無量寿院では平成14年4月に復活実施された。 このうち、毎年2月第三土曜日に行われている西大寺の会陽を例にとると、以下のような次第で行われる。 会陽までの間、西大寺ではさまざまな準備が行われる。まず、1月末にシンギ作りに使用される道具類を磨く「事始め」が寺棟梁によって行われ、修正会に参加する僧侶たちによって大般若経の転読が行われる。 これ以後、シンギ取り、シンギ削りなどが行われ、2月第三土曜日の13日前から修正会が始まる。修正会は西大寺周辺の真言宗寺院の協力を得て、12名の職衆によって行われる。 結願の日、会陽に参加する人びとは、下帯姿になって仁王門から境内に入ると、石門を通って垢離取り場に向かい、ここで身を清めた後、本堂を拝し、さらに本堂裏手の牛王所権現に詣でると本堂西側にまわり四本柱を通って本堂大床に向かう。 シンギ投下のかなり前から境内に入ってくる人びともおり、シンギ投下の頃までには本堂大床に入りきれないほどの人びとであふれかえる。 西大寺観音院本堂で結願の法会が行われた後、深夜0時に本堂の福窓から2本のシンギが投げおろされ、裸の参詣者によって本押しといわれる争奪戦が行われる。これらの人びとが大床や地面を踏み鳴らす音は、悪霊を封じ込めるとともに、福を招来すると信じられている。 争奪戦の末シンギを手にした男が寺から走り出して、白行灯をつるして待つ祝主のもとに駆け込み、用意されている一升枡に入った米の中にシンギを立てるとシンギ争奪戦は終了し、山主(西大寺住職)がシンギ検分をしてこの日の行事は終了する。 翌日にシンギ納めの祝い式、数日後に後祭りがあってすべての行事が終了する。 シンギをとった男は、トリヌシ(福男ともいう)といわれ、大変名誉なこととされている。昭和40年代半ばまでは、本押しの前に3日間ほど青年団の主催で、本押しと同じように下帯姿の男たちが境内の四本柱周辺に集まって押し合い、宝筒を争奪する地押しといわれる行事が行われていた。地押しのときにも宝筒をとったトリヌシには、賞品として米俵が渡されていた。 祝主は本来シンギの受け取りを希望する人びとがなり、軒先に白行灯をつるしてトリヌシが飛び込んでくるのを待っていたものであったが、トリヌシに対する賞金やお祝いの宴などの出費が多く、個人ではなり手がなくなり、現在では企業などが祝主になっている。 この行事は、年始にあたって国家安泰や万民豊楽、五穀豊穣を祈願する修正会が民俗行事化したもので、我が国の民間信仰を考える上で注目されることから、早急に記録を作成する必要がある。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)