国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
若神子のほうとう祭
ふりがな
:
わかみこのほうとうまつり
若神子のほうとう祭
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
年中行事
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年7月30日(※選択当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
選択番号
:
1
選択年月日
:
2004.02.16(平成16.02.16)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
山梨県
所在地
:
保護団体名
:
三輪神社総代会
若神子のほうとう祭
解説文:
詳細解説
若神子のほうとう祭りは、旧北巨摩郡須玉町の若神子地区にある三輪神社の夏の例祭に行われる行事で、大きな藁人形に穢れを託して送る禊祓いの行事とドンドン火と称される虫送りの火焚き行事からなる。ほうとう祭りの名称は、例祭時の儀礼食として小豆ぼうとうが作られることに由来している。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
若神子のほうとう祭
写真一覧
若神子のほうとう祭
解説文
若神子のほうとう祭りは、旧北巨摩郡須玉町の若神子地区にある三輪神社の夏の例祭に行われる行事で、大きな藁人形に穢れを託して送る禊祓いの行事とドンドン火と称される虫送りの火焚き行事からなる。ほうとう祭りの名称は、例祭時の儀礼食として小豆ぼうとうが作られることに由来している。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
若神子のほうとう祭りは、旧北巨摩郡須玉町の若神子地区にある三輪神社の夏の例祭に行われる行事で、大きな藁人形に穢れを託して送る禊祓いの行事とドンドン火と称される虫送りの火焚き行事からなる。ほうとう祭りの名称は、例祭時の儀礼食として小豆ぼうとうが作られることに由来している。 旧須玉町は、山梨県の北西部、八ヶ岳の東南麓に位置する。ほうとう祭りが伝承されている若神子地区は、町域を縦断して流れる須玉川の右岸に南北に長く広がっており、県内では数少ない水田地帯にある。生業は農業が大半を占めており、稲作とその裏作として大麦、小麦を栽培する二毛作が盛んに行われてきた。 若神子地区は、南と北でカミとシモの2つの地区に分かれ、カミは諏訪神社、シモは三輪神社をそれぞれ氏神として祀っており、この祭りは三輪神社を祀るシモの下宿、中町、竹之内の3つの集落の氏子によって伝えられてきたものである。 三輪神社は、大物主命を祭神とし、かつては、逸見郷と称されたこの地域一帯の総鎮守であったとされる。 祭りの期日は、毎年7月30日であるが、旧暦6月晦日に行われていた行事を新暦への移行に際して月遅れにしたものといわれている。 祭りの準備や執行は、7人の氏子総代が中心となって行う。氏子総代は3年任期で、下宿、中町、竹之内の各集落から数名ずつが選ばれる。氏子の各家でも、田の草取りや畦草を刈り終えるなど農作業を一段落させて祭りを迎えるようにする。 祭り当日は、午前中に藁人形の製作やドンドン火に用いられる木材の準備などが行われる。藁人形はデク、あるいはオデクサンと呼ばれ、竹を骨組にして麦藁を材料として作られる。背丈は2㍍ほどで、鬼のような形相をしており、右手には杖を持ち、腹にはオサメブクロと呼ばれる布袋を下げている。藁人形は、拝殿の西側の一画に置かれ、その周囲には4本の竹を立てて注連縄が張りめぐらされ、また、火焚き用の木材が境内の中央に積み上げられる。 祭りは夕方から始まる。三輪神社の宮司が拝殿で祝詞を奏上し、次いで、藁人形と積み上げられた木材の前でお祓いを行った後、木材に火が点けられる。ドンドン火は、稲が穂をつけ始めるこの時期に、大きな火を焚いて地区内の害虫を焼き殺すために行うものといわれている。かつては子どもたちが各家をまわり、薪や藁をたくさん集めて歩いたが、現在は氏子総代が事前に木材を調達している。 ドンドン火が勢いよく燃え上がるころ、地区の人びとは三輪神社を訪れて、氏子総代から神社の印が捺された紙をもらい受け、自分の身体の悪い所などを撫で、次に人形の体の同じ場所を撫でてからオサメブクロに入れる。 また、神社境内の一画では、地区の老人会によって小豆ぼうとうが作られ、参詣者に振る舞われる。小豆ぼうとうは、つぶして粉状になった小豆の汁に麺を入れた甘い味のほうとうで、新しく収穫された小豆と小麦を用いて作られる。これは新穀感謝の意味も込められたハレの日の御馳走としてこの地域で食されたきたものであるが、近年は作る家も少なくなってきている。 こうして人びとの穢れを託された藁人形は、かつては行事の最後に須玉川に持っていって流されたが、現在は、夜も更けた頃に氏子総代の手によってドンドン火の中に投げ込まれて燃やされ、祭りは終了となる。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)