国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
一乗谷朝倉氏遺跡
ふりがな
:
いちじょうだにあさくらしいせき
一乗谷全景(北から)
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種別1
:
特別史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
180
特別区分
:
特別
指定年月日
:
1930.07.08(昭和5.07.08)
特別指定年月日
:
1971.07.29(昭和46.07.29)
追加年月日
:
2009.07.23(平成21.07.23)
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡,三.社寺の跡又は旧境内その他祭祀信仰に関する遺跡,六.交通・通信施設、治山・治水施設、生産施設その他経済・生産活動に関する遺跡,七.墳墓及び碑,八.旧宅、園池その他特に由緒のある地域の類
所在都道府県
:
福井県
所在地(市区町村)
:
福井市城戸ノ内町・安波賀町・東新町・西新町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
一乗谷全景(北から)
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
添付ファイル
なし
写真一覧
一乗谷全景(北から)
朝倉館(正面西から)
朝倉館跡庭園
諏訪館跡庭園
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一乗谷全景(北から)
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朝倉館(正面西から)
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朝倉館跡庭園
写真一覧
諏訪館跡庭園
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詳細解説
一乘谷城山ノ南北麓ニ在リ今二箇所ニ其阯ヲ留ム一ハ三方ニ腰石垣土壘ヲ繞ラシ外方ニ濠阯ヲ存ス又園池石組等ヨク殘存シテ舊規ヲ見ルヘク正面ニ唐門アリ一ハ西南一町餘ノ山麓ニアリ諏訪舘トス義景ノ妻ノ別邸阯ト傳ヘラル園池瀧ノ石組等アリ上ノ園阯ト共ニ古園ノ形態ヲ留ム 朝倉氏舘阯ノ東方高所ニ南陽寺阯アリ義景ガ足利義昭ノ爲メニ觀櫻ノ宴ヲ催セシ處ト傳ヘラル舊時ノ庭園ノ一部ヲ存セリ S46-01-021一乗谷朝倉氏遺跡.txt: 一乗谷の地は、東西に山が迫り、その山あいを北流する一乗谷川に沿って帯状に狭い平地の連らなるところで、ここは文明3年(1471)、敏景が黒丸城より居を移してより5代103年間の戦国大名の雄朝倉氏の拠点として著名である。 これまで朝倉館、諏訪館、南陽寺、朝倉敏景墓、城跡、上・下城戸跡が指定されているが、さらに館跡、家臣居館跡、御所跡、寺跡、神社跡、櫓跡等と平地の東西に迫る山の部分を追加指定し、これに史跡西山光照寺跡を合わせ、戦国大名の拠点の形態を総合的に保存しようとするものである。なお、これを機会にあわせて特別史跡とするものである。 S39-06-015一乗谷朝倉氏遺跡(史跡).txt: 一乗谷に拠地を構えた北陸の雄朝倉氏は、天正元年織田信長にほろぼされたが、かつては将軍足利義昭もここに庇護を求めた。南北に長い山[[間]あい]に一乗谷川が北流し、帯状の平地が続く。このような地形は、防備しやすく、中世豪族の拠地として好んで選ばれたのであって、その典型的な例が本史跡である。 一乗谷川の右岸の[[館]やかた]跡は、すでに史跡および名勝に指定されているが、これに[[城戸]きど]跡および城跡を追加指定し、拠地の総合的な保存を行なおうとするものである。 城戸は館の北(下城戸)と南(上城戸)にあり、谷を東西に横断する防壘である。この両城戸の間は、約1.5キロメートル、一乗谷の中枢部で城戸の内といわれている。いま一部は取り払われているが、旧観をとどめ、下城戸で巨石の石垣が[[喰違]くいちがい]を構成しているのは偉観である。 城は館の東背部にそびえる一乗城山(標高435メートル)の頂上部に築かれた山城で、本丸等の四郭が尾根上にあり、また千畳敷、観音屋敷、調練場等の[[郭]くるわ]が配されている。
関連情報
指定等後に行った措置
1967.12.11(昭和42.12.11)
1971.07.29(昭和46.07.29)
2009.07.23(平成21.07.23)
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
1967.12.11(昭和42.12.11)
異動種別1
:
追加指定
異動種別2
:
名称変更
異動種別3
:
異動内容
:
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
1971.07.29(昭和46.07.29)
異動種別1
:
特別史跡
異動種別2
:
追加指定
異動種別3
:
名称変更
異動内容
:
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2009.07.23(平成21.07.23)
異動種別1
:
追加指定
異動種別2
:
異動種別3
:
異動内容
: