国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
徳島藩松帆台場跡
ふりがな
:
とくしまはんまつほだいばあと
北東岸壁
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
111
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2006.07.28(平成18.07.28)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
2011.09.21(平成23.09.21)
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
兵庫県
所在地(市区町村)
:
淡路市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
北東岸壁
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
添付ファイル
なし
写真一覧
北東岸壁
火薬庫跡
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北東岸壁
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火薬庫跡
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詳細解説
松帆台場跡は、幕末、大阪湾防衛計画の一環として、瀬戸内海上交通の要衝である明石海峡の防備を目的として、徳島藩によって淡路島最北端に築造された砲台である。安政5年(1858)着工、文久元年(1861)までの4箇年に亘り工事が進められた。台場は、海側に三角形の突出部が2基並んだM字型を呈し、東側に目隠し土塁が延び、堡塁内部には火薬庫、弾薬庫、調練場等の施設が設けられた。台場の南側には、台場からの砲撃力が及ばない海上の敵を迎撃するため、御備船(バッテラー)という小型高速船を係留する港湾施設である松帆湊が築造された。湊は安政6年に着工、文久2年には湊内の掘削と係留岸壁の工事が完了するなどほぼ完成をみた。発掘調査によれば、湊は風化花崗岩の岩盤を掘削して岸壁を造り出し、北東辺が約43m、南東辺が約41.5 mの平行四辺形に近い平面形を呈し、深さは約4mであったことが判明した。幕末開国期の欧米列強の軍事的緊張のなか明石海峡防備のため造営された松帆台場跡は、当時の我が国の政治・外交を知る上で欠くことのできない重要な遺跡である。
関連情報
指定等後に行った措置
2011.09.21(平成23.09.21)
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2011.09.21(平成23.09.21)
異動種別1
:
追加指定
異動種別2
:
異動種別3
:
異動内容
: