国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
棚底城跡
ふりがな
:
たなそこじょうあと
全景
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
特別区分
:
指定年月日
:
2009.07.23(平成21.07.23)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
熊本県
所在地(市区町村)
:
天草市倉岳町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
全景
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
全景
柱穴群
棚底城跡_全体図
棚底城跡_Ⅰ・Ⅱ郭
棚底城跡_陶磁器
棚底城跡_ベトナム産陶磁器
写真一覧
全景
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柱穴群
写真一覧
棚底城跡_全体図
写真一覧
棚底城跡_Ⅰ・Ⅱ郭
写真一覧
棚底城跡_陶磁器
写真一覧
棚底城跡_ベトナム産陶磁器
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詳細解説
棚底城跡は、天草諸島上島(かみしま)南部に聳える倉岳(標高682m)から南に派生する山稜の端に築かれた中世の城跡。室町時代の天草地域では、天草五人衆と呼ばれる国人が抗争を繰り返し、棚底城跡は五人衆の上津浦(こうつうら)氏と栖本(すもと)氏の抗争地として『八代日記』に散見し、天文13年(1544)まで上津浦氏一族が在城、その後栖本氏の手に落ちるが上津浦氏が奪回を試み、永禄3年(1560)に相良氏の斡旋により再び上津浦氏に帰したことが知られる。城跡は山稜の尾部に東西約340mの規模で作られた8つの郭からなり、天草地域では例外的に複雑な縄張りである。Ⅰ郭では大型建物跡や5列の小柱穴列遺構等、岩盤を掘り込む柱穴群(ちゅうけつぐん)が見つかった。出土遺物から城跡の年代は、14世紀後半から15世紀中頃のⅠ期、15世紀後半から16世紀前半のⅡ期、16世紀中頃から後半のⅢ期に大別される。日常生活に使用された貿易陶磁器類、中国産天目碗・石製風炉・茶臼等の茶の湯道具や碁石等が出土し、注目される。 このように、肥後天草地域の政治・軍事の変遷を知る上で貴重な遺跡である。