国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
奥州街道
ふりがな
:
おうしゅうかいどう
奥州街道(街道)
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
近世
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
12
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2010.02.22(平成22.02.22)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
六.交通・通信施設、治山・治水施設、生産施設その他経済・生産活動に関する遺跡
所在都道府県
:
岩手県
所在地(市区町村)
:
岩手県二戸郡一戸町、岩手郡岩手町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
奥州街道(街道)
解説文:
詳細解説
江戸時代に整備された五街道の一つ。奥州街道ともいう。江戸から陸奥国外が浜までを結ぶ幹線道路として整備、人馬の通行が行われた。一戸町・岩手町域には、往時の姿をとどめる街道跡、一里塚等が良好に残り、近世の交通を知る上で貴重である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
奥州街道(街道)
奥州街道(一里塚)
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奥州街道(街道)
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奥州街道(一里塚)
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解説文
江戸時代に整備された五街道の一つ。奥州街道ともいう。江戸から陸奥国外が浜までを結ぶ幹線道路として整備、人馬の通行が行われた。一戸町・岩手町域には、往時の姿をとどめる街道跡、一里塚等が良好に残り、近世の交通を知る上で貴重である。
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詳細解説
奥州街道は奥州道中ともいい、江戸時代に整備された五街道の一つであり、江戸と東北とを結ぶ幹線道路であった。江戸幕府は、江戸を中心とした基盤整備の一つとして街道を利用して全国各地を繋ぐ宿駅伝馬制を設け、慶長6年(1601)に東海道、同7年に中山道、奥州街道に同制度を敷き、慶長9年からは街道沿いに一里塚の造営もはじまり、順次整備されていった。このうち奥州街道は、参勤交代や物資の輸送等、江戸と東北とを結ぶ幹線として江戸時代を通じて機能し、江戸時代後期には、蝦夷地の調査や防備のため北に向かう幕臣や各藩の役人の往来もあり、その様子は『北奥路程記』『箱館日記』等の紀行文として知られている。奥州街道は千住から下野宇都宮までは日光街道と重なり、下野白沢から陸奥白河までの10宿が道中奉行支配のもと奥州道中と呼ばれたが、白河以北についても一般には奥州街道の延長とみなされ、奥州街道、奥州道中、松前街道等と呼ばれ、沿線の各藩によって整備、維持された。 今回指定しようとするのは、ほぼ一戸町域を縦貫する奥州街道である。盛岡を出て北に向かい、渋民・沼宮内両宿を経て現一戸町域に入った奥州街道は、馬羽松、摺糠、中山、火行、小繋、小鳥谷、高善寺の集落を経て一戸宿に至る。盛岡から3番目の宿駅にあたる一戸は、参勤交代のため通行する八戸藩、松前藩と領内を巡視する南部藩の本陣が置かれていた。南の宿駅である沼宮内からの距離は約32kmと長く、また起伏に富む険しい路線のため、一戸までたどり着けない旅人は中山に宿することもあったと言われている。小繋は西の浄法寺へ向かう巡検道との分岐点で、盛岡以北最初の番所が置かれていた。一戸を過ぎて北上すると、歌枕「末の松山」の地と称される浪打峠を経て、福岡(現・二戸市)へと向かう道筋であった。 一戸町域の奥州街道は、明治以後も大幅な改変を被らず近世の趣を残す部分が多く、特に南から摺糠、小繋・与の坂、高屋敷・川底、関屋・女鹿・小姓堂、波打峠の5区間は往時の街道の雰囲気を今に伝えている。また街道に付設する一里塚は町域7地点のうち御堂・馬羽松、中山、小繋、川底、浪打峠の5地点で現存(御堂・馬羽松、川底、浪打峠の各一里塚は2基一対、中山、小繋の各一里塚は1基現存。なお御堂・馬羽松の一里塚の西側塚は岩手町域に属す)、岩手県史跡に指定されている。また、これとは別に、街道西側の山間部尾根沿いに3地点で一里塚が確認されており、現在知られる奥州街道とは異なる道も存在したらしい。こうした良好な残存状況を踏まえて、一戸町教育委員会では、平成17年度から20年度にかけて歴史の道整備活用推進事業を行い、発掘や文献等の調査、整備活用計画の策定、説明板等の設置を実施した。浪打峠の発掘調査では、近世以前の古道と考えられる遺構も見つかっている。 このように、一戸町及び岩手町に残る街道は、江戸時代の五街道の一つである奥州街道の延長として、江戸と東北地方を結んだ幹線道路であって、近世の交通を知る上で貴重である。当該地域には、浪打峠をはじめ往時の姿をとどめる街道跡、一里塚が良好に残存することから、旧状をよく残す街道部分5区間(延長8.8km)と、御堂・馬羽松、中山、川底、浪打峠の4つの一里塚を史跡に指定し、その保護を図ろうとするものである。