国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
長州藩下関前田台場跡
ふりがな
:
ちょうしゅうはんしものせきまえだだいばあと
長州藩下関前田台場跡(高台場)
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
近世
年代
:
19世紀
西暦
:
面積
:
5634.11 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
123
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2010.08.05(平成22.08.05)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
山口県
所在地(市区町村)
:
山口県下関市前田
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
長州藩下関前田台場跡(高台場)
解説文:
詳細解説
幕末に萩(長州)藩が築造した台場のひとつ。元治元年(1864)、四国連合艦隊下関砲撃事件の舞台となった。イギリス陸戦隊によって占拠され、萩(長州)藩が攘夷から開国へと方針を転換する起点となった事件に関係する遺跡。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
長州藩下関前田台場跡(高台場)
長州藩下関前田台場跡(出土した銃弾)
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長州藩下関前田台場跡(高台場)
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長州藩下関前田台場跡(出土した銃弾)
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解説文
幕末に萩(長州)藩が築造した台場のひとつ。元治元年(1864)、四国連合艦隊下関砲撃事件の舞台となった。イギリス陸戦隊によって占拠され、萩(長州)藩が攘夷から開国へと方針を転換する起点となった事件に関係する遺跡。
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詳細解説
前田台場跡は幕末の下関での攘夷戦争において、長州(萩)藩が下関海峡沿いに築造した台場のひとつである。 西の関門海峡から東の周防灘までを一望できる関門海峡の東入り口に近い標高10~16mの高台に位置する。台場は、文久3年(1863)の攘夷に備えて築造された「低台場(ひくだいば)」と、フランス艦船の砲撃による台場の破壊及びフランス陸戦隊の上陸、占拠を経て、元治元年(1864)のイギリスを中心とする四国連合艦隊による下関砲撃前に増築された「高台場(たかだいば)」のふたつから構成される。 台場築造以前にはその優れた眺望から、元禄年間に長府毛利藩第3代藩主毛利綱元により、御茶屋が後の高台場周辺に設けられた。そのため、台場築造当初は御茶屋周辺を避け、低台場のみが築造されたが、御茶屋側の高所からフランス陸戦隊の進入を許したことから、御茶屋を立ち退かせて高台場が増築されたものである。そのため、前田台場は前田御茶屋台場とも称される。元治元年、イギリス陸戦隊を主力とする上陸部隊によって占拠され、台場施設は焼き払われ、設置されていた大砲はことごとく接収された。この時、連合軍従軍写真家ベアトによって撮影された写真が広く世界に配信され、世界的にもその存在が著名となった。のちに、前面の海岸線に沿い、幹線道路(現在の国道9号線)が整備され、何度かの拡幅工事により、低台場の前面土塁部分が削平されたものの、全体的な構造をよくとどめている。 平成6年の下関市教育委員会による遺構確認のための発掘調査及び平成10年からの山口県教育委員会による発掘調査の結果、遺跡が古代、近世(御茶屋)、幕末(台場)の三時期からなることが判明した。古代の遺構としては大型の掘立柱建物があり、長門国府系の瓦の存在等から、臨門駅等の古代官衙の存在が推定される。台場を構成する低台場からは大砲を設置するために整地された幅約6から7mの平坦面やその背後に直線的に一段低く掘りくぼめられた作業ヤードとみられる延長35m以上に及ぶ平坦面が確認され、後者の底面からは砲台が焼き払われた痕跡と考えられる焼土が確認された。また、高台場からは南面部で約30m、西面部で約20mの規模で、基底幅3m以上、最大高115cmの土塁が確認されている。南辺土塁は地表に痕跡をとどめ、西辺土塁は厚い焼土に被覆され、頂部に直線的に敷石が配置され、上部に板塀が設置されていたものと推定される。出土遺物として、球形弾(ゲベール銃弾)や椎の実弾(ミニエー銃弾)等の銃弾が陶磁器片と共に出土したほか、地中にめり込んだ状態で砲弾が出土するなど攘夷戦の具体的な様相を示す成果も得られた。 前田台場跡はイギリスを中心とする四国連合艦隊によって破壊、占拠され、占領当時イギリス軍が作成した台場の実測図や古写真と発掘調査の成果とが良く符合している。長州(萩)藩による攘夷の決行と、四国連合艦隊による報復攻撃は、薩英戦争とともに、西洋との国力の差を認識させ、長州(萩)藩が攘夷から開国へと方針を転換する起点となった。そうした事件に関係し、かつ遺構等が良好に残る重要な遺跡であることから、史跡に指定し、保護を図ろうとするものである。