国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
垣ノ島遺跡
ふりがな
:
かきのしまいせき
盛土遺構
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
縄文時代早期前半から後期後半
年代
:
西暦
:
面積
:
92757.49 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
11
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2011.02.07(平成23.02.07)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡
所在都道府県
:
北海道
所在地(市区町村)
:
北海道函館市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
盛土遺構
解説文:
詳細解説
北海道南部の太平洋に面する海岸段丘上に立地する、縄文時代としては北海道で最大
規模の集落遺跡。早期前半の墓制、前期前半の火山噴火による集落の断絶、、後期初頭
の盛土遺構等、早期前半から後期後半に至る集落変遷が辿れる、北海道では唯一の遺跡。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
盛土遺構
垣ノ島遺跡
竪穴建物
足形付土版
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盛土遺構
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垣ノ島遺跡
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竪穴建物
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足形付土版
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解説文
北海道南部の太平洋に面する海岸段丘上に立地する、縄文時代としては北海道で最大 規模の集落遺跡。早期前半の墓制、前期前半の火山噴火による集落の断絶、、後期初頭 の盛土遺構等、早期前半から後期後半に至る集落変遷が辿れる、北海道では唯一の遺跡。
詳細解説▶
詳細解説
垣ノ島遺跡は、北海道南部の太平洋に面する海岸段丘上、東向き斜面の標高32~50メートルに立地する、縄文時代早期前半から後期後半まで長期間存続した拠点的な集落遺跡である。 平成12年度から15年度までの国道の建設に伴う発掘調査において、早期後半の足形付土版を副葬した土坑墓群と、後期後半の竪穴建物群が確認されたため、南茅部町教育委員会(現、函館市教育委員会)は平成15年度から21年度まで、遺跡の範囲と内容を確認するための発掘調査を実施した。 遺跡は、南北500メートル、東西200メートルに延びる舌状の海岸段丘上約100,000平方メートルのほぼ全体に広がり、以下のような変遷をみせる。 早期前半にこの段丘上中央部に出現した集落は、早期後半には段丘上南西部に移動し、その南端部には足形付土版を副葬した70基を超える土坑墓群が形成される。 前期前半には、約5,800年前に噴火した駒ヶ岳を起源とする火山灰と軽石が、この地域一帯に厚さ30センチメートル前後堆積するため、遺物や遺構といった生活痕跡はまったく認められなくなる。しかし、前期後半になると、北海道南部ではこの時期独特の二段の床を有する竪穴建物群が、段丘上東側に広く形成される。 中期になると、集落は段丘上中央部から東側の段丘縁辺部まで広がり、本遺跡としては最も集落域が広範囲になる。また、平面形態が隅丸方形を呈する竪穴建物の規模も最も大きく一辺10メートルほどになるが、腐植土があまり発達しない段丘上中央部一帯では、これらが窪地として現在も遺存している。さらに当該期は、出土土器から東北北部との交流もうかがえる。 後期の集落域は、中期同様に段丘上中央部から東側に広がるものの、中期に比べてやや狭くなり、後期後半になると、段丘上南西部に移動して終焉を迎える。この後期について最も特筆すべきは、後期初頭から後期前半の短期間に、段丘上中央部からやや東寄りに形成される「コ」字状を呈した盛土遺構である。これは幅25メートルから30メートル、高さ2メートルほどの細長い盛土からなり、全体的な規模は南北120メートル、東西100メートルと極めて大きい。盛土遺構の内側は最大で1メートルほど掘削されており、その掘削土を盛ることで盛土遺構を形成したとみられる。盛土遺構本体には竪穴建物や土坑は認められず、盛土遺構の性格は判然としない。 ところで、この太平洋に面した海岸段丘は、約10キロメートルにわたって海岸線から山裾までの500メートル程度の間に、標高30メートルから50メートルの緩斜面を形成する独特な地形であり、駒ヶ岳が噴火した前期前半を除き、早期前半から後期後半までの各期の遺跡が高密度で分布している。 垣ノ島遺跡は、この海岸段丘上の多くの遺跡の中でも、早期前半から後期後半までの集落変遷が追える唯一の例であり、また、他のどの遺跡よりも規模が大きく拠点的な集落といえる。特に、早期後半の墓制や、前期前半に駒ヶ岳の噴火により生活痕跡が一時的に途絶えること、中期における東北北部との交流、後期初頭に大規模な盛土遺構が造成されること、さらには、後期後半を最後に遺跡がまったくなくなる事実等は、北海道はもとより、東北北部を含めた北日本における縄文時代遺跡のあり方を考える上で極めて重要である。よって、史跡に指定し、保護を図ろうとするものである。