国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
横大道製鉄遺跡
ふりがな
:
よこだいどうせいてついせき
環状遺構
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
8世紀後半から9世紀中ごろ
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
11
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2011.02.07(平成23.02.07)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
六.交通・通信施設、治山・治水施設、生産施設その他経済・生産活動に関する遺跡
所在都道府県
:
福島県
所在地(市区町村)
:
福島県南相馬市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
環状遺構
解説文:
詳細解説
横大道製鉄遺跡は、8世紀後半から9世紀中頃に属する製鉄炉・廃滓場・木炭窯が良好に遺存する大規模な製鉄遺跡である。特に、律令国家による東北経営がもっとも活発になる時期であることから、当時の政治的・社会的状況を知る上でも重要である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
環状遺構
木炭窯跡
製鉄炉跡
廃滓場
写真一覧
環状遺構
写真一覧
木炭窯跡
写真一覧
製鉄炉跡
写真一覧
廃滓場
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解説文
横大道製鉄遺跡は、8世紀後半から9世紀中頃に属する製鉄炉・廃滓場・木炭窯が良好に遺存する大規模な製鉄遺跡である。特に、律令国家による東北経営がもっとも活発になる時期であることから、当時の政治的・社会的状況を知る上でも重要である。
詳細解説▶
詳細解説
横大道製鉄遺跡は、太平洋岸から7キロメートル内陸に入った標高50メートルの丘陵上に立地し、8世紀後半から9世紀中頃に、製鉄・製炭を行った大規模な生産遺跡である。 平成19年度から21年度まで、財団法人福島県文化センターが実施した常磐自動車道建設に伴う発掘調査において、木炭窯、製鉄炉、廃滓場(はいさいば)が良好な遺存状況で確認されたため、福島県教育委員会では平成21年度に遺跡の範囲と内容を確認するための発掘調査を実施した。 遺跡は、南北240メートル、東西60メートルの細長い舌状丘陵のほぼ全体に広がる。製鉄炉を伴う環状遺構、単独の製鉄炉、廃滓場といった製鉄関連遺構は丘陵北側の先端部に集中するのに対し、製炭を行った木炭窯については丘陵中央部や南部に31 基が集中することから、作業に応じた区域分けがあったと考えられる。 環状遺構とは、丘陵の平坦な部分を直径10.8メートル、深さ1.2メートルほど掘り窪め、その掘削土を直径20メートルの環状に盛り上げる遺構である。そして、その内部に複数の竪形(たてがた)製鉄炉が構築され、これらを作り替えることで、継続的に製鉄を行った施設であり、8世紀後半に属すると考えられる。また、このほかに、9世紀前半から中頃に属する踏み鞴を付帯する長方形箱形炉も含め、製鉄炉が10基確認されている。 廃滓場は4カ所確認されている。そのうち1号廃滓場からは、68トンに及ぶ鉄滓をはじめ、踏み鞴が付帯される箱形炉の鞴の羽口(はぐち)や炉壁が多数出土していることから、9世紀前半から中頃に属する製鉄に関連した廃滓場と考えられる。 木炭窯はいずれも窖窯(あながま)の構造で、全長は約10メートル、幅は約1.5メートルの規模を有し、焚き口手前には作業場が作られるが、天井部はすべて崩落して遺存しない。木炭窯は密集し、重複した事例も多数あることから、同じ場所で繰り返し製炭作業が行われていたことがわかる。 福島県域の海岸一帯は浜砂鉄(はまさてつ)が豊富で、古代の宇多(うだ)郡と行方(なめかた)郡は製鉄が盛んな地域であった。本遺跡が所在する行方郡域では、7世紀後半に、まず、海岸に近接した金(かね)沢(ざわ)地区において製鉄遺跡が出現する。そして、8世紀後半になると本遺跡のように内陸部に製鉄遺跡は進出し、10世紀前半代になると製鉄遺跡も見られなくなる。 このように、横大道製鉄遺跡は、8世紀後半から9世紀中頃に属する製鉄炉・廃滓場・木炭窯がセットとして良好に遺存し、その規模や遺構の数量においては東北地域屈指の大規模な製鉄遺跡である。当該期は、律令国家による東北経営が活発になり、武器・武具等の鉄製品の量産要求が急増した時期であることから、当時の政治的・社会的状況を知る上で不可欠な遺跡である。よって、史跡に指定し、保護を図ろうとするものである。