国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
会下山遺跡
ふりがな
:
えげのやまいせき
会下山遺跡
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
弥生時代中期から後期
年代
:
西暦
:
面積
:
74977.97 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
11
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2011.02.07(平成23.02.07)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡
所在都道府県
:
兵庫県
所在地(市区町村)
:
兵庫県芦屋市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
会下山遺跡
解説文:
詳細解説
兵庫県南西部、六甲山系の標高201mを最高部とする丘陵とその斜面に所在する、弥生時代中・後期の集落跡。弥生時代、集落は低地に営まれるようになったが、丘陵や山上の集落は高地性集落と呼ばれてきた。本遺跡は弥生時代の集落形態及びその社会を知る上で重要であるとともに、学史的にも著名。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
会下山遺跡
竪穴建物
焼土坑
段状遺構
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会下山遺跡
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竪穴建物
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焼土坑
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段状遺構
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解説文
兵庫県南西部、六甲山系の標高201mを最高部とする丘陵とその斜面に所在する、弥生時代中・後期の集落跡。弥生時代、集落は低地に営まれるようになったが、丘陵や山上の集落は高地性集落と呼ばれてきた。本遺跡は弥生時代の集落形態及びその社会を知る上で重要であるとともに、学史的にも著名。
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詳細解説
会下山遺跡は、六甲山系南部の一つ、標高201メートルを最高所とする前山尾根を中心に存在する弥生時代中期から後期の集落跡である。昭和29年、中学校の造成工事に伴い土器が発見されたことを契機に遺跡の存在が知られ、昭和31年から36年にかけて芦屋市教育委員会により発掘調査が実施された。 その結果、遺構としては、尾根を中心とした山頂部付近で祭祀関係遺物を伴う竪穴建物1棟、大型の竪穴建物1棟を含む合計8棟の竪穴建物を検出した。このほか、焼土坑、土坑墓、柵列なども確認され、一時期に数棟からなる集落と考えられた。遺物としては、弥生時代中期中葉から後期中葉にかけての土器がある。壺・甕をはじめとする各器種が揃い、近江、東摂津、中河内、播磨、讃岐などからの搬入土器も確認された。このほか、打製石鏃、磨製石鏃、柱状片刃石斧などの石器、逆刺をもつ大型鉄鏃、鋳造鉄斧などの鉄製品も出土し、調査の過程で、日本列島では極めて珍しい漢(かん)式(しき)三(さん)翼(よく)鏃(ぞく)も採集された。このように、弥生時代の高地性集落の構造を明らかにしたという点で、学史的に重要である。 平成19年度からは、遺跡の範囲を確認するための発掘調査を実施したところ、これまで認識されていた集落域より広範囲に遺構が存在していることが明らかとなった。これまでに検出された最も北側の竪穴建物のさらに約50メートル北側で溝2条を確認した。北側の溝は幅6メートル程度、南側が幅3から4メートル程度である。ここから北は傾斜が急となる地形の変換点で、集落域の北限を画していたと考えられる。また、丘陵斜面において、弥生時代中期後葉以降に造成された平坦面や焼土坑、弥生時代後期の段状遺構、土坑、ピットなどを確認した。これによって、集落域は丘陵斜面にも広がるものと考えられる。 このように、会下山遺跡は弥生時代中期中葉から後期中葉にかけての高地性集落である。遺構は、近年の調査成果を踏まえると、山頂部にとどまらず丘陵斜面にも及ぶと考えられる。また、土器の様相は広範囲な地域の集団と交流があったことを示し、鋳造鉄斧や漢式三翼鏃などの出土は金属器流通においても一定の役割を担っていたことを示唆する。 高地性集落については、弥生時代の社会的緊張関係があったことを示す逃げ城、見張り場であるとの説をはじめさまざまな機能、性格が論じられてきた。本遺跡は、学史的に重要な高地性集落であるとともに、高地性集落の機能、性格を考える上で、さらに、弥生時代の政治情勢、生活や交流といった社会のあり方を知る上でも重要である。よって、史跡に指定し、保護を図ろうとするものである。