国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
与楽古墳群
与楽鑵子塚古墳
与楽カンジョ古墳
寺崎白壁塚古墳
ふりがな
:
ようらくこふんぐん
ようらくかんすづかこふん
ようらくかんじょこふん
てらさきしらかべづかこふん
与楽鑵子塚古墳石室
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
古墳後期・終末期
年代
:
西暦
:
面積
:
18649.0 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
39
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2013.03.27(平成25.03.27)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
2017.02.09(平成29.02.09)
指定基準
:
一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡
所在都道府県
:
奈良県
所在地(市区町村)
:
奈良県高市郡高取町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
与楽鑵子塚古墳石室
解説文:
詳細解説
飛鳥地域の西方の地に6世紀後半~7世紀前半にかけて築造された3基の古墳群。古墳時代後期・終末期の奈良県において卓越した内容をもつ首(しゅ)長(ちょう)墓(ぼ)であり、古墳の墳形及び埋葬施設の構造の変遷をたどれるとともに、当時の渡来(とらい)系(けい)氏族(しぞく)の政治的・経済的地位の一端を知る上で重要である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
添付ファイル
なし
写真一覧
与楽鑵子塚古墳石室
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与楽鑵子塚古墳石室
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解説文
飛鳥地域の西方の地に6世紀後半~7世紀前半にかけて築造された3基の古墳群。古墳時代後期・終末期の奈良県において卓越した内容をもつ首(しゅ)長(ちょう)墓(ぼ)であり、古墳の墳形及び埋葬施設の構造の変遷をたどれるとともに、当時の渡来(とらい)系(けい)氏族(しぞく)の政治的・経済的地位の一端を知る上で重要である。
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詳細解説
与楽古墳群は、奈良県の飛鳥地域西方、高取町北部に所在する。古墳は、標高209メートルの貝吹山より派生する尾根上の南北500メートルの範囲に北から寺崎白壁塚古墳、与楽鑵子塚古墳、与楽カンジョ古墳、が並んで存在している。なお、この3基の古墳周辺の丘陵には、同時期の円墳等が100基ほど存在している。 与楽鑵子塚古墳は直径28メートル、高さ9メートルの円墳である。埋葬施設は全長9.6メートルの右片袖式の横穴式石室で、玄室は長さ4.2メートル、幅3.0メートル、高さ4.4メートル、羨道は長さ5.4メートル、幅1.4メートル、高さ1.8メートルである。やはり、玄室の天井は高く、ドーム状を呈する。石室からは、轡・杏葉・鐙や金銅装の鞍縁金具などの馬具、鉄製の釣り針、銀製の耳環・指輪及び、竃・甑・鍋などのミニチュア土器などが出土した。古墳の築造時期は6世紀後半である。 与楽カンジョ古墳は、一辺36メートル、高さ10メートルの2段築成の方墳である。埋葬施設は全長11.8メートルの両袖式の横穴式石室で、巨石が用いられている。玄室は長さ6.0メートル、幅3.8メートル、高さ5.3メートル、羨道は長さ5.8メートル、幅1.8メートル、高さ1.8メートルである。玄室の面積に比べると、天井が非常に高く、四方の壁面は持ち送られ、いわゆるドーム状を呈している。石室床面には礫が敷かれ、玄室中央には漆喰の塗られた棺台が設けられていた。石室からは耳環、銀製指輪、ミニチュア土器の把手などが出土した。古墳の築造時期は6世紀末から7世紀前半と考えられる。 寺崎白壁塚古墳は東西長20メートルから35メートル、南北長20メートル、高さ9メートルの方台形を呈した古墳である。この古墳の墳丘背面は、幅6メートル、深さ2メートルにわたり区画のため掘削がおこなわれた。また、南側には東西15メートル、南北10メートルの平坦地が二段にわたってつくられていた。そして、こうした施設を取り囲むように、丘陵南斜面に削平等土地改変がおこなわれ。古墳の兆域としては最大で東西90メートル、東西60メートルに及ぶものと考えられている。埋葬施設は巨石を用いた横口式石槨で、玄室は長さ2.2メートル、幅1.1メートル、高さ0.9メートルで、長さ4.3メートル、幅1.5メートル、高さ1.5メートルの前室及び長さ4.3メートル、幅1.8メートルの羨道が付き、全長は10.9メートルに達する。石槨の石材間には漆喰が充填されていた。出土遺物としては、須恵器やミニチュアの鍋があり、古墳の築造時期は7世紀前半と考えられる。 与楽古墳群は、距離にして500メートルのなかで、6世紀後半から7世紀前半にかけて順次築造された3基の古墳からなる。墳丘形態は円墳から方墳へ、埋葬施設は横穴式石室の片袖式から両袖式、さらには横口式石槨へと変化した。また、与楽カンジョ塚古墳と与楽鑵子塚古墳の玄室は窮隆状で天井が高く、なかでも前者の玄室高5.3メートルは奈良県内でもっとも高い。さらに、寺崎白壁塚古墳は、古墳周辺を大規模に造成して構築されたとみられ、横口式石槨は飛鳥地域最古である。このように3基の古墳は、数多くの古墳存在する奈良県内において、個性的であるとともに卓越した内容をもつ。 いずれの古墳の副葬品にもミニチュア炊飯土器が出土し、石室形態を踏まえると、被葬者は渡来系氏族との関係も示唆されるところである。 このように本古墳群は、古墳時代後期・終末期の奈良県において卓越した内容の首長墓であり、古墳の墳形及び埋葬施設の構造の変遷をたどることができるという点で貴重であるとともに、渡来系氏族の動向を知る上でも重要である。よって、史跡に指定し保護を図ろうとするものである。
関連情報
指定等後に行った措置
2015.03.10(平成27.03.10)
2017.02.09(平成29.02.09)
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2015.03.10(平成27.03.10)
異動種別1
:
追加指定
異動種別2
:
異動種別3
:
異動内容
:
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2017.02.09(平成29.02.09)
異動種別1
:
追加指定
異動種別2
:
異動種別3
:
異動内容
: