国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
首羅山遺跡
ふりがな
:
しゅらさんいせき
首羅山遺跡全景
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
鎌倉
年代
:
西暦
:
面積
:
400637.0 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
39
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2013.03.27(平成25.03.27)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
三.社寺の跡又は旧境内その他祭祀信仰に関する遺跡
所在都道府県
:
福岡県
所在地(市区町村)
:
福岡県糟屋郡久山町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
首羅山遺跡全景
解説文:
詳細解説
福岡平野の東部、白山(はくさん)に所在する中世の山林寺院跡。鎌倉時代の伽(が)藍(らん)の状況をそのまま残す稀有な遺跡であり、日本古来の寺院の流れの中に、国際貿易港博多を通じて伝来した大陸の仏教信仰が混在する個性豊かな山林寺院跡として重要である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
首羅山遺跡全景
薩摩塔
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首羅山遺跡全景
写真一覧
薩摩塔
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解説文
福岡平野の東部、白山(はくさん)に所在する中世の山林寺院跡。鎌倉時代の伽(が)藍(らん)の状況をそのまま残す稀有な遺跡であり、日本古来の寺院の流れの中に、国際貿易港博多を通じて伝来した大陸の仏教信仰が混在する個性豊かな山林寺院跡として重要である。
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詳細解説
首羅山遺跡は福岡平野の東端、久山町大字久原(くばら)に位置する標高289メートルの白山(はくさん)に所在する中世の経塚と山林(山岳)寺院跡からなる遺跡である。昭和40年代に白山山頂から、経筒や湖州鏡などの遺物が出土したことにより学界に知られるようになった。首羅山遺跡の史料上の初見は、寛元5年(1247)の『石清水文書』「法橋栄瞬譲状」の、「須羅山之内常実坊之本坊地壱段」という一文である。また元禄15年(1702)に成立した『本朝高僧伝』には、宋にわたった禅僧、悟(ご)空(くう)敬(けい)念(ねん)が筑前首羅山に入山し、文永9年(1272)に没したとある。『筑前国続風土記』(1710年完成)では、白山頭光寺の名で記され、最盛期には本谷と西谷にそれぞれ百坊、山王に五十坊、別に百坊があったと伝える。 平成16年から開始された久山町教育委員会による全山の踏査の結果、寺院跡が良好な状態で残存していることが確認された。遺跡は、経塚が発見された山頂地区、本谷地区、西谷地区の3地区に分かれており、平成17年度からはそれぞれの地区の測量調査を実施した。また、平成20年度からは、久山町教育委員会と九州歴史資料館とが合同で本谷地区の発掘調査を実施した。 山頂地区には、13世紀のものと考えられる薩摩塔と宋(そう)風(ふう)獅子(しし)が安置されており、石種の分析の結果、これらは中国からの搬入品であることが明らかになった。また、昭和40年代に出土した経筒には、天仁2年(1109)銘が刻まれ、「徐工」という宋人の名が墨書されていることが、その後の調査により判明した。これらのことから、首羅山遺跡が中国人の信仰を受けていた可能性が高まった。 本谷地区は、丘陵の南斜面を大規模に造成し、伽藍や墓地が造られている。白山南麓から北へ向かって、ほぼ直線的に造られた参道の両側には、坊と考えられる複数の平坦面が確認され、参道の北端には中心となる堂の基壇跡が存在する。この基壇の周囲には、数棟の礎石建物が存在するとともに、墓と考えられる集石が複数認められる。参道の北端の基壇建物は、12世紀から15世紀にかけて3期の変遷があることが判明した。この建物は13世紀に最盛期を迎え、基壇上面の規模は東西19.5メートル、南北23.1メートル、高さ1.4メートル、建物の規模は礎石とその抜き取り穴の配置から、東西15.45メートル、南北19.12メートルの五間堂となる。この建物は、2回の建替えが行われ、その都度、規模を縮小するが15世紀前半には廃絶し、その後は先の基壇上に、東西4.4メートル、南北5.4メートル、高さ0.4メートルの小規模な基壇が築かれる。出土遺物には輸入陶磁器や瓦などがあるが、景徳鎮産の青白磁刻花文深鉢、白磁四耳壺、青磁壺・梅瓶などの優品が目立つ。 西谷地区は、約2,000平方メートルをはかる平坦地を中心に、墓地、坊、滑石製石鍋製作跡が所在する。また、庭園の一部と考えられる石組みを伴う溝や、池が露出しており、墓地には、文保2年(1318)年銘とともに禅宗の経典である円覚経の一部が刻まれた板碑がある。 博多湾周辺地域には、日本古来の山林寺院の流れを受け継ぐ要素と、国際貿易港博多を通じてもたらされた大陸的な要素が混在する寺院がいくつか認められる。これら多くは、伽藍の改変を繰り返しながら近世以降も寺院として存続するものが多いが、首羅山遺跡は15世紀前半に廃絶したために、中世山林寺院の状況を良好に留めている。また中国人による信仰や、禅宗の導入などが史料や遺跡から知られるなど日本における中世山林寺院の成立や多様性を知るうえでも重要な遺跡である。よって史跡に指定し、保護を図ろうとするものである。