国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
下野谷遺跡
ふりがな
:
したのやいせき
下野谷遺跡(近景)
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
縄文時代中期中葉~末葉
年代
:
西暦
:
面積
:
12611.62 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
38
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2015.03.10(平成27.03.10)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
2022.03.15(令和4.03.15)
指定基準
:
一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡
所在都道府県
:
東京都
所在地(市区町村)
:
東京都西東京市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
下野谷遺跡(近景)
解説文:
詳細解説
下野谷遺跡は,土坑群・竪穴建物(たてあなたてもの)群・掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)群から構成される直径150mの大規模な環状集落(かんじょうしゅうらく)である。墓と考えられる土坑群が東西70m,南北50mの範囲で中央部に密集し,それを取り囲むように竪穴建物群が環状に,さらに,掘立柱建物群は環状集落の西側に土坑群と竪穴建物群に挟まれるように細長く半円形にそれぞれ配置される。
また,下野谷遺跡から谷を挟んだ東側には,ほぼ同時期に属する環状集落が近接する。これは下野谷遺跡の東集落ともいうべきもので,両者は密接な関係性を有した双環状(そうかんじょう)集落になると考えられる。
縄文時代中期の環状集落は関東甲信越に広く分布する。そのなかでも,関東南部の武蔵野台地と多摩丘陵の環状集落群は,長野県の八ヶ岳(やつがたけ)南麓の環状集落に次ぐ密集度を有し,中規模河川ごとに縄文時代中期の大規模で拠点的な環状集落が,数キロメートルの間隔で密集する。これらの中にあって,下野谷遺跡は規模・内容とも傑出した存在であるとともに,遺存状態も極めて良好である。特に,開発が著しい首都圏において,これほど遺存状態の良好な環状集落は他に例をみない。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
添付ファイル
なし
写真一覧
下野谷遺跡(近景)
下野谷遺跡(竪穴建物跡)
下野谷遺跡(出土土器)
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下野谷遺跡(近景)
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下野谷遺跡(竪穴建物跡)
写真一覧
下野谷遺跡(出土土器)
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解説文
下野谷遺跡は,土坑群・竪穴建物(たてあなたてもの)群・掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)群から構成される直径150mの大規模な環状集落(かんじょうしゅうらく)である。墓と考えられる土坑群が東西70m,南北50mの範囲で中央部に密集し,それを取り囲むように竪穴建物群が環状に,さらに,掘立柱建物群は環状集落の西側に土坑群と竪穴建物群に挟まれるように細長く半円形にそれぞれ配置される。 また,下野谷遺跡から谷を挟んだ東側には,ほぼ同時期に属する環状集落が近接する。これは下野谷遺跡の東集落ともいうべきもので,両者は密接な関係性を有した双環状(そうかんじょう)集落になると考えられる。 縄文時代中期の環状集落は関東甲信越に広く分布する。そのなかでも,関東南部の武蔵野台地と多摩丘陵の環状集落群は,長野県の八ヶ岳(やつがたけ)南麓の環状集落に次ぐ密集度を有し,中規模河川ごとに縄文時代中期の大規模で拠点的な環状集落が,数キロメートルの間隔で密集する。これらの中にあって,下野谷遺跡は規模・内容とも傑出した存在であるとともに,遺存状態も極めて良好である。特に,開発が著しい首都圏において,これほど遺存状態の良好な環状集落は他に例をみない。
詳細解説▶
詳細解説
下野谷遺跡は、武蔵野台地の中央部を貫流する石神井川右岸の台地上の先端部、標高50mに立地する、縄文時代中期中葉から末葉に属する環状集落跡である。 この遺跡は、戦前から縄文土器が採集される坂の上の遺跡として「坂上遺跡」と呼称されていたが、保谷市教育委員会(現・西東京市教育委員会)が実施した昭和48年度から50年度までの遺跡の範囲と内容を確認するための発掘調査を契機に、小字名から「下野谷遺跡」という名称に変更され現在に至っている。その後、平成3年以降に頻発した宅地開発や下水道工事に伴う緊急発掘調査により、縄文時代中期の大規模な環状集落であることが判明すると、遺跡の保護を求める動きが活発になった。そこで、西東京市教育委員会では、平成19年度には遺跡の一部を公有化して下野谷遺跡公園として保護を図った。その後、西東京市教育委員会は遺跡全体の範囲と内容を確認するための発掘調査を平成21年度から23年度まで実施した結果、土坑群・竪穴建物群・掘立柱建物群によって構成される直径150mの環状集落であることが判明した。 この遺跡の構造は、東西70m、南北50mの範囲で墓と考えられる土坑群が中央部に密集し、それを環状に取り囲むように竪穴建物群が配置され、さらに掘立柱建物群になると考えられる柱穴群が、環状集落の西側に土坑群と竪穴建物群に挟まれるように細長く半円形に配置される。なお、この遺跡では、これまで縄文時代中期中葉から末葉に至るまでの竪穴建物107棟、土坑166基が確認されている。遺物は、縄文土器については、縄文時代中期前葉の五領ヶ台式から後期初頭の称名寺式まで連綿と出土するが、環状集落の主要な時期を構成するものは中期中葉の勝坂式から中期末葉の加曽利E4式である。また、石器としては、石鏃・石匙・磨製石斧・打製石斧・石皿・磨石などが多数出土している。 この下野谷遺跡の谷を挟んだ東側には、東西300m、南北180mの範囲に、ほぼ同時期に属する環状集落が近接する。土坑を囲む環状の竪穴建物群と、環状集落の西側に土坑群と竪穴建物群に挟まれるように細長く半円形に配置される掘立柱建物群の構造は下野谷遺跡と類似した構造であり、本来両者は、下野谷遺跡西集落と東集落という関係性を有した双環状集落になると考えられる。この東集落については、規模については西集落を凌ぐものであるが、今後遺跡の範囲や内容を精査したうえで、保護に関する取扱いを検討する必要がある。 縄文時代中期の環状集落は関東甲信越に広く分布しており、そのなかでも、関東南部の武蔵野台地と多摩丘陵は、長野県の八ヶ岳南麓の縄文遺跡群に次ぐ密集度を有し、中規模河川ごとに縄文時代中期の大規模な拠点的集落が、数キロメートルの間隔で密集する。これらのなかにあって、下野谷遺跡は規模・内容とも傑出した存在であるとともに、遺存状態も極めて良好である。特に、開発が著しい首都圏において、これほど遺存状態の良好な環状集落は極めて珍しい。 このように下野谷遺跡は、関東甲信越に広く分布する縄文時代中期の環状集落の典型例であり、関東南部の環状集落のなかでは規模は最大級で、その構造も明らかになっており、遺存状態も極めて良好である。よって史跡に指定して保護を図ろうとするものである。
関連情報
指定等後に行った措置
2016.03.01(平成28.03.01)
2017.02.09(平成29.02.09)
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2016.03.01(平成28.03.01)
異動種別1
:
追加指定
異動種別2
:
異動種別3
:
異動内容
:
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2017.02.09(平成29.02.09)
異動種別1
:
追加指定
異動種別2
:
異動種別3
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異動内容
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