国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
肥後領内名勝地
五郎ガ瀧
聖リ瀧
走リ水ノ瀧
建神ノ岩
神ノ瀬ノ岩屋
ふりがな
:
ひごりょうないめいしょうち
ごろうがたき
ひじりだき
はしりみずのたき
たてがみのいわ
こうのせのいわや
肥後領内名勝地(五老ガ瀧)
写真一覧▶
解説表示▶
種別1
:
名勝
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
172471.44 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
39
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2015.03.10(平成27.03.10)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
五.岩石、洞穴,六.峡谷、爆布、漢流、深淵
所在都道府県
:
熊本県
所在地(市区町村)
:
熊本県上益城郡山都町・八代市・八代郡氷川町・球磨郡球磨村
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
肥後領内名勝地(五老ガ瀧)
解説文:
詳細解説
熊本藩主第8代細川斉茲(ほそかわなりしげ)(1755~1835)は,江戸の参勤時に披露するために,藩の御抱絵師(おかかええし)であった矢野良勝(やのよしかつ)と衛藤良行(えとうよしゆき)に,領内の滝・渓流・岩石・洞穴など独特の地形・地質,植生等から成る優秀な風景地を選んで絵巻物に描くことを命じ,計15巻から成る『御国中滝之図(おんくにじゅうたきのえ)』を完成させた。そのうち現在に伝わる14巻には,滝の景のみならず,その他の山河の風景地を多く含むことから,滝に特化しない『領内名勝図巻(りょうないめいしょうずかん)』の呼称が普及した。これらの風景地のうち今回指定の対象とするのは,『領内名勝図巻』作成の契機をもたらした五郎ガ瀧,2条の飛瀑から成る聖リ瀧,緑樹の中に白い飛瀑が垣間見える走リ水ノ瀧,幾重もの滝が流れ落ちているように見える絶壁の建神ノ岩,大規模な鍾乳洞である神ノ瀬ノ岩屋の5か所で,いずれも優秀な風致を誇る。
『領内名勝図巻』の図像との照合が可能な滝・渓流・岩石・洞穴など独特の地形・地質から成る肥後領内名勝地は,領内の固有の名所・風景地の顕彰・再発見に努めた近世大名層の風景観の発展の経緯を示す点で重要であり,一体の風致景観が持つ観賞上の価値及び学術上の価値は高い。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
肥後領内名勝地(五老ガ瀧)
肥後領内名勝地(聖リ瀧)
肥後領内名勝地(走リ水ノ瀧)
肥後領内名勝地(建神ノ岩)
肥後領内名勝地(神ノ瀬ノ岩屋)
写真一覧
肥後領内名勝地(五老ガ瀧)
写真一覧
肥後領内名勝地(聖リ瀧)
写真一覧
肥後領内名勝地(走リ水ノ瀧)
写真一覧
肥後領内名勝地(建神ノ岩)
写真一覧
肥後領内名勝地(神ノ瀬ノ岩屋)
解説文
熊本藩主第8代細川斉茲(ほそかわなりしげ)(1755~1835)は,江戸の参勤時に披露するために,藩の御抱絵師(おかかええし)であった矢野良勝(やのよしかつ)と衛藤良行(えとうよしゆき)に,領内の滝・渓流・岩石・洞穴など独特の地形・地質,植生等から成る優秀な風景地を選んで絵巻物に描くことを命じ,計15巻から成る『御国中滝之図(おんくにじゅうたきのえ)』を完成させた。そのうち現在に伝わる14巻には,滝の景のみならず,その他の山河の風景地を多く含むことから,滝に特化しない『領内名勝図巻(りょうないめいしょうずかん)』の呼称が普及した。これらの風景地のうち今回指定の対象とするのは,『領内名勝図巻』作成の契機をもたらした五郎ガ瀧,2条の飛瀑から成る聖リ瀧,緑樹の中に白い飛瀑が垣間見える走リ水ノ瀧,幾重もの滝が流れ落ちているように見える絶壁の建神ノ岩,大規模な鍾乳洞である神ノ瀬ノ岩屋の5か所で,いずれも優秀な風致を誇る。 『領内名勝図巻』の図像との照合が可能な滝・渓流・岩石・洞穴など独特の地形・地質から成る肥後領内名勝地は,領内の固有の名所・風景地の顕彰・再発見に努めた近世大名層の風景観の発展の経緯を示す点で重要であり,一体の風致景観が持つ観賞上の価値及び学術上の価値は高い。
詳細解説▶
詳細解説
熊本藩主第8代細川斉茲(ほそかわなりしげ)(1755~1835)は、藩の御抱絵師(おかかええし)であった矢野良勝(やのよしかつ)(1760~1821)及び衛藤良行(えとうよしゆき)(1761~1823)に、領内の滝・渓流・岩石・洞穴など独特の地形・地質、植生等から成る優秀な風景地を選んで絵巻物に描くことを命じた。2人は、斉茲が江戸参勤に出発する寛政5年(1793)2月までの約2年半の間に、弟子たちを連れて2回の実地踏査を行い、計15巻から成る大作『御国中滝之図(おんくにじゅうたきのえ)』を完成させた。そのうち現在に伝わる14巻には、滝の景のみならず、その他の山河の風景地を多く含むことから、滝に特化しない『領内名勝図巻(りょうないめいしょうずかん)』(以下、『図巻』という。)の呼称が普及した。 矢野良勝と衛藤良行は雪舟流水墨画の作風を汲む絵師で、岩石・山岳の輪郭及び表面の皺などを強い墨線により描き出す豪胆な筆法に特質がある。『図巻』の図像は、①近景から遥か遠くの山岳・島嶼に至る展望を描いたもの、②険阻な峡谷・断崖・山岳を多様な視点から描いたもの、③滝・洞窟などの特定の風景地を近接視点から描いたものなどに区分でき、総数で223の場面、478の風景地から成る。それらのうちの178の場面は現在地との照合が可能であり、特に10ヶ所は独特の地形・地質、植生から成る優秀な風致を今に伝える。今回指定の対象とするのは、次の5ヶ所である。 「五郎ガ瀧」は緑川の上流の五老ヶ滝川に位置し、高さが約36m、上端の幅が約7.9mの勇壮な離れ落ちの滝である。約27万年前の阿蘇山の噴火に伴って堆積した溶結凝灰岩の弧状岩壁に、2条の飛瀑が懸かる。周辺の樹叢は松樹を中心とする疎林から照葉樹・竹などの樹林へと変化したが、『図巻』に描く秋景の図像とほぼ変わらない形姿を今に伝える。斉茲が「五郎ガ瀧」の優秀な風致に接して得た深い感銘は、『図巻』の作成を命ずる契機となった。肥後名物の番付を記した幕末の『名所名物数望附(めいしょめいぶつすうもうつけ)』は、阿蘇山・御城(熊本城)・不知火(しらぬい)に次ぐ肥後の代表的な名所として「五郎ガ瀧」を紹介している。 「聖リ瀧」は緑川(みどりかわ)上流の笹原川(ささはらがわ)に位置し、高さが約31.1m、上端の幅が約9.5mの滝である。「五郎ガ瀧」と同様に、溶結凝灰岩の岩壁に懸かる2条の飛瀑から成る。明治30年代の滝の写真は図像に描く形姿をそのまま伝えるが、現在の滝は上端の岩塊の一部が崩落したためか、向かって右側の飛瀑が往時とはやや異なる。『名所名物数望附』は「五郎ガ瀧」に次ぐ名所として記し、安政3年(1856)に第10代藩主細川斉護(なりもり)の子息3兄弟が「聖リ瀧」の風致を観賞したとの記録も残る。 「走リ水ノ瀧」は球磨川の支流である走水川(はしりみずがわ)に位置し、高さが約100m、上端の幅が約3mの滝である。深成岩、泥岩・礫質砂岩の固結堆積物などの地層から成る岩壁及び傾斜面を流れ落ちる。深水滝(ふかみのたき)との呼称があるほか、緑樹の中に白い飛瀑が垣間見える外観から白滝(しらたき)の異称も持つ。昭和21年(1946)に滝に近接する右岸傾斜面の一部が崩れ、『図巻』の図像とはやや異なる形姿へと変化したが、上半部の離れ落ちの飛瀑が下半部の岩塊群に当たり次々と白い飛沫(しぶき)を上げて流れ落ちる滝と、その周辺の主として広葉樹の樹叢が織り成す全体の風致は、今なお変わらずに良好である。 「建神ノ岩」は氷川の右岸に位置し、高さ約75m、延長250mの結晶質石灰岩から成る絶壁である。表面が風化し幾重もの滝が流れ落ちているように見えることから、立神(たてがみ)の空滝(からたき)又は立神(たてがみ)の白滝(しらたき)との異称を持つ。『図巻』は、上流と下流の2方向から「建神ノ岩」を望む2つの図像を連続して描く。岩礁群を縫って河水が軽やかに流れ下る上流部から、深い淵が豪快な岩壁の基部を浸す中流部、やがて岩壁の対岸に砂州を形成した静かな下流部に至るまで、変化に富んだ渓流の風致は今も変わらない。また、下流部右岸の岩壁の隣接地には景行天皇の開創と伝わる熊野座神社(くまのざじんじゃ)の境内があり、現在の下宮(げぐう)の社殿から岩壁の上部に不動明王を祀った中宮(ちゅうぐう)、頂上付近の通称アナンドサンと呼ぶ鍾乳洞とその内部の石筍(せきじゅん)をご神体とする上宮(じょうぐう)に向かって参道が延びる。古来の風光明媚な霊場は、後に『図巻』の図像となることにより、肥後を代表する風景地となった。 「神ノ瀬ノ岩屋」は球磨川の中流右岸に位置し、傾斜面に開口する間口が約45m、高さが約17m、奥行きが約70mの大規模な鍾乳洞である。最奥部には深さ約37mの竪穴があり、その底部付近は湧水により池となっている。洞窟の入り口左手にあたる傾斜面の中腹にも、岩体の割れ目からの湧泉を湛えた池がある。洞内は古く岩戸権現を祀る修験の道場であったが、明治以降に熊野座神社の本殿・拝殿を建立したと伝わる。「建神ノ岩」の鍾乳洞と同様に、独特の地形を伴う霊場は、後に『図巻』を通じて肥後の代表的な風景地となった。 芸術に造詣が深く、特に絵画に強い関心を抱いた藩主斉茲は、江戸の参勤時に肥後領内の優秀な風景地を描いた『図巻』を披露することにより、同好の大名との親交を深めた。『図巻』を含め、寛政年間(1789~1801)以降、絵師・文人画家が作成した各地の真景図は、諸大名のみならず多くの庶民に郷土の優秀な名所・風景地の価値を再発見する機会をもたらした。 以上のように、『図巻』の図像との照合が可能な滝・渓流・岩石・洞穴など独特の地形・地質から成る肥後領内名勝地は、自らの領内における固有の名所・風景地の顕彰・再発見に努めた近世大名層の風景観の発展の経緯を示す点で重要であり、一体の風致景観が持つ観賞上の価値及び学術上の価値は高く、名勝に指定し保護を図るものである。