国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
成相寺旧境内
ふりがな
:
なりあいじきゅうけいだい
成相寺旧境内(天橋立と成相寺遠景)
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
古代~中世
年代
:
西暦
:
面積
:
342711.81 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
140
特別区分
:
指定年月日
:
2016.10.03(平成28.10.03)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
三.社寺の跡又は旧境内その他祭祀信仰に関する遺跡
所在都道府県
:
京都府
所在地(市区町村)
:
京都府宮津市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
成相寺旧境内(天橋立と成相寺遠景)
解説文:
詳細解説
特別名勝天橋立を見下ろす成相山(なりあいさん)の中腹に位置する奈良時代に創建されたと考えられる山林寺院。『今昔物語集』,『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』など多くの史料に記録がみえ,平安時代には山岳霊場として全国に知られる存在となり,その法灯を現在に伝える。また,雪舟(せっしゅう)「天橋立図」(国宝)や「成相寺参詣曼荼羅」には中世の成相寺の様子が描かれており,応保元年(1161)には後の天台座主(ざす)覚忠(かくちゅう)が,貞和4年(1348)には本願寺の覚如(かくにょ)が訪れるなど,丹後の名刹として,信仰を集めた。
山頂付近では奈良時代の遺物が出土するとともに,平安時代から室町時代の成相寺の中心建物の可能性がある遺構が良好な状態で検出されている。また,それを中心に広い範囲で中世墓が展開することが確認され,現在の場所に伽藍(がらん)が造られる以前は,山頂付近に伽藍が存在したことが判明した。
平安時代以降の日本を代表する山岳霊場であり,旧境内に伴う建物や中世墓群が良好な状態で保存されているなど,古代から中世にかけての山林寺院の空間利用や展開を知る上で重要である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
成相寺旧境内(天橋立と成相寺遠景)
成相寺旧境内(石垣調査風景)
成相寺旧境内(石造物)
成相寺旧境内(現在の成相寺境内)
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成相寺旧境内(天橋立と成相寺遠景)
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成相寺旧境内(石垣調査風景)
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成相寺旧境内(石造物)
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成相寺旧境内(現在の成相寺境内)
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解説文
特別名勝天橋立を見下ろす成相山(なりあいさん)の中腹に位置する奈良時代に創建されたと考えられる山林寺院。『今昔物語集』,『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』など多くの史料に記録がみえ,平安時代には山岳霊場として全国に知られる存在となり,その法灯を現在に伝える。また,雪舟(せっしゅう)「天橋立図」(国宝)や「成相寺参詣曼荼羅」には中世の成相寺の様子が描かれており,応保元年(1161)には後の天台座主(ざす)覚忠(かくちゅう)が,貞和4年(1348)には本願寺の覚如(かくにょ)が訪れるなど,丹後の名刹として,信仰を集めた。 山頂付近では奈良時代の遺物が出土するとともに,平安時代から室町時代の成相寺の中心建物の可能性がある遺構が良好な状態で検出されている。また,それを中心に広い範囲で中世墓が展開することが確認され,現在の場所に伽藍(がらん)が造られる以前は,山頂付近に伽藍が存在したことが判明した。 平安時代以降の日本を代表する山岳霊場であり,旧境内に伴う建物や中世墓群が良好な状態で保存されているなど,古代から中世にかけての山林寺院の空間利用や展開を知る上で重要である。
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詳細解説
成相寺旧境内は、特別名勝天橋立を見下ろす成相山(なりあいさん)の中腹、標高約300~400mに位置する奈良時代に創建されたとされる山林寺院である。成相寺の寺伝である「成相寺古記」によると、成相寺の創建は慶雲元年(704)とされており、応永7年(1400)に「嶺崩れて谷と成る」とあり、大規模な災害に見舞われたと記されている。 平安時代末期に成立したとされる『今昔物語集』巻16には、「丹後国成合観音霊験語第四」が収録され、寺名の由来が語られている。また、『梁塵秘抄』には「四方の霊験所は、伊豆の走湯、信濃の戸隠、駿河の富士の山、伯耆の大山、丹後の成相とか、土佐の室戸門、讃岐の志度の道場」とあり、少なくとも平安時代末期には、山岳霊場として全国に知られる存在であったことが分かる。さらに、応保元年(1161)には後の天台座主覚忠(かくちゅう)が、貞和4年(1348)には本願寺の覚如(かくにょ)が成相寺を訪れるなど、平安時代以降は丹後の名刹として、信仰を集めた寺院である。 現境内には本堂、熊野権現、鐘楼、庫裡、山門といった建築物や鉄湯船(てつゆぶね)(重要文化財)、大日種子一尊板碑(だいにちしゅじいっそんいたび)などがあり、雪舟『天橋立図』(国宝)や『成相寺参詣曼荼羅』には中世の成相寺の様子が描かれており、現在の場所に伽藍が建てられたのは16世紀初頭以前に遡ることが知られる。 昭和61年に現境内から山頂へ向かって約70mの地点で行われた水道管敷設工事の際に、10~11世紀の須恵器・土師器・黒色土器などが出土し遺跡の存在が明らかとなった。その後も、境内から山頂へ向かう道路建設の際に骨蔵器と考えられる14世紀代の越前焼壺・甕などが出土した。 こうした相次ぐ遺物の出土を受けて、宮津市教育委員会は成相寺旧境内が現境内から山頂部にかけて広がる可能性を想定し、平成14年度から平成18年度にかけて分布調査を実施するとともに、分布調査で確認した主要な平坦面の発掘調査を行った。また、平成21年度から27年度には、調査対象範囲を現境内を含む成相山全域に広げ、山中の広い範囲に複数の平坦面があることや、中世墓と考えられる集石遺構などを確認した。山頂付近で行われた発掘調査では、奈良時代後半の土師器・須恵器が出土しており、創建は奈良時代と考えられる。 現本堂から約400m山頂よりにある平坦面では南辺と東辺に高さ約50cmの石垣を伴う東西約25m、南北約20mの基壇状の造成面を確認し、上面から6つの礎石の可能性がある石を検出している。その周辺からは10~14世紀の土師器などが出土しており、11~12世紀の遺物が占める割合が最も高い。遺構の状況や規模、出土遺物から11~12世紀における成相寺の中心的な堂跡である可能性が考えられる。15世紀以降の遺物が出土しないことから、この頃に伽藍が現境内に移された可能性が指摘されている。 また、この場所の周囲から本堂へ向けて伸びる尾根上では、中世の火葬墓や土坑墓群を検出している。出土遺物から13世紀後半から14世紀のものと考えられ、集石や五輪塔などの石造物を伴うものも多い。この他にも山中の広い範囲で、石造物や集石を確認し、骨蔵器と考えられる陶磁器片も採集されるなど、基壇状の造成面を中心に中世墓群が広がっている状況が確認された。 成相寺は奈良時代に創建されたと考えられる。平安時代以降は日本を代表する山岳霊場として信仰を集め、その法灯は現在も受け継がれている。また、現境内付近から山頂にかけての範囲には、旧境内に伴う建物や中世墓群が良好な状態で保存されており、古代から中世にかけての山林寺院の空間利用や展開を知る上で重要である。よって史跡に指定し、保護を図ろうとするものである。